今回は2025年秋から行なっている旧東海道歩き旅のまとめ第一弾。1日目から10日目編になる。
2025年の3月に初めてフルマラソンを完走し、ある程度自分の脚力に自信が持てた。そこで、次は江戸日本橋から京三条大橋までの約500kmの道のりを自分の脚で歩いてみたくなり、ふらりと東京の日本橋に向かい、軽い気持ちで歩き始めたのだが・・・これがなかなか楽しい。
気合と根性で走り抜くフルマラソンとは違い、名所旧跡や景色を眺めながら愛機ライカM11で撮影するこの旅が楽しく、その後、どハマりをすることになる。
それでは、週末のみのゆる〜い旧東海道の歩き旅の始まりです。
旧東海道踏破の旅 1日目
東海道五十三次踏破の旅を開始したのが2025年10月12日。まずはお試しで江戸日本橋から次の品川宿までを歩いてみた。
日本橋-品川宿

- 出発日:2025年10月12日(日)
- 時 間:12時00分から15時54分(3時間54分)
- 距 離:11.68km
- 高 度:23m
- 天 気:曇り
- 気 温:22度
- 湿 度:72%
東京駅から徒歩で街道の起点となる日本橋へ。そして正午を待って、遥か500km先の京三条大橋に向けて出発する。
まずは国道15号線を進み、最初に立ち寄ったのが東海道ウォークの先輩である歌川広重(言わずと知れた浮世絵東海道五十三次の作者)の住居跡。まあ、一説には彼は旅をしていないとのことだが・・・。
京橋のガードをくぐると、歩行者天国の銀座通りへ。ヴィトンやティファニーなど、お洒落な日本一の高級ブランド街で、特に目を引いたのが銀座四丁目交差点の銀座和光。銀座の象徴としてメディアで何度も見たこの建物だが、初めてこの目で見て、この上なく感動をした。
世界有数の大都会東京だが、旧東海道にもわずかながらに往時の構造物が残っていた。そのひとつが高輪大木戸跡。宝永七年(1710年)に設置された江戸内外の境界だ。高輪ゲートウェイ駅が完成して、超高層ビルの建設ラッシュが始まっているこの地域だが、江戸時代の遺恨を大切に保存してもらいたいものだ。
そして品川駅を通り過ぎ、谷ツ山橋の交差点を左折すると品川宿に入る。品川駅からかなり離れていることに驚いたが、考えてみたらこの場所が元祖品川なのだと気づく。そんな品川宿は宿場の雰囲気が残る、良い感じの商店街になっていた。
ここで意外にも旧東海道を歩く方が多いことに驚く。前を歩くカップル(夫婦?)も、私と同じガイド本を片手に旅をしていた。東海道五十三次を歩こうと思っている方にとっては一番参考になる本だと思うので、そんな方はぜひご一読を。
- ちゃんと歩ける東海道五十三次【東】
- ちゃんと歩ける東海道五十三次【西】
- ちゃんと歩ける東海道五十三次【東西セット】
ということで、旧東海道歩きの初日は品川本陣の前で終了。鉄道や車に乗っていると気が付かない名所や旧跡を発見できて、これがなかなか楽しかった。華やかな東京のど真ん中なので、見ているだけでワクワクすることもあったが、これは長く続けられる趣味だと一発で虜になるのだった。
この区間の詳細は下記ブログでたくさんの写真とともに書いているので、よかったらバナーからどうぞ。
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旧東海道踏破の旅 2日目
旧東海道の旅2日目は、翌週末の2025年10月18日(土)。お試しで歩いた東海道の旅が楽しく、朝一番の静岡発のひかり号に乗り品川宿へ。この日は品川宿から川崎宿を経て、神奈川宿までを歩いた。
品川宿-川崎宿

- 出発日:2025年10月18日(土)
- 時 間:8時55分から13時23分(4時間28分)
- 距 離:13.55km
- 高 度:33m
- 天 気:晴れ
- 気 温:19度
- 湿 度:81%
品川宿にある品川寺(くほんじ)の大きな地蔵尊に驚きながら宿場を出発し、浜川砲台跡を見物。
そして浜川橋(涙橋)を渡った先にあるのが、鈴ヶ森刑場。歌舞伎に詳しくない私でも知っている八百屋のお七が処刑された刑場で、お七が火炙りの刑にされた時に立てた礎石が今も残っていたのが印象的だった。
その先で国道15線に復帰して、磐井神社(鈴ヶ森神社)に立ち寄り、心正しき者が飲めば清水に、心卑しき者が飲めば塩水になるという、磐井の井戸を見る。私は絶対に塩辛く感じると思うので、蓋が閉められていたことに安堵する。
そして旧道に入る。江戸日本橋から三里の場所にあったのが大森の一里塚だが、残念ながら石碑などはなかった。恥ずかしながらここで初めて一里塚の役割を知り、以降、道中の楽しみの一つになった。
その後ふたたび国道15号線に合流し、梅屋敷跡にある公園を散策。六郷神社の前で脇道に進み、多摩川を渡ると東京都を出て神奈川県に入る。県境を徒歩で越えたのは初めての経験だった。
そして神奈川県に入るとすぐに川崎宿に到着。東海道の名物だった川崎宿万年屋の奈良茶飯は、現在東照という和菓子屋さんで味わえるのに、寄らずに後悔・・・。
この区間の詳しい旅の記録は、下記の記事で書いているので、よかったらバナーからどうぞ。
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川崎宿-神奈川宿

- 出発日:2025年10月18日(土)
- 時 間:13時31分から16時57分(3時間25分)
- 距 離:10.43km
- 高 度:17m
- 天 気:晴れ
- 気 温:25度
- 湿 度:66%
この日の午後は川崎宿から神奈川宿へ。
川崎宿を出ると、京急本線の踏切を渡る複雑な線形をしているが、往時は八丁堀と呼ばれる、八丁(約870m)の長い直線だった。
そして江戸日本橋から五里目となる市場の一里塚の跡がある。ここまでの四つの一里塚はすでに痕跡はなく、標石などもなかったが、市場の一里塚には左塚が現存していた。まあ、エノキはすでにないので、当時のままの姿ではないが、ちょっと感動。
かつては箱根連山が望めたという鶴見川橋を渡ると、整備されたきれいな道になり、次第にビルが立ち並び京急鶴見駅へ。
その横のガードをくぐり、ベルロード鶴見商店商店街を過ぎて少し歩くと現れたのが国道駅。改札までのガード下の歩道が、昭和をビンビンと感じさせるレトロな雰囲気で、強烈に印象に残った。
国道駅を過ぎしばらく歩くと、あの生麦事件の発生場所に遭遇。参勤交代の薩摩藩一行がイギリス人に列を乱され、島津藩士がイギリス人を殺害した歴史的事件の現場だ。その先のキリンビール敷地内には、そのイギリス人を祀る碑がある。
その先で国道15号線に合流し、神奈川宿に到着。
そういえばこの日は初めて一日を通して歩き、iPhone、Apple Watch、カメラのバッテリーが瀕死の状態になった。これ以降、モバイルバッテリーを携帯し、Apple WatchはSEをやめてバッテリーもちの良い新型にした。
また、この頃は長距離を歩くと次の日に筋肉痛になってしまっていた。マラソンで鍛えた脚だが、走る筋肉と歩く筋肉は違うのだと知った。
この区間は下記ブログで詳しく書いるので、興味のある方はどうぞ。
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旧東海道踏破の旅 3日目
旧東海道の旅の3日目は2週間後。秋も深くなった11月2日(日)に、神奈川宿から保土ヶ谷宿を経て、戸塚宿までを歩いた。
神奈川宿-保土ヶ谷宿

- 出発日:2025年11月2日(日)
- 時 間:8時34分から11時09分(2時間35分)
- 距 離:6.98km
- 高 度:68m
- 天 気:曇り
- 気 温:14度
- 湿 度:78%
この日の午前中は神奈川宿から保土ヶ谷宿までの7kmに満たない距離になる。
神奈川宿を出発して少し入った場所にある、復元高札場の再現度はかなり高く見応えがある。
国道15号線から右折して宮前商店街へ。この区間を歩いて印象的だったのが、寺院の山門に国名のカタカナ表記の石碑が多かったこと。幕末の横浜港開港への対応で、甚行寺がフランス公使館、本覚寺がアメリカ領事館など、多くの寺院が臨時の公使館になり、そんな過去をカタカナ表記の石碑として寺院の前に掲げているのが興味深かった。
宮前商店街を抜けたら国道1号線に合流して、その本覚寺の先の角を右折すると、東横フラワー緑道という歩行者専用道路と交差する。ここは元々東急東横線が通っていたが、地下化され、その旧線がこの歩行者用の道路になったそうで、この日も多くの地元市民に使われていた。いつか旧線跡を歩く旅もしてみたい。
その先に田中屋という高級料亭がある。ここは歌川広重の東海道五十三次の神奈川宿の浮世絵に描かれた、さくらやの跡地。幕末の文久三年(1963年)に田中屋初代がさくらやを買い取り、以来江戸時代から現在まで営業を続けている貴重な老舗料亭。田中屋になってからは勝海舟の紹介で坂本龍馬の妻おりょうが働いていたことでも有名だったそうだ。
しばらく歩くと環状1号線に合流し、その後、浅間下公園を斜めに横断して、その先の道を歩く。
すると旧東海道は松原商店街を突っ切るのだが、全国の多くの商店街がシャター街化する中、この商店街は異常に活気があり、商品が公道まで溢れている様に懐かしい昭和の時代を感じた。
そして相模鉄道天王町駅の脇のガードをくぐり、しばらく歩き保土ヶ谷宿に到着。午前の部終了。
詳しくは下のバナーでどうぞ。
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保土ヶ谷宿-戸塚宿

- 出発日:2025年11月2日(日)
- 時 間:11時10分から15時09分(3時間59分)
- 距 離:10.94km
- 高 度:120m
- 天 気:曇り
- 気 温:18度
- 湿 度:68%
この日の午後は保土ヶ谷宿から戸塚宿へ。
西町商店街を抜けて丁字路を右に曲がるのだが、その突き当たりにあるのが苅部家が務めた本陣。ここには往時の立派な門や藏が今なお残っていて見応えがある。その先には明治二年建設の旅籠も現存していて、さらに驚いた。
保土ヶ谷宿の京口には土居や小ぶりの一里塚が再現されていて、江戸時代のような雰囲気のいい小道になっている。
保土ヶ谷二丁目交差点を右に入り、本町ガードの交差点を左折し、その先を右に曲がったら権太坂の上り坂へ。
江戸を出発してから初めての本格的な山坂道である権太坂は、江戸時代と比べると道が整備されて歩きやすくなり、体力を極端に消耗するほどではなかった。
ところで箱根駅伝で有名な権太坂だが、変な名前だと思った方も多いはず。この権太とはお爺さんの名前。むかし、耳の悪い老人が坂の名を聞かれた際、自分の名前を聞かれたかと勘違いして、「権太」と答えたことが由来だそうだ。
その権太坂さんの坂を登り切り、丁字路を右折し、武蔵國から相模國へ。武相国モニュメントの先を左折して、焼餅坂を一気に下る。
下り切った場所に品濃の一里塚がある。ここは江戸を出て初めての現存する一里塚。往時のように左右両方に塚があり、その上に榎が植っていた。ただ、四百年以上が経過しているため、塚には榎だけでなく多くの木が茂り林のように。人工的に造った塚も、時とともに自然に帰るのだ。
その先の旧東海道は頻繁に道を曲がったりとにかく複雑で、歩道橋を渡り、右へ左へと特に忙しない。ただ、案内板が充実しているため、意外にも間違えずに戸塚宿まで歩くことができた。
ということで、3日目は戸塚宿の中心地、戸塚駅跨線橋の上で終了。詳しくは下記ブログ記事をどうぞ。
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旧東海道踏破の旅 4日目
旧東海道踏破の旅4日目は、前回から2週間後の2025年11月15日(土)。この日は戸塚宿から藤沢宿を経て、平塚宿までを歩いた。
戸塚宿-藤沢宿

- 出発日:2025年11月15日(土)
- 時 間:9時35分から12時10分(2時間35分)
- 距 離:8.7km
- 高 度:87m
- 天 気:晴れ
- 気 温:14度
- 湿 度:59%
この日の午前中は戸塚宿から藤沢宿までの短い区間。
戸塚宿には二軒の本陣があったが、その一つ、渡邉本陣の場所には渡邊の表札がある。子孫の方がこの地を守ってきたのかと思い勝手に安心する。
しばらく歩くと大坂と呼ばれた坂道になるが、往時に比べると相当に緩やかになったのか、名前ほどの大きな坂道ではなかった。
その先で保土ヶ谷バイパスと合流し、その脇に歌舞伎の演目『仮名手本忠臣蔵』に因む碑がある。有名な場面の舞台になったようだが、歌舞伎を観覧したのは一度のみの私にとっては大した感動はない。
原宿の一里塚はこの先。後日訪れる現沼津市の原宿でもなければもちろん東京原宿でもない。この区間は宿場間が長く、立場が間の宿に発展したのがこの原宿。往時は山間の村に囲まれた高台にあったというが、現在は多くの車が行き交う渋滞のメッカになっている。
この辺りから箱根にかけて多く見られたのが、村の境や辻に祀られている道祖神。我が静岡市ではほぼ見られない道祖神だが、ここから箱根路まで多く祀られていて、私たち旅人をほっこりとさせてくれた。
旧東海道は松並木になる。往時は街道に多く植えられていた松だが、車社会になり、車道の拡幅により伐採された街道の松。この辺りはそんな江戸時代松並木を再現していた。
そして藤沢の一里塚跡を過ぎると藤沢宿に到着する。
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藤沢宿-平塚宿

- 出発日:2025年11月15日(土)
- 時 間:12時22分から18時06分(5時間44分)
- 距 離:16.23km
- 高 度:44m
- 天 気:晴れ
- 気 温:16度
- 湿 度:52%
午後は藤沢宿の中心にあった真っ赤に塗られた遊行寺橋から出発。
すぐの突き当たりを右折すると、蔵造りでなんとも雰囲気のある商家がある。紙問屋の旧桔梗屋だ。店舗は明治四十四年建設で、国の有名文化財になっているそうだ。
少し歩くと源義経首洗井戸という物騒な説明板がある。奥まった公園の片隅には石碑と井戸。これは首実験後に片瀬の浜に捨てられた義経の首を里の者が拾い上げ、洗い清めた井戸だそうだ。なんとも恐ろしい・・・。
京見附の前に『玉佳』という町中華があり、ここでチャーハンとラーメンをビールで流し込みパワーチャージして、ほろ酔い気分で歩く。
引地橋を渡った先におしゃれ地蔵というハイカラな名前の双体道祖神(地蔵ではない)がある。『女性の願い事ならなんでも叶えてくださり、満願のあかつきには白粉を塗ってお礼をする』と記されており、道祖神はネックレスを纏い、お顔にはしっかりとお化粧がされていた。お顔から白粉が絶えることのないらしく、今も多くの女性の願い事を叶えているのだろう。向かいにはメルシャンワインの工場があり、周囲にはあま〜い香りが漂っていた。
その先には銘菓大庭城最中の老舗として有名な御菓子処丸寿があり、もちろん購入。お店に気軽に入れるのも歩き旅の醍醐味だ。
国道1号線との合流地点にあるのが大山道道標。石碑の上に胡座をかき、厳つい顔面で睨みつける様が非常に印象的だった。
そして茅ヶ崎市に入る。サザンの聖地茅ヶ崎は街道の松を大切にしていて、往時の雰囲気を味わえる。
茅ヶ崎の一里塚は南塚が現存していて見応え抜群。
出発が遅かったせいで、次第に陽が暮れ、有名な景勝地である南湖の左富士では富士山が拝めず。
そして平塚市に入ったらすぐに相模川を渡り、真っ暗になった平塚宿に到着した。この日は戸塚宿から藤沢宿を経由して平塚宿まで約25kmを1日がかりで踏破したが、帰りの電車で22分・・・現代文明の進化は凄まじかった・・・。
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旧東海道踏破の旅 5日目
旧東海道踏破の旅の5日目は翌週末の2025年11月23日で、平塚宿から大磯宿を経て小田原宿に向かった。
平塚宿-大磯宿

- 出発日:2025年11月23日(日)
- 時 間:10時04分から11時12分(1時間08分)
- 距 離:4.37km
- 高 度:19m
- 天 気:曇り
- 気 温:13度
- 湿 度:67%
この日の午前中は平塚宿から大磯宿までの一里(約4km)の短い道のり。
まずは旧東海道から少し入った、番長皿屋敷で有名なお菊塚へ。現在は公園になっているお菊塚だが、夜になると「一枚、二枚・・・九枚、一枚足りない」とお菊さんが出てきそうで怖い。
旧東海道に戻ると、すぐに平塚宿の江戸方見附跡がある。土盛りされた土台の上に竹矢来が組まれ、今まで歩いてきた中でもここまで再現された見附跡はなかった。
大磯宿に向かう道中の正面には、丸い形が特徴の高麗山が見えている。
平塚宿唯一の本陣だった場所には神奈川銀行。本陣や脇本陣などが金融機関になっていることが多い。地元の富豪だった本陣だが、江戸時代末期になると経営が大変になったというので、その後金融機関に取られてしまったのだろうか。
その先のY字路を右に入り、遠回りして元の道に戻ると上方見附跡の碑があり、小さな平塚宿を出る。
そして大磯町に入り、散った桜の花びらが川面を覆ったという花水川を渡ると、まん丸高麗山が正面に。歌川広重の東海道五十三次で描かれた高麗山は、おそらくこの構図だろう。今もむかしも地域の方に愛される可愛いお山に、私も癒された。
虚空蔵尊の先の化粧坂交差点のY字路で、旧東海道は国道1号線を離れて右に進むと、虎女化粧井戸がある。伝説によると、鎌倉時代の大磯の中心は化粧坂のこの付近にあり、当時の大磯の代表的女性の虎御前もこの近くに住み、朝夕この井戸を汲んで化粧をしていたのでこの名がついたといわれているそうだ。
そこから化粧坂の一里塚までの道のりは、深まった秋の紅葉と相まってとっても気持ちよく歩くことができた。
JR東海道本線の地下道を抜けると、街道に今にも倒れそうな松。往時の雰囲気が残っている。
そして江戸方見附跡を過ぎると大磯宿へ。ふたたび国道1号線と合流し、大磯宿の中心地、大磯駅入口交差点で午前中の部が終了。まん丸の高麗山と松並木で楽しい道中だった。
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大磯宿-小田原宿

- 出発日:2025年11月23日(日)
- 時 間:11時13分から17時58分(6時間45分)
- 距 離:20.02km
- 高 度:99m
- 天 気:曇り
- 気 温:14度
- 湿 度:66%
午後の部は大磯宿から小田原宿までの、今までで一番長い道のりを歩く。
この辺りの旧東海道は現在国道1号線になっており、本陣や脇本陣、問屋場の跡を示す標石を見ながら進む。
右に大きく旋回した先の石碑は湘南発祥之地碑。中国湖南省にある洞庭湖のほとり湘江の南側を湘南といい、大磯がこの地に似ていることから湘南と呼ばれるようになったそうだ。
そのとなりに日本三大俳諧道場の一つとして数えられる鴨立庵がある。
上方見附を過ぎると松並木が続く。茅ヶ崎市も往時の松をよく残していたが、こちら大磯町も街道の松を大切にしているようだ。
その松並木の途中にあったのが明治記念大磯邸園。この場所には初代総理大臣を務めた伊藤博文の邸宅滄浪閣があり、その関係で山縣有朋、大隈重信、西園寺公望、原敬などが大磯に別荘を建てたとのこと。現在はこれらの邸宅を園内で公開されている。少し先には吉田茂元総理大臣の旧邸宅があり、邸宅前の日本庭園で真っ赤に染まった紅葉を楽しんだ。
旧吉田茂邸の場所で国道1号線と別れるも1kmほどでまた合流し、その後はわずかに脇道に入るもほぼ国道に沿って延々と歩く。
小田原市に入ると車坂と呼ばれる坂道があり、登り切った先に見えた相模湾が綺麗だった。この辺りは古くからの景勝地で、太田道灌、源実朝、北林禅尼などが歌にしている。
ちなみに大磯町から二宮町を経由して小田原市に入るまで、国道1号線にも関わらず道中にコンビニがなくトイレに行けない。と、国府津駅があったので、ここでようやく用を足し一件落着。この辺りは早めの放出を心がけたい。
陽が暮れ始めたころに、鎌倉街道の酒匂宿に近づくと静岡まで100kmの道路標識。目的地は京三条大橋だが、我が家までの節目の距離を示す道路標識を見ると嬉しくなる。
酒匂宿では江戸時代後期に建てられたという旧川辺本陣が大切に保存されていて、かなり見応えがあった。ちなみに現在は地域育児センターになっているようだ。
陽が暮れる中、酒匂川を渡る。これまでほぼ国道1号線に沿って歩いてきたが、酒匂川を渡った先は右に左に複雑に角を曲がり、小田原の一里塚を過ぎたら小田原宿に到着する。
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次のページでは6日目から10日目(小田原宿-興津宿)までの記録を書いているので、興味のある方は②をクリックしてご覧ください!

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