ライカを持って旧街道を歩くサイト。現在は旧東海道を歩いており、江戸日本橋から38番目の宿場である岡崎宿に到着しました。気力を振り絞り、ゴールの京三条大橋までの道のりを歩き通したいと思いますので、みなさん応援お願いします!

旧東海道の一里塚一覧【51里〜75里】

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今回は旧東海道の一里塚特集の第3弾。

一里塚が全国的に整備されたのは江戸時代の極初期。慶長九年(1604年)に徳川家康公の命により、五街道設置されたのが始まりで、一里(3.927km)ごとに塚を築き、その上にエノキやマツを植えた。現代でいうところのキロポストに当たる。

今回は、私が見てきた旧東海道の51里から75里までの約100kmの道のりにある一里塚の現状を紹介したいと思う。前回の26里から50里までの一里塚は多く現存していたが、この区間は果たしてどれだけ残っているのか。

尚、一里塚特集を江戸日本橋から順番にご覧になりたい方は、下記バナーからどうぞ。

では、51里目の一里塚から、いってみよー!

– 表の見方 –

距離名称現存目印調査
日本橋からの距離一里塚の名称両塚あり=◎
片方の塚あり=○
レプリカ=△
無し=×
石碑/標石/道標の有無訪れた日
目次

上青島一里塚

距離名称現存目印調査
51里上青島一里塚×2026年4月5日

旧道から旧国道1号線の県道に合流する手前に、江戸日本橋から200kmの上青島一里塚の石碑がある。

だが石碑に標石に『南約十米道路東円形にて約百二十平米』と刻まれている。要するに、ここから南に10mほど行った道路の東側に、120㎡の円形の塚があったらしい。

昭和五十七年に一里塚が発掘調査され、塚の形を表す円形の石積みが見つかったそうだ。塚木はエノキ。

島田一里塚

距離名称現存目印調査
52里島田一里塚×2026年4月5日

島田宿の手前にあった島田一里塚。現在は商店街になっており、石碑と説明看板が設置されている。

幕末の文献によると幅五間二尺(約9m)で北側のみ、塚の上にはエノキが植えられていたそうだ。

金谷一里塚

距離名称現存目印調査
53里金谷一里塚×2026年4月19日

旧東海道は金谷宿上本陣の先で左に曲がり、東海道本線と大井川本線のガードをくぐるのだが、そのガードの手前に消えかけた、というかほぼ消えている金谷一里塚の案内板がある。

痕跡は、ただそれだけ。

おそらく鉄道を敷くために撤去されたのだろうが、旧東海道を歩く者にとっては一里塚の痕跡がささやかな楽しみなので、せめて立派な石碑くらいは建ててもらいたい。

54里の一里塚

距離名称現存目印調査
54里

築造の記録が無い。

55里の一里塚

距離名称現存目印調査
55里

築造の記録が無い。

佐夜鹿一里塚

距離名称現存目印調査
56里佐夜鹿一里塚×2026年4月19日

夜鳴き石伝説の久延寺から300mほど先に、佐夜鹿一里塚の石碑と説明板がある。

53里目の金谷一里塚から1里(約4km)ほどしか進んでいないが、53里目と54里目が欠番で佐夜鹿一里塚は56里目。なぜ??

伊達方一里塚

距離名称現存目印調査
57里伊達方一里塚×2026年4月19日

旧国道1号線の県道から旧道に入って少し歩いた場所に、伊達方一里塚の石碑がある。塚を意識してか、石碑の下は少しだけ土が盛られているようだ。

実際にはここからわずかに離れた場所にあり、塚の大きさは直径七間(約12.6m)、高さ三間(約5.4m)だったと説明板に書かれていた。

葛川一里塚

距離名称現存目印調査
58里葛川一里塚×2026年4月19日

逆川を渡った先の袂に葛川一里塚の石碑がある。伊達方一里塚と同様ミニチュアの塚を見立てたように土が盛られていた。

また、となりには少し変わった形の秋葉常夜燈が設置されている。

大池一里塚

距離名称現存目印調査
59里大池一里塚×2026年5月4日

蓮祐寺の前に江戸日本橋から59里目の大池一里塚があった。

その目印は、静岡県内統一の東海道歴史道標のみで味気なく、せめてオリジナルの石碑を建ててもらいたい。

久津部一里塚

距離名称現存目印調査
60里久津部一里塚2026年5月4日

袋井東小学校の向かいに、ミニチュア復元された久津部一里塚がある。

白い砂利が敷き詰められ、塚の上には小さなマツも再現されていて、観賞用のジオラマのような良い雰囲気だった。

木原一里塚

距離名称現存目印調査
61里木原一里塚2026年5月4日

松橋を渡り県道から旧道に入った民家の花壇に、木原一里塚の場所を示す石碑がある。

石碑の60m西には、木原一里塚が復元されていた。

ここまでオリジナルの一里塚をいくつか見てきたが、建造から四百年以上が経過して塚木は巨大に育ち、塚は崩れかけたものが多かったが、往時は整ったこんな形をしていたのだろう。

阿多古山一里塚

距離名称現存目印調査
62里阿多古山一里塚2026年5月4日

見附宿手前の愛宕神社の社殿裏手に、阿多古山一里塚の南塚が現存。37里目の岩渕一里塚以来、久々にオリジナル一里塚を見ることができた。

さらに阿多古山一里塚は北塚も現存しているのだが、15分ほど探したが見当たらない。

Googleマップの航空写真を確認すると、間違いなくこの辺りに存在しているのだが・・・。ふと右手を見ると、建物の隙間から北塚を発見。どうやらシートで保護されているようだ。

間近で見たくてぐるりと一周回ってみたが、残念ながらアクセスできる道は無かった。

宮之一一里塚

距離名称現存目印調査
63里宮之一一里塚2026年5月17日

昭和四十六年に縮小復元された宮之一一里塚。場所はマクドナルド磐田福田店の向かいで、日産ディーラーに囲まれている。

塚の上には可愛らしいマツと、『一里塚の跡』と刻まれた石碑が建っている。

安間一里塚

距離名称現存目印調査
64里安間一里塚×2026年5月17日

安間一里塚は安間川の手前に位置あった。現在は標柱のみ。

馬込一里塚

距離名称現存目印調査
65里馬込一里塚×2026年5月17日

馬込川の400mほど手前にあった馬込一里塚。塚は明治十年ごろには取り壊され、現在はこの看板のみが立っている。

若林一里塚

距離名称現存目印調査
66里若林一里塚×2026年6月10日

若林一里塚は石碑の左右から伸びた支柱の上に説明板がある、今までに無いスタイル。

説明によると、周囲には土手のある松並木が続いて(八丁畷)、エノキは街道を行く旅人の道標だったそうだ。

篠原一里塚

距離名称現存目印調査
67里篠原一里塚×2026年6月10日

現在、篠原交番の辺りにあった篠原一里塚は、説明看板のみが設置されていた。

説明によると、南塚にマツが、北塚にはエノキが植えられていたそうだ。

舞坂一里塚

距離名称現存目印調査
68里舞坂一里塚2026年6月10日

舞坂宿の江戸口の辺りにあった舞坂一里塚

現在は南塚のあった場所に極小サイズの南塚が再現され中央には石碑が建ち、北塚の場所には最近建てたれたのであろう、新しい石碑が建っていた。

新居一里塚

距離名称現存目印調査
69里新居一里塚×2026年7月8日

新居一里塚は、新居宿内に『一里塚』と刻まれた古く小さな石碑があるが、民家のブロック塀と同化していて、見つけるのに苦労した。

白須賀一里塚

距離名称現存目印調査
70里白須賀一里塚×2026年7月8日

江戸から京に向かい、潮見坂の手前にあったのが白須賀一里塚

こちらも背の低い石碑のみが設置してあり、なかなか見つけることができなかった。

細谷一里塚

距離名称現存目印調査
71里細谷一里塚2026年7月8日

細谷一里塚は静岡県から愛知県に入って1kmほどの、国道1号線沿いに北塚が現存している。

ただ、造られてから400年以上が経過して完全に地形に馴染んでいるため、林のように見える。

二川一里塚

距離名称現存目印調査
72里二川一里塚×2026年7月8日

二川一里塚は二川宿の江戸口からすぐの、川口屋という商家(現在は案内所)の向かいに、石碑のみが建っている。

飯村一里塚

距離名称現存目印調査
73里飯村一里塚×2026年8月9日

飯村一里塚は、国道1号線と旧道の三角地内に、国1側を向いて石碑が建っている。

塚は国1の拡幅工事により撤去されてしまったようだ。

下地一里塚

距離名称現存目印調査
74里下地一里塚×2026年8月9日

豊橋(とよばし)を渡り、400mほど歩くとあるのが下地一里塚碑。塚は現存しておらず、斜めになった石碑のみがポツンと建っていた。

伊ノ奈一里塚

距離名称現存目印調査
75里伊ノ奈一里塚×2026年8月9日

伊ノ奈一里塚は名鉄伊奈駅から600mほどの、慶応四年(1868年)創業の老舗山本太鼓店の前に石碑があり、塚は現存していない。

最後に

今回は旧東海道の51里目から75里目までの一里塚の現状を紹介してみたが、まとめると以下の通りになる。

距離名称現存目印調査
51里上青島一里塚×2026年4月5日
52里島田一里塚×2026年4月5日
島田宿
金谷宿
53里金谷一里塚×2026年4月19日
54里
55里
56里佐夜鹿一里塚×2026年4月19日
日坂宿
57里伊達方一里塚×2026年4月19日
58里葛川一里塚×2026年4月19日
掛川宿
59里大池一里塚×2026年5月4日
60里久津部一里塚2026年5月4日
袋井宿
61里木原一里塚2026年5月4日
62里阿多古山一里塚2026年5月4日
見附宿
63里宮之一一里塚2026年5月17日
64里安間一里塚×2026年5月17日
65里馬込一里塚×2026年5月17日
浜松宿
66里若林一里塚×2026年6月10日
67里篠原一里塚×2026年6月10日
68里舞坂一里塚2026年6月10日
舞坂宿
新居宿
69里新居一里塚×2026年7月8日
70里白須賀一里塚×2026年7月8日
白須賀宿
71里細谷一里塚2026年7月8日
72里二川一里塚×2026年7月8日
二川宿
73里飯村一里塚×2026年8月9日
吉田宿
74里下地一里塚×2026年8月9日
75里伊ノ奈一里塚×2026年8月9日

この区間で現存する一里塚は、阿多古山一里塚細谷一里塚の二ヶ所で、阿多古山一里塚は南北二つの一里塚が現存していた。

また、木原一里塚は復元ではあるものの、往時の雰囲気をしっかりと再現。久津部一里塚は縮小再現ながらも、綺麗に整備されていたのが印象的だった。

ということで今回は以上。次回は76里目の御油一里塚から100里目の日永一里塚までを紹介するので、歩くまで少々お待ちください。

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ライター紹介

静岡生まれ静岡育ち現在も静岡在住の50代、大福と申します。平日は会社に御奉公し、週末はライカを持って旧街道を歩いてます。

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 大福様 こんばんは。一里塚もそうですが、あちこちにある道しるべも魅力的ですよね。旅人を見守っているようで⋯。それらを眺めていると、当時の人と同化するような気持ちになってくるのが不思議です。

  • asamoyosiさん、おはようございます。

    一里塚や道しるべは魅力的ですね。おっしゃる通り、江戸時代の旅人も同じ物を見ていたのかと思うと不思議な気持ちになります。

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