旧東海道踏破の旅 6日目
旧東海道踏破の旅の6日目は2025年12月21日。前回から1ヶ月近く経過して、季節はすっかり冬になった。
本日は東海道歩きのハイライトの一つとなる箱根越えになる。
雨予報だったが、小田原駅に到着すると太陽が顔を出す。高校野球部の頃は雨乞いをするも降らず、持って生まれた晴れ男を恨んだが、今日ばかりはその能力に感謝したい・・・と思っていたが、数時間後に修行僧の如く山登りをする羽目になる。
小田原宿-箱根宿

- 出発日:2025年12月21日(日)
- 時 間:8時13分から14時36分(6時間23分)
- 距 離:17.72km
- 高 度:988m
- 天 気:雨
- 気 温:13度
- 湿 度:87%
小田原宿を出発してまずは国道1号線に沿って歩く。小西薬房の歴史が詰まった木造建築に感心していると、目の前に城・・・小田原城??八ツ棟造りの城郭のような建物は、外郎(ういろう)発祥の店、その名も外郎。城にしか見えなかった。
人車鉄道の小田原駅跡標石の先で国道1号線と別れて右に曲がると小田原宿の上方口になり、ここから歩道は石畳を模した装飾になる。
箱根登山鉄道の高架をくぐるとふたたび国道1号線に少しだけ合流し、すぐに別れて右に。踏切を渡り雰囲気の良い街道に入るとポツリポツリと降り始める。踏切を渡りまたも国道1号線と合流。歩道のフェンスに大名行列の装飾がなされていて面白かった。
その先を右折して三枚橋を渡ったら急坂になり、箱根路の始まり。細く厳しい坂道を、走り慣れたマイクロバスや車が、なかなかのスピードで迫ってくる。歩道も無いので、歩くには十分な注意が必要だ。
白山神社の横にあるファミリーマートが最後のコンビニになるので、ここでおむすびと飲み物を買い、山登りに備える。
温泉街を抜けて、正眼寺入り口の階段を上り振り向くと・・・うわっ!大きな地蔵尊がこちらを見ていた。が、よくよく見るとお顔が大きくふっくらした可愛らしい地蔵だった。
湯本茶屋の一里塚跡を過ぎると、箱根旧街道の入り口があり、ここからしばらく石畳を歩く。
石畳は雨に濡れた石が滑り歩きにくいが、雰囲気は最高。最初の石畳は総延長255mの短い区間で楽しめたが、この後、幾多の苦労を味わうことになる。
葛原坂を登っていると、遠くから太鼓の鼓動が聞こえてきて、次第に音が大きくなってきた。音の主はその先にあった天聖院のやすらぎ会館から。今年完走した静岡マラソンでも、随所にあった和太鼓の演奏で勇気をもらった。日本人にとって太鼓の鼓動は元気の源。今回も元気をもらった。
大天狗山神社付近の女転し坂は特にキツく、少しずつ体力を消耗していく。さらに悪いことに、また雨がシトシトと降り出してきた。
そして本日2度目の300mの石畳エリアへ。ここは江戸時代の石畳が残る、良い雰囲気の道だったが、できれば天気の良い日に歩きたかった。
県道に合流した後にまた石畳になるのだが、2025年12月現在は工事中で通行止めのため迂回する。
畑宿本陣跡を過ぎると県道を離れ、石畳を進むとすぐに畑宿の一里塚がある。ここは二つの一里塚が往時のまま残されていて見応え抜群だった。
その先には石畳の下を国道1号線が走る空中東海道がありびっくり。石畳を300mほど歩き県道に復帰し、箱根七曲りを歩く。
そして現れたのが、箱根八里の中でも特に旅人を苦しめたという橿木坂。階段、階段、また階段と、登りまくり、息は上がり、これまでの蓄積疲労の相まって、足はパンパンに・・・キツい!
見晴し茶屋の分岐付近でやっと階段地獄が終わり、今度は次第に暗くなり、雨がしとしと道はかなり荒れてきて薄気味悪い。そういえば、日曜日の昼間だというのに、ここまで誰一人ともすれ違わない。江戸日本橋を出てからというもの、多くの同業者(旧東海道を歩く人ね)と遭遇したが、旧東海道随一の名所であるここ箱根街道なのに・・・。まあ、こんな雨の日に歩く阿呆は私くらいだろう。
この辺りからさらに雨が強くなったため、防滴仕様ではないライカM11での撮影は終了し、この後の撮影はiPhone16 Pro Maxに切り替える。
そして猿滑坂、追込坂と上り、ここで道を間違えるも、甘酒茶屋の先で石畳に復帰すると、辺りは霧に包まれる。そういえば、石畳の入り口に熊出没注意の喚起があった。カサカサと雨で葉が揺れるたびに後ろを振り返ってしまう・・・。
箱根馬子唄碑の先で道が開け、しばらくぶりに道路と交差。看板に元箱根まで十五分と書いてあり、元気が湧いてきた。
そして石畳を下り、歩道橋を渡ると箱根名物の赤鳥居が見えてきた。芦ノ湖は近くにある桟橋すらも見えないほどに霧に包まれていた。
葭原久保の一里塚跡を左手に見ながら箱根杉並木を歩き、国道1号線を渡ると本日の目的地である箱根の関所に到着した。出発は小田原市だったが、もう遠い過去のことのように感じるのであった。
これで東海道一の難所と謳われた箱根を踏破した!
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旧東海道踏破の旅 7日目
7日目は暮れも押し迫る2025年12月29日に、三島駅からバスに乗り箱根宿へ。
前回は雨の中でなんとか箱根宿に到着したが、この日は晴れ間も見える中で箱根路を下り三島宿を目指す。
箱根宿-三島宿

- 出発日:2025年12月29日(月)
- 時 間:10時16分から16時48分(6時間32分)
- 距 離:18.13km
- 高 度:300m
- 天 気:晴れ
- 気 温:5度
- 湿 度:68%
前回は疲労と雨で箱根関所を見物するのは諦めたが、今回は立派に再現された役人詰所や足軽番所、そして京口御門をじっくり観覧する。
箱根といえばこの4日後にスタートする箱根駅伝があまりにも有名だが、その箱根駅伝ミュージアムを右手に見ながら、山の神にご挨拶。
芦川の石仏群を過ぎると、江戸時代に敷かれたのか少し荒れた気味の石畳に入る。前回も苦労した石畳だが、この日の道のりでも多く敷かれてるようで、少々ゲンナリ。
国道1号線に復帰して狭い歩道を歩くと静岡県へ。冠木門をくぐり、その先で右に曲がるのが旧東海道だが、令和元年十月の台風による被害のため通行止めになっており、迂回路の国道1号線をそのまま進む。六年以上も復旧されないとは・・・。合流地点を過ぎ、すぐを右に曲がり土道へ。
土道の入り口にある接待茶屋の一里塚は南塚が現存していた。
兜石を過ぎて石畳に変わり、念仏石を過ぎると次第に雲がなくなり太陽が顔を出す。杉並木を歩き、民家の私有地のような道を抜けると久しぶりに国道1号線に復帰した。
そして階段を下ると石畳。また石畳かよ、と思うも、小枯木坂と呼ばれるこの石畳はほぼ真っ直ぐな線形で、杉並木の間を歩くのが結構気持ちが良い。
その先にある雲助徳利の墓は、スライムのような絵が描かれていて面白い。
またも国道1号線と合流し、右手の山中城址を過ぎると杉並木の石畳に。
そこを抜けると、ドラゴンキャッスルなる巨大アスレチックタワーがあり、年末年始の長期連休というで、子供たちのはしゃぐ声が響いていた。
その先で完全に飽きてしまった330mほどの石畳を進み、この度2度目の空中東海道を渡る。
静岡では有名な身島スカイウォークを見ながら、その後も石畳を歩くと、南塚が現存する笹原の一里塚がある。
笹原の一里塚の先で石畳がやっと終わり、こわめし坂と呼ばれるとんでもなく急な坂を下る。登りじゃなくて良かった、と強く思った。
またも国道1号線に合流して松雲寺を過ぎてしばらく歩くと、右手に綺麗な富士山を見ることができた。朝からなかなか雲に隠れて全容は見せてくれなかったが、本日の旅も後半になり、やっとご褒美をくれたようだ。
そして細い道を複雑に下り、可愛らしい12体の六地蔵にほっこりし、その先を右に入りこの区間では最後となる石畳を歩く。
舗装路に復帰してしばらく歩くとまたまた国道1号線に出るのだが、その合流地点に立派な箱根路碑がある。ここが箱根路の入り口ということで、長く険しかった箱根峠はここで終了だ。
初音ケ原松並木を歩くと錦田の一里塚がある。ここは国道1号線沿いの三島市街地に近い場所にも関わらず、両塚が残されていた。接待茶屋の一里塚、笹原の一里塚、そしてここ錦田の一里塚と、三か所続けて一里塚が現存しているなんて凄すぎ!
急な愛宕坂を下り、三島宿の東見附を過ぎると太陽は西の空に隠れかけていた。
最後に三嶋大社でお参りをして、箱根八里を踏破したのだった。
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旧東海道踏破の旅 8日目
旧東海道踏破の旅8日目は年が明けた2026年1月3日に、三島宿から沼津宿を経て原宿までを歩いた。
三島宿-沼津宿

- 出発日:2026年1月3日(土)
- 時 間:9時40分から12時16分(2時間36分)
- 距 離:8.69km
- 高 度:51m
- 天 気:晴れ
- 気 温:4度
- 湿 度:52%
本日は1月3日ということで、三島宿だった商店街には日の丸の旗が掲げられていた。
しばらく歩き源兵衛橋を渡った先に、三島宿内に時を知らせたという時の鐘がある。第二次世界大戦で鐘が軍用に共出されたため、現在の鐘は昭和二十五年に造られた二代目らしいが、立派な鐘つき堂だった。
駿豆線の踏切を渡りしばらく進むと三島宿の西見附があり、そのとなりの境川橋が伊豆國と駿河國の境になる。
伏見の一里塚は、玉井寺の一里塚と宝池寺の一里塚という二つの塚があった。宝池寺の一里塚は昭和六十年に原寸通りに復元されたものだが、玉井寺の一里塚は慶長九年(1604年)に造られた当時のものがそのまま残っていて、非常に味のある佇まいだった。
清水町の八幡神社は対面石が有名。源頼朝と源義経が平家打倒を誓い合った際に腰掛けた石だそうだが・・・本当!?
この日は雲ひとつない快晴ということで、ずっと富士山に見守られながら歩くのが気持ちいい。
黄瀬川を渡り、潮音寺のとなりに沼津藩の傍示石があり、ここからが沼津藩。
富士隠坂と呼ばれた坂は土地改良が行われていて緩やかになり、まったく苦にならない緩やかな坂だった。ずっと右に見えていた富士山の前に愛鷹山が現れ、剣ヶ峰が僅かに見える程度。これが富士隠坂の所以なのだろう。
その富士隠坂の先のY字路を左に入るのが旧東海道だが、間違えて進んでしまい引き返し、あらためて狩野川の土手下を歩く。その土手沿いにある平作地蔵尊は、浄瑠璃『伊賀越道中双六』に出てくる沼津の平作にゆかりの深い地蔵で、日本三大仇討ちの一つとされているそうだ。
その先に縮小復元された沼津の一里塚。伏見の一里塚からそんなに歩いていないと思った(実際には道を間違え4km以上歩いたが)ら、本来一里の距離だと沼津宿内になり、それを避けるために里数が短くなっているそうだ。
沼津の一里塚の先で一度大通りに出て、500mほど進んだら斜め左へ入り、青く澄んだ狩野川を左手に見ながら沼津宿に到着した。
前の2日は箱根越えで急坂を登ったり降りたりと苦労したが、久々の平坦道と晴天のおかげで、楽しく歩くことができた。
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沼津宿-原宿

- 出発日:2026年1月3日(土)
- 時 間:12時17分から16時05分(3時間48分)
- 距 離:11.21km
- 高 度:64m
- 天 気:晴れ
- 気 温:7度
- 湿 度:39%
この日の午後は沼津宿から原宿を目指す。
沼津市の中心街から少し離れた場所に本陣跡や脇本陣跡があるが、現在は少し寂しい雰囲気。沼津の中心はここから北東に移ったようだ。
その先を右折して、右手に浅間神社、左手に乗運寺を見ながら進むと西見附跡の説明板があり、沼津宿を出る。
しばらく歩くと『六代松 是より南一町半』と刻まれた主張強めの碑があり、少し寄り道。
1kmほど歩くと西間門八幡宮の前に上部のみの沼津藩傍示杭石があり、ここで沼津藩を出る。
諏訪神社、正覚寺、清玄寺、清玄寺、栄昌寺と寺社が続く。
すでに13時半を過ぎたが道中に適当な店がなく、仕方なしにドラッグストアで弁当を購入し、せっかくなので旧東海道と並行する海や千本松原を見ながら食べようと思い道を外れる。青い空に駿河湾は反射し輝き、その先には伊豆半島。いやー、思っていた以上に素晴らしいと思い、お弁当を食べようと・・・あれっ?箸は!?結局この弁当は、家に着くまでリュックの肥やしと化すのだった。
松長の一里塚碑を過ぎたが、空腹は治らない。と、思っていたところにAEONがあり、敷地内の餃子の王将に駆け込み、レバニラ定食をビールで流し込みパワーチャージ。よーし、終盤戦スタートだっ!
原踏切を横断すると、愛鷹山からひょっこり顔を出す富士山が綺麗に見えていた。
神明神社のとなりに原宿江戸見附の東木戸の説明板があり、いよいよこの日の旅も最終盤。
原宿江戸見附から600mほどの場所に白隠禅師誕生地碑。白隠禅師は臨済禅中興の祖と仰がれる方で、『駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠』と歌われた、五百年に一人の名僧だったそうだ。
そして浅間神社を過ぎると渡邊本陣跡の標石があり、本日はここで終了とする。
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旧東海道踏破の旅 9日目
旧東海道踏破の旅の9日目は、前回から9日後の2026年1月12日。成人の日に原宿から吉原宿を経由して蒲原宿までを歩いた。
原宿-吉原宿

- 出発日:2026年1月12日(月)
- 時 間:9時52分から13時28分(3時間36分)
- 距 離:11.72km
- 高 度:64m
- 天 気:晴れ
- 気 温:3度
- 湿 度:51%
この日の午前中は原宿から吉原宿に向かう。
白隠正宗が有名な高嶋酒造を過ぎるとすぐに原宿の西木戸があった場所。原宿は、東木戸から西木戸まで660間(2.2km)あったそうだ。
新田大橋の先に原の一里塚の碑。
しばらく歩くと浅間愛鷹神社があり、神社の前にこの辺りを開拓した鈴木助兵衛の碑が建っている。現在桃里と呼ばれるこの地区は、彼の名前を取って助兵衛新田と呼ばれていたが、あまりにも聞こえが悪いとして、明治四十一年に桃里に改称したそうだ。まあ、桃=ピーチも海外の一部では尻を連想するちょっと助兵衛な名だが・・・。
植田踏切を渡ると富士市に入る。県道に合流して東田子の浦駅の入り口に、皆浮島沼に身を投げて亡くなった六人の巫女を神として祀った六王子神社がある。
その先にあるのが立圓寺。立派な仁王門をくぐると、本堂の横から綺麗な富士山が見えた。尾張藩侍医の柴田景浩がこの寺から見る富士が絶景と、文化五年(1808年)に建碑した望獄碑がある。
広沼橋を渡ると沼田新田の一里塚の石碑があり、1kmほど先の歩高架になる手前を左右と進む。
しばらく歩いて階段を上がると立派な妙法寺の本堂が現れた。地元では毘沙門さんと呼ばれる妙法寺は、木造造りの本尊の装飾が実に美しかった。
鈴川踏切を横断し、吉原駅の辺りが元の吉原宿。寛永十六年(1639年)の大津波で吉原宿は壊滅的な被害を受け、宿場は内陸部に北側に移転した。
そしてしばらく北に進むと左富士神社があり、その先がかの有名な名勝左富士。江戸時代の旅人はこの珍しい景観を見た者には幸運が訪れる、縁起が良いとされたが、現在は工場が建ちかつての風情はない。
ちなみに旧東海道で富士山が左に見える場所はこの他にもう一ヶ所あった。それが藤沢宿と平塚宿の間にある南湖。その南湖では天気が悪く左富士が見られなかったが、今回はしっかりと見ることができた。これで、私にも幸運が訪れる!?
治承四年(1180年)の源平富士川の合戦の際に、平家が陣を張ったという平家越碑のY字路を左に進み、平家越橋を渡り、吉原宿東木戸跡を越えた岳南鉄道の吉原本町駅前の本町踏切で吉原宿到着とする。
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吉原宿-蒲原宿

- 出発日:2026年1月12日(月)
- 時 間:13時29分から18時16分(4時間47分)
- 距 離:13.15km
- 高 度:130m
- 天 気:晴れ
- 気 温:7度
- 湿 度:34%
この日の午後は吉原商店街から出発。
これまで見てきた多くの宿場跡には、本陣や脇本陣があった場所を標柱で示していたが、ここ吉原宿はそれがなく探すのに難儀した。
商店街の途中で一本脇の道に入り、遅い昼食をクラシックラガーで流し込み、富士山を背にしながらほろ酔い気分で歩く。
静岡県に入ってからめっきり見られなくなった道祖神だが、富士市にはまだ残っていてちょっとほっこり。
富士川を渡ると夕暮れの富士山が太陽の光を浴びて、水面には逆さ富士。非常に綺麗だった。
橋を渡ると山肌の方向に。左に行けばほぼ一本道の平坦路で蒲原宿に辿り着けるのに・・・。
ここから秋葉山常夜燈が続く。江戸時代の東海道には多くあったのか、それともこの場所に多くあったのだろうか。
岩渕の一里塚は両塚が現存されていて、西塚は往時の榎も現存。榎はかなり疲れていたが、なんとか生き長らえてもらいたいものだ。
蒲原宿が近づくと静岡市の看板。江戸日本橋から自分の足だけで静岡市まで帰ってきたのかと思うと、ちょっと感慨深い。が、我が家は府中宿の先なので、それまで感動はお預け。
そしてすっかり日が暮れた蒲原宿に到着。
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旧東海道踏破の旅 10日目
旧東海道踏破の旅の10日目は、2026年2月8日に蒲原宿から由比宿を経由して興津宿までを歩いた。
蒲原宿-由比宿

- 出発日:2026年2月8日(日)
- 時 間:9時30分から10時57分(1時間27分)
- 距 離:4.50km
- 高 度:53m
- 天 気:曇り
- 気 温:5度
- 湿 度:59%
10日目は蒲原宿から出発。
正直、見どころは少ないと思っていたこの辺りたが、海鼠壁や木製格子窓の歴史ある木造建築が建ち並び、良い雰囲気の宿場だった。
その中でも一番印象的なのが旧五十嵐歯科医院の建物。大正期に木造建屋の自宅を改装して洋風の外観にした、大正浪漫を感じさせる和洋折衷の歯科医院に魅了された。
その後は、旧国道1号線の県道をひたすら歩く。
由比宿の手前には、かつて久保田利伸さんの実家である八百屋があったはず。発見するも、残念ながらやめてしまったようだが、建物はまだ現在。ここでソウルフルな楽曲の一部が生み出されたと思うとちょっと感慨深い。
久保田利伸さんのご実家を過ぎると、程なくして枡形を過ぎ由比宿へ。由比宿の本陣跡は公園になっていて、その広さに圧倒される。
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由比宿-興津宿

- 出発日:2026年2月8日(日)
- 時 間:10時59分から15時11分(4時間12分)
- 距 離:10.69km
- 高 度:333m
- 天 気:雪
- 気 温:5度
- 湿 度:56%
由比宿本陣跡から出発。
本陣向かいには江戸時代初期に創業した染物屋や、明治の郵便局などを見て、その先の元禄元年創業いちうろこで昼食。黒はんぺんとさつま揚げをその場で揚げてもらったが、これがもう絶品。
目の前の由比漁港で揚がった新鮮な素材を、揚げたてで食べられるこの店は超おすすめ。
店を出てしばらく進むと、山肌の街道になり、趣のある木造建築が建ち並ぶ。
そして、西倉沢の一里塚跡から薩埵峠が始まる。一里塚から峠の最高地点までは2Kmほどで、二度の急坂があったものの、箱根峠に比べたら距離がなく地獄の階段もないため、問題なく登れた。
山頂が近くなると土道に変わり、程なくして歌川広重の浮き絵で有名な展望台に。この日は雲がかかって主役は見えなかったが、切り立った薩埵峠と駿河湾、そしてその真ん中を劈く日本の大動脈の景色が良い。
その後は山頂まで登り、そこから一気に階段を駆け下りる。江戸に向かう方にとってはこの階段が地獄に感じることだろう。
薩埵峠を下山したら、道は大きくコの字に迂回し、興津川を渡る。
由比宿を出た時に風花が降ってきたが、薩埵峠の道中は止むも、下山したら静岡市では考えられないほどの降雪になるも、無事興津宿に到着する。
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最後に
江戸日本橋を出発してから10日目にして興津宿に到着した。
10日で約160kmということで、旧東海道の総延長約500kmの1/3にも達していなく、歩き慣れた方にペースが遅いと言われてしまいそうだが、この旅は名所旧跡や景色を愛機ライカで撮影しながら楽しむのんびり旅なのでペースは気にしていない。
いや、むしろ、この旅がまだ2/3も残されていることが嬉しい。今後も歴史に触れながらのんびり楽しく京三条大橋を目指したいと思うのであった。

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