旧東海道を歩いていると約4Km(一里)ごとにある一里塚の痕跡。
一里塚は、直径10m、高さ2-3mほどの円形の土盛りの上に、エノキやマツの木が植えられ、街道の両側に向かい合わせで置かれた、現代でいうところのキロポストの役割を果たしていたものになる。
まだ徒歩だとほぼ1時間ごとに置かれていたため、旅人に涼しい木陰を提供する休憩所としての役割も持っていたようだ。
国府本郷一里塚跡に一里塚の歴史が書いてある。それによると、奥州の藤原氏が白河から率土ケ浜までの21日の行程を一里ごとに笠卒塔姿(かさとそうば)を建てたのが一里塚の始まり。織田信長が管内の里程を定め、一里を三十六町として近畿諸国に塚を築き、その上にエノキを植え一里塚を築かせた。その後、徳川氏がこれにならって慶長九年(1604年)に諸街道に一里塚を築くことと決め、江戸日本橋を道程の測りはじめと定めた。
ほとんどの一里塚跡には道標・石碑や再現したレプリカがあったり、中には往時のままの姿を残している場所もあり、旧東海道を歩く私にとっても旅の楽しみの一つになっている。
ということで今回は、私が見てきた旧東海道の一里塚跡を、江戸日本橋から順番に箱根宿までの24カ所を紹介してみたいと思う。
– 表の見方 –
| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 日本橋からの距離 | 一里塚の名称 | 両塚あり=◎ 片方の塚あり=○ レプリカ=△ 無し=× | 石碑/標石/道標の有無 | 訪れた日 |
金杉橋

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 1里 | 金杉橋 | × | × | 2025年10月12日 |
金杉橋が江戸日本橋を出発してちょうど一里に当たる場所。江戸中期には既に塚は無く、当初から無かった可能性が高い。
品川一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 2里 | 品川一里塚 | × | ○ | 2025年10月12日 |
品川宿本陣があった聖蹟公園が江戸日本橋から二里になる。

公園内には品川宿の石碑があり、小さく日本橋より二里と刻まれている。
塚は江戸中期には既に無かったようだ。
大森一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 3里 | 大森一里塚 | × | × | 2025年10月18日 |
磐井神社を過ぎて旧道に入り、国道15号線と合流する手前の場所にあったのが大森一里塚。
数年前まで説明板があったようだが、令和七年時点では石碑などの痕跡は無かった。
六郷一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 4里 | 六郷一里塚 | × | × | 2025年10月18日 |
多摩川を渡る手前の六郷神社の付近に六郷一里塚があったようだが、現在は痕跡などは特に見当たらなかった。
市場一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 5里 | 市場一里塚 | ○ | ○ | 2025年10月18日 |
東急本線の八丁畷駅を過ぎて、鶴見川の手前にあったのが市場一里塚。
日本橋を出て初めての現存する一里塚(左塚)だが、塚がセメントで固められその上に稲荷神社があるため、一里塚には見えないのが少々残念だった。
子安一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 5里 | 子安一里塚 | × | × | 2025年10月18日 |
キリンビール横浜工場脇にある生麦事件碑を過ぎて、すぐの場所にあったのが子安一里塚。
数年前まで塀に説明板があったようだが、令和七年時点では塀が撤去されていて痕跡無し。
神奈川一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 7里 | 神奈川一里塚 | × | × | 2025年11月2日 |
大綱金刀比羅神社の表参道に神奈川一里塚があったが、令和七年現在は一里塚の目印が無かった。
保土ヶ谷一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 8里 | 保土ヶ谷一里塚 | △ | ○ | 2025年11月2日 |
保土ヶ谷宿の上方見附の横にあったのが保土ヶ谷一里塚。
現在は上方見附とともに復元されているが、大きさは少々小ぶり。常夜燈なども再現されていて、良い雰囲気の小道になっている。
品濃一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 9里 | 品濃一里塚 | ◎ | ○ | 2025年11月2日 |
権太坂を上り武蔵と相模の國境を越え、焼餅坂を下った先にあるのが品濃一里塚。この品濃一里塚は、日本橋を出て初めて両塚が現存している。

ただ、築塚から四百年以上が経過しているので、右塚に登ってみたら完全に自然に帰っていた。
戸塚一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 10里 | 戸塚一里塚 | × | ○ | 2025年11月2日 |
戸塚宿江戸見附の先、吉田大橋(旧名大橋)の手前にあったのが戸塚一里塚。
明治初期に国道拡幅のために取り壊され、現在は標柱と説明板があるのみ。
説明によると江戸時代の旅人はこの先の戸塚宿まで1日で歩いたそうだ。約40km・・・凄い!
原一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 11里 | 原一里塚 | × | ○ | 2025年11月15日 |
国道1号線沿いの浅間神社の辺りにあったのが原一里塚。
往時は塚の上にマツが植っていたようだが、明治九年に里程標設置の際に一里塚は撤去され、現在は標柱があるのみ。
藤沢一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 12里 | 藤沢一里塚 | × | ○ | 2025年11月15日 |
藤沢宿江戸見附の手前にあったのが藤沢一里塚で、標柱のみが設置してある。
往時は崖の上に榎が植えられていたが、『現在は何も残っていません』との潔い説明書きがあった。
四ツ谷一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 13里 | 四ツ谷一里塚 | × | ○ | 2025年11月15日 |
国道1号線に合流して、すぐの場所にあるのが四ツ谷一里塚。
現在は標柱のみが設置してある。
茅ヶ崎一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 14里 | 茅ヶ崎一里塚 | ○ | ○ | 2025年11月15日 |
茅ヶ崎駅近くの繁華街にあるのが茅ヶ崎一里塚。
現在は南塚が現存。前の道は一里塚通りという名前が付けられており、茅ヶ崎市がこの一里塚を大切にしていることが窺い知れる。
馬込一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 15里 | 馬入一里塚 | × | ○ | 2025年11月15日 |
相模川を渡った先にあったのが馬入一里塚。現在塚は無いが、立派な石碑が設置してある。
化粧坂一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 16里 | 化粧坂一里塚 | × | ○ | 2025年11月23日 |
花水川を渡り、国道1号線から旧道に入った虎女化粧井戸のすぐ先にあったのが化粧坂一里塚。
説明板によると、高さ約3mの盛り土があり、海側の塚の上にはエノキが、山側にはセンダンが植っていた。
国府本郷一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 17里 | 国府本郷一里塚 | × | ○ | 2025年11月23日 |
不動川を渡り、国道1号線と並走する場所に国府本郷一里塚の説明板が設置してある。実際には200mほど江戸寄りにあったようだ。
説明板には冒頭で書いた通り、一里塚の成り立ちについて詳しく書かれている。
押切坂一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 18里 | 押切坂一里塚 | × | ○ | 2025年11月23日 |
旧東海道は押切坂上の交差点で国道1号線から旧道に入るのだが、そのY字の股の部分に押切坂一里塚の石碑と説明板がある。
往時は北側の塚が一丈二尺(約3.6m)でケヤキが植えられ、南側の塚は高さ一丈(約3m)で上にエノキが植えられていた。
小八幡一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 19里 | 小八幡一里塚 | × | ○ | 2025年11月23日 |
国府津駅を過ぎしばらく歩いた先に小八幡一里塚の説明板がある。
往時は高さ約3.6m長さ約12mの塚があり、その上にはマツが植っていたそうだが、現在は説明板のみ。
小田原一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 20里 | 小田原一里塚 | × | ○ | 2025年11月23日 |
浜町歩道橋の脇に鎖で囲われた小さな公園があり、その中央に『江戸口見付並小田原一里塚址』と刻まれた石碑と説明板がある。
小田原宿江戸口見附と横並びで塚があった。
風祭一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 21里 | 風祭一里塚 | × | ○ | 2025年12月21日 |
箱根登山鉄道の風祭駅の先に風祭一里塚があった。
旧東海道の右側の少し奥まった場所に地蔵尊坐像があり、その横に説明板がある。
湯本茶屋一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 22里 | 湯本茶屋一里塚 | × | ○ | 2025年12月21日 |
箱根峠の厳しい坂道が始まり、正眼寺の先に湯本茶屋一里塚の碑と説明板がある。
畑宿一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 23里 | 畑宿一里塚 | ◎ | ○ | 2025年12月21日 |
県道を離れて石畳道に入ると現存する畑宿一里塚が見えてくる。
畑宿一里塚は品濃一里塚以来の両塚が現存する貴重な一里塚で、形状はしっかりと往時の姿のまま整えられており、一里塚好きにとっては一度は見ておきたい。

小田原宿から箱根宿を目指すと、左の塚にはケヤキが、

右の塚にはモミの木が植えられている。
葭原久保一里塚

| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 |
|---|---|---|---|---|
| 24里 | 葭原久保一里塚 | × | ○ | 2025年12月21日 |
石畳が終わり、芦ノ湖に出た先の箱根杉並木の手前にあったのが葭原久保一里塚。
現在は珍しいグリーンの字が刻まれた石碑と古びた説明板が設置してある。
最後に
今回は旧東海道の日本橋から箱根宿までにある一里塚跡を調べてみたが、現存しているか否かと目印の有無をまとめると以下の通りになる。
| 距離 | 名称 | 現存 | 目印 | 調査 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 日本橋 | |||||
| 1里 | 金杉橋 | × | × | 2025年10月12日 | |
| 2里 | 品川一里塚 | × | × | 2025年10月12日 | |
| 品川宿 | |||||
| 3里 | 大森一里塚 | × | × | 2025年10月18日 | |
| 4里 | 六郷一里塚 | × | × | 2025年10月18日 | |
| 川崎宿 | |||||
| 5里 | 市場一里塚 | ○ | ○ | 2025年10月18日 | |
| 6里 | 子安一里塚 | × | × | 2025年10月18日 | |
| 神奈川宿 | |||||
| 7里 | 神奈川一里塚 | × | × | 2025年11月2日 | |
| 保土ヶ谷宿 | |||||
| 8里 | 保土ヶ谷一里塚 | △ | ○ | 2025年11月2日 | |
| 9里 | 品濃一里塚 | ◎ | ○ | 2025年11月2日 | |
| 10里 | 戸塚一里塚 | × | ○ | 2025年11月2日 | |
| 戸塚宿 | |||||
| 11里 | 原一里塚 | × | ○ | 2025年11月15日 | |
| 12里 | 藤沢一里塚 | × | ○ | 2025年11月15日 | |
| 藤沢宿 | |||||
| 13里 | 四ツ谷一里塚 | × | ○ | 2025年11月15日 | |
| 14里 | 茅ヶ崎一里塚 | ○ | ○ | 2025年11月15日 | |
| 15里 | 馬入一里塚 | × | ○ | 2025年11月15日 | |
| 平塚宿 | |||||
| 16里 | 化粧坂一里塚 | × | ○ | 2025年11月23日 | |
| 大磯宿 | |||||
| 17里 | 国府本郷一里塚 | × | ○ | 2025年11月23日 | |
| 18里 | 押切坂一里塚 | × | ○ | 2025年11月23日 | |
| 19里 | 小八幡一里塚 | × | ○ | 2025年11月23日 | |
| 20里 | 小田原一里塚 | × | ○ | 2025年11月23日 | |
| 小田原宿 | |||||
| 21里 | 風祭一里塚 | × | ○ | 2025年12月21日 | |
| 22里 | 湯本茶屋一里塚 | × | ○ | 2025年12月21日 | |
| 23里 | 畑宿一里塚 | ◎ | ○ | 2025年12月21日 | |
| 24里 | 葭原久保一里塚 | × | ○ | 2025年12月21日 | |
| 箱根宿 | |||||
現存しているのは市場一里塚、品濃一里塚、茅ヶ崎一里塚、畑宿一里塚の四つの一里塚で、品濃一里塚と畑宿一里塚は両塚が現存していた。特に畑宿一里塚はほぼ往時のままの姿を留めており、見応え抜群だった。
ということで今回は以上。次回は箱根宿から白須賀宿(静岡県内)の一里塚を調査するので、興味のある方はお付き合いください。


コメント
コメント一覧 (2件)
大福様 こんにちは。毎日暑くて大変ですね。
一里塚のまとめも面白い企画ですね。ところで当地にも大和街道(古代・南海道)などに一里塚跡が残っています。但し当時のものではなく、たぶん江戸時代ぐらいのものだと思いますが⋯。それと、一里塚ではないのですが、高野山と麓の慈尊院を結ぶ町石道というのがあり、一町ごとに町石(道標)が立てられ、三十六町毎に里標が建てられています。元々弘法大師空海が建てていた木製のものを後世になって石造りの標柱に建て替えたものです。今は世界遺産に登録されています。昔から旅人にとって道標は必須アイテムだったのでしょうね。
asamoyosiさん、こんにちは。
本当は旧東海道を歩きたいのですが、豊橋市の天気予報を調べてみるととても外を歩くような気温ではないので、クーラーの効いた部屋で旅の写真を見ながらブログを書いています。夏はずっとこうなりそう!?
高野参詣道 町石道ですか。いつか、その町石を見ながら、世界遺産の参詣道を歩いてみたいものです。
その時はブログに書きますので、asamoyosiさん、コメントを楽しみにしています(笑)