大福のブログ

ライカを持って旧東海道を歩く【第13回】(沼津宿→原宿)

今回も旧東海道踏破の旅の続き。

2025年の暮れに東海道随一の難所と言われた箱根八里を踏破し、新年を迎えた1月3日の午前中に三島宿から沼津宿まで歩いた。

そして今回は1月3日午後に歩いた、沼津宿から原宿までの歩みの記録になる。

では、前回到着した沼津宿のこの場所から、ライカM11をぶら下げて午後の部の始まり。

目次

三枚橋城外堀石垣

丁字路を左折して、その先の歩道に石がある。

北東にある中央公園にかつて三枚橋城という城郭があり、平成六年に三枚橋城の外堀跡が発見され、この石はその石垣に使用されたもの。

石の下には今も堀跡が埋もれているそうだ。

旧東海道は三枚橋城外堀石垣の先の通横町交差点を右折し、

次の交差点を左折。この先に沼津宿の本陣が軒を連ねていた。

高田本陣跡

曲がってすぐの場所にあったのが高田本陣。

高田本陣は現在駐車場に変わっていた。

中村脇本陣跡

そのとなりには中村脇本陣があった。

その中村脇本陣も現在は駐車場。

地元の有力者が勤めていたという本陣や脇本陣があった場所は、沼津宿の中心街だったはずだが、そんな場所が現在は駐車場になっているのは少し悲しい。

時刻は昼12時になり、前を通った正月休みの蕎麦屋から良い香りがした。本日は家族や親戚に蕎麦を振る舞っているのだろう。急に腹が減ってきた。

清水本陣跡

中村脇本陣の先には清水本陣の標石。

その場所には商店があったようだが、現在は営業をしていない。ちょっと寂しい江戸時代の中心地だった。

明治期にここから離れた場所に沼津駅が完成し、沼津市の中心がそちらに移ったからだろう。

間宮本陣跡

清水本陣の向かいにあったのが間宮本陣。

あった場所は現在タクシー会社が営業中で、敷地内からドライバーさんの活気のある笑い声が聞こえてきた。ここまで沼津宿の本陣や脇本陣は建物がなく人気もなかったが、間宮本陣跡は活気があり勝手に一安心。

旧東海道は間宮本陣の先の交差点を右折し、

こんな感じの通りに出た。

浅間神社

曲がるとすぐに、浅間神社がある。

浅間神社は富士山を神様として祀る神社で、総本山は富士宮市の富士山本宮浅間神社。全国で約1300社もあり、これまでの道中で何度も見てきた。

本日は1月3日ということで、多くの参拝客がお参りに来ていた。

乗運寺

浅間神社の先の道を入ったところにあったのが乗運寺。

沼津藩主の水野忠友の菩提寺で、酒と旅をこよなく愛した詩人、若山牧水の墓があるそうだ。

山門から覗いただけだったが、華やかな旗がたくさん掲げられていた。正月の飾り付けなのだろうか?

西見附跡

乗運寺から少し歩いた場所にあったのが沼津宿の西見附(京口)。現在は解説板のみが設置されていた。

西見附があった場所は、立派な門と石積みの塀のあるお宅が立地していた。

午前中に歩いた三島宿から沼津宿までと同様に、右手に富士山を見ながら歩く。

午前中はよく見えていた富士山だが、雲に隠れてしまっている。

日中は駿河湾からの湿った空気が富士山にぶつかり、富士からほど近い沼津でも見えない日が多くあるのだろう。

六代松碑

西見附跡からしばらく歩くと、道の左側に存在感が強すぎる石碑を発見。

石碑には『是より南一町半』と刻まれています。約160mならば少し行ってみようと思い、南へ足を進める。

そしてこの丁字路の右手に墓地があり、そこに一際大きな墓が見えた。

されが六代松碑。六代は平清盛を三代とし、六代と続く平家の頭領となる血を受け継ぐ御曹司だそう。

で、六代松の碑については・・・説明が長いので、興味のある方は・・・すみません、こちらを。

妙伝寺

旧東海道に戻り、六代松道標のとなりにあるのが妙伝寺。

沼津城の前身である三枚橋城城主の大久保治右衛門忠佐の菩提寺で、境内に墓碑があるそうだ。

白壁と立派な山門が印象的だった。

閻魔大王像の首が網に掛かり、村人が胴体手足を造り像にして安置したという言い伝えが残る間門橋を渡り、

その先のY字路の交差点を右に進むと、

旧東海道はご覧の雰囲気になり、富士山はふたたび顔を出した。

そして次の目的地が右側に見えてきた。

西間門八幡宮・沼津藩傍示杭石

こちらは西間門村の鎮守の西間門八幡宮で、創建は慶長九年(1604年)になる。

その西間門八幡宮の山門口石垣にあったのが、『従是東』と刻まれた、上部のみの沼津藩傍示杭石。

安永七年(1778年)に沼津藩主水野出羽守忠友が沼津藩西堺に設置したものだそうだ。

そういえば、前回歩いた道中に(三島宿→沼津宿編)東境の傍示杭石があった。

諏訪神社

西間門八幡宮の先にあるのが諏訪神社。名前の通り武田家と深い関わりのある神社になる。

武田家が没落した後、旧臣がこの地に帰農して武田家守護神の諏訪社を祀り鎮守としたそうだ。

長い参道を歩き、

本殿でお参りをする。

正覚寺

諏訪神社の先に正覚寺の看板があり、ここを左折。

曲がってすぐのお寺が正覚寺になる。

元禄二年(1689年)開山の正覚寺は自覚庵として二百八十年程の歴史を刻み、この少し変わった佇まいの本堂が昭和四十六年に再建された時に、正覚寺と寺号を改めた。

清玄寺

正覚寺の先に清玄寺がある。

境内に青面金剛像庚申塔が安置されているそうだが、本日はここで頭を下げて先に進む。

栄昌寺

栄昌寺は慶長五年(1600年)開山の日蓮宗のお寺。境内には推定樹齢四百年のソテツがあるそうだ。

ソテツがそんなにも高樹齢だとは知らなかったが、調べてみると五百年以上生きることも珍しくなく、中には一千年を超えるものも存在しているようだ。

千本松原

すでに13時半を過ぎたが道中に適当な店がなく、仕方なしにドラッグストアで弁当を購入。

どこで食べようか考えたところ、せっかくなので旧東海道と並行する海や千本松原を見ながら食べようと思い道を外れる。

無数に生える松の木は、ご覧の通り大きく曲がっており、海風の強さが窺い知れる。

そして松原を抜けると青い空に駿河湾は反射し輝き、その先には伊豆半島。いやー、思っていた以上に素晴らしい。

そして果てしなく続く松並木は、到底千本どころじゃない。

さて、こんな素晴らしい景色お弁当を・・・あれっ?箸は!?

結局この弁当は、家に着くまでリュックの肥やしと化すのだった(家に着いてから美味しくいただいた)。

松長の一里塚

松長の一里塚(大諏訪の一里塚)は、民家のブロック塀に囲われた場所にあった。

これまで沼津市内の一里塚は、大切に保存されていたり復元されていたりだったが、ここ松長の一里塚は残念ながらその姿を見ることができず、石碑のみが設置されていた。

江戸日本橋より三十一里(約132km)。

蓮窓寺

松長の一里塚から400mほど先にある立派な佇まいのこちらの寺は、寛文二年(1662年)開山の蓮窓寺になる。

あー、腹が減って仕方がない。

が、この辺りにはコンビニも飲食店もなく途方に暮れていたところ、AEONの文字が見え、その瞬間に入っていた。

箸を買うことも考えたが、敷地内に餃子の王将があったため、こちらでしっかりパワーチャージ。

純度の高いハイオク燃料でしっかり満タンにして、よーし、終盤戦スタートだっ!

祥雲寺

ほろ酔い気分で歩いていると、祥雲寺というお寺があった。

こちらは永禄元年(1558年)の創建。境内の大松が見えるが、今日はここで眺めるだけ。

三島神社

祥雲寺のとなりにあったのが、三島神社。ここは三島市ではなく沼津市で、すでに三島市を抜けてしばらく歩いたがなぜ三島神社なの??ご存知の方、ぜひコメントでご教授を。

祥雲寺の翌年の永禄二年(1559年)創建ということで、ずっととなり同士だったようだ。

こちら御神木の緑マキは推定樹齢四百五十年で、幹回りは4mもある。

三島神社から少し歩いて原踏切を横断。愛鷹山からひょっこり顔を出す富士山が綺麗に見えていた。

神明神社

踏切を渡った先にあったのが、享保十四年(1729年)創建の神明神社。

参道口には道祖神が二体祀られていたが、撮り忘れた・・・。

原宿東木戸跡

神明神社のとなりのこの辺りには、原宿江戸見附の東木戸があったそうだ。

その場所には説明板があり、それによると原宿の東西の距離は六百六十間(2.2km)あったという。

白隠禅師誕生地碑

原宿に入り600mほど歩いた場所に白隠禅師誕生地碑がある。

白隠禅師は臨済禅中興の祖と仰がれる方で、『駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠』と歌われた、五百年に一人の名僧だったそう。

こちらの入り口を抜けると、

白隠禅師が生まれた時に使用した、『産湯の井戸』が今なお清水を湛えていた。

浅間神社

白隠禅師誕生地からほど近い場所に、慶長十四年(1609年)創建の浅間神社がある。

武田家没後に旧家臣がこの地に帰農し、浅間神社を創建したそうだ。

甲斐国からはかなりの距離がある原宿だが、先ほどの諏訪神社もそうだったが、武田家が多く移り住んだ場所なのだと初めて知った。

尚、この参道には江戸時代に高札場が設置されていた。

問屋場跡

浅間神社の筋向いのこの辺りに、人馬輸送の業務を行う問屋場があった。

渡邊本陣跡

問屋場のとなりの立派なお宅の入り口に説明板。こちらが渡邊本陣だった場所になる。

説明板によると、原宿の草分けであり広大な建物を有していた渡邊家は、自然に大名などの宿場にして本陣になり、となりの問屋、名主などを勤めていた。

そんな渡邊家の総坪数は六千六百坪の広大な規模だったようだ。

明治元年には明治天皇東幸の際に御小休をされ、その後も巡幸されて御昼をされた記録もあるそうで、昭和二十年の敗戦前まで明治天皇行在所と記された標柱が立っていたという。

歩みの記録

ということで、今回は沼津宿から原宿までを、なんとか日が暮れる前までに歩き切った。

今回は沼津市内のみで、沼津市の中心地から駿河湾に沿って北西に足を進めた。沼津宿を出てからはほぼ一本道で、正直、旧跡の多くない区間だったが、冬晴れの住んだ空気の下、雄大な富士山を眺めてのウォーキングはとても楽しいものだった。

では、いつものようにiPhoneのフィットネスアプリのデータから、歩みの記録を確認する。

  • 出発日:2026年1月3日(土)
  • 時 間:12時17分から16時05分(3時間48分)
  • 距 離:11.21km
  • 高 度:64m
  • 天 気:晴れ
  • 気 温:7度
  • 湿 度:39%

沼津宿から原宿までの距離は一里半で、現在の道での実測は7.3kmと比較的短いのだが、海を見に行ったりと今回も寄り道をして、歩いた距離は11.2kmにもなってしまい、3時間48分を要した(昼食の23分を含む)。

ということで今回は以上。次回はここ原宿から次の宿場の吉原宿までを歩くので、興味のある方は下のバナーからぜひお付き合いを。

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