今回は旧東海道踏破の旅の前半のハイライトである箱根越え。
ここのところ週末のたびに天気が悪かったり仕事が入ったりして、一ヶ月近く旧東海道を歩いていなく、歩きたくて仕方がない。本日12月21日も雨予報だが、そんな訳で強行する。

小田原駅に到着すると雨は上がっていて、なんと太陽が顔を出している。
高校時代は野球部の練習が嫌で雨乞いをするも降らず、持って生まれた晴れ男を恨んだが、今日はその能力に感謝、と思っていたが・・・数時間後に大変な修行が訪れることに。

ということで、前回のゴール地点である旧網問屋の小田原宿なりわい交流館に到着。
それでは今日もライカM11をぶら下げて、箱根宿に向けて出発進行!
片岡永左ヱ門本陣跡

歩き始めるとすぐに説明標石がある。ここは四軒あった小田原宿本陣の一つ、片岡永左ヱ門本陣の跡地になる。
伊予(愛媛県)松山の松平家などの大名が定宿としていたこの本陣の幕末の当主片岡永左ヱ門は、明治時代には小田原町の要職を歴任したそうだ。

右から読む『店轉自戸瀬』の看板。転の旧字体が轉とは知らなかった。
江戸時代に京を目指す旅人は、ここ小田原宿で二日目の宿としたらしく大いに栄えたそうで、こんな歴史ある建物が居並ぶ様は見応えがあった。
さて私はというと、一日目が品川宿までで二日目が神奈川宿、三日目が戸塚宿で四日目が平塚宿。そしてここ小田原宿は五日目・・・。二日で小田原宿に到達した、江戸時代の人々の剛健ぶりに驚かされる。
小西薬房

片岡永左ヱ門本陣の先にある見るからに歴史がありそうなこちらは、寛永十年(1633年)創業の老舗薬屋、小西薬房。小田原藩の御用商人を務めたそうだ。

まだ八時すぎなので開店前だったが今も現役。いやはや、歴史が詰まった風情のある建造物だった。
外郎

小西薬房の筋向かいに小田原城がある・・・ではなく、八ツ棟造りが印象的なこちらのお店の名は外郎。その名の通り『外郎(ういろう)』発祥の老舗になる。
銘菓外郎の他には薬種『透頂香』が有名だそうだが、こちらもまだ営業時間前。本物の外郎を食べてみたかった。

うーん、やっぱり城にしか見えない。

外郎を過ぎると電車・・・駅??

退役した電車があるこちらは、箱根口ガレージ報徳広場。報徳社といえばながらスマホの元祖二宮尊徳(金次郎)だが、彼の幼少期の名前の金次郎を冠したきんじろうカフェなるおしゃれなカフェだった。

寄りたいところだが、私は本日あの山に登るという大仕事があるので、旅の序盤から一服するわけにはいかず、この天気が続いてくれることを祈りながら先を急ぐ。
山角天神社

その先、旧東海道から少し入った場所に見えるのが山角天神社。
境内には芭蕉の句碑「梅が香にのつと日の出る山路哉」があるそうだが、今日はここで手を合わせるのみとする。
小田原駅跡標石

山角天神社の先に気になる文字を発見。
『交通規制 1月2日・3日 箱根駅伝のため国道1号車両通行止め』あの有名な箱根駅伝の走路なのかあ・・・ではなく、その後ろ。

この小田原駅跡と書かれた標石だ。
ここは小田原駅があった場所。といっても、小田原-熱海間を走っていた人車鉄道(人間が客車を押す世界的にも珍しい鉄道)の小田原駅になる。
熱海までの25.6kmの距離は徒歩では約6時間かかっていたが、人車鉄道では約4時間で走った。速いのだか遅いのだか微妙!?

ここで旧東海道は東海道本線と箱根登山鉄道のガードをくぐり、

東海道新幹線のガード手前の、板橋見附交差点を右折する。
板橋口跡(上方口跡)

曲がった先にかつてあったのが小田原宿の上方口になる。
現在、その面影を残すのはこの説明板のみだが、

先ほどの交差点を曲がった後に一度北に折れて、ふたたび西に曲がっており、枡形の形が旧道としてよく残されていた。重要な宿場の入り口によくある線形だ。

そして東海道新幹線のガードをくぐると、歩道には石畳を模した装飾が現れた。箱根街道といえば石畳が有名で、この装飾がこの先ずっと施されていく。
そして路面はかなりぬかるんでおり、直前まで雨が降っていたようだ。この後も雨が降らないか心配。
そんなこちらの街道には昭和の古き建物が軒を連ねる。

とうふ屋に、

畳屋。

ALWAYS三丁目の夕日の一平や淳之介が駆け出して来そう!?

中にはこんな和洋折衷のお宅も。いいですねえ。

ところで、旧東海道を歩いていると街道に選挙ポスターを多く目にする。
前回歩いた大磯では河野太郎さんがやたら多く、ここ小田原やこの先の箱根では現職の牧島かれんさんのポスターが目立った。
それは時に街の景観を台無しにすることもあるが、私の地元では見られない方の名前を見るのがなかなか楽しい。
もちろん、私のブログに政治的意図はまったくない。あしからず。
宗福院地蔵堂

そんな雰囲気の良い街道にあるのが、地元から板橋のお地蔵さまと呼び親しまれている宗福院地蔵堂。
一木造りの大黒尊天や、境内に山﨑の戦いで戦死した官軍方の慰霊碑があった。

宗福院地蔵堂の先の箱根登山鉄道高架橋をくぐり、上板橋交差点で旧東海道はふたたび国道1号線と合流する。
小田原用水取入口

国道1号線に入るとすぐ左手にあるのが小田原用水取入口の碑。
箱根芦ノ湖を水源とする早川の水をこの地で取入れ、旧東海道に沿って小田原城下内に流した上水道で、後北条時代に造られたそうだ。
反対の歩道のため、しっかり撮れなかったが、現在でも用水の取入口が残っている。

小田原用水取入口からしばらく歩くと、右から先ほどくぐった箱根登山鉄道下りてくる。

その先にある君田島踏切を渡り、

渡った先のY字路を左に進むのが旧東海道になる。

街道はご覧の通り良い雰囲気なのだが、この辺りから雨がポツリポツリの顔に当たり始める。
なんとかこの雨量のまま、芦ノ湖までいってもらいたいのだが・・・。
八幡神社

そして右手にあったのが八幡神社。創建は文永十一年(1274年)と古く、風祭村の鎮守として崇められている。
境内には天保十五年(1844年)建立の御神燈や、弘化二年(1845年)建立の狛犬があルようなのだが、雨が心配なので先を急ぐ。

八幡神社の参道の横には石祠道祖神。旅人に癒しを与えてくれる道祖神に感謝しながら進む。
風祭の一里塚跡

石祠道祖神から200mほど歩き、右の少し奥まった場所に風祭の一里塚跡の説明看板がある。江戸日本橋から二十一里目(約84km)。よく歩いてきた。

跡地には赤い頭巾を被ったふっくらした地蔵尊坐像と、石祠道祖神が祀られていた。
うーん、どの角度から撮っても牧島かれんの主張が強すぎる・・・。
宝泉寺

風祭の一里塚のすぐ先にあるのが宝泉寺。
永禄元年(1558年)北条時長によって創建された宝泉寺だが、天正八年(1590年)の豊臣秀吉による小田原攻めで焼失してしまい、現在の御堂は安政元年(1854年)に再建されている。

宝泉寺を出ると雰囲気の良い道になり、ふたたび太陽が顔を出してきた。
暮れも押し迫る12月21日ということで、本来であればかなり寒い時期なのだが、この日は15度前後と過ごしやすく、持ってきた薄手の羽織物も歩いていると必要がないほどだった。
石祠道祖神

そして右手にまたも石祠道祖神がある。

この道祖神はアルコールが好物なのか、ビールやワンカップが手向けられていた。
ところで、みなさんの地域では道祖神があるだろうか?
私の住むおとなりの静岡県では道祖神がほぼ無く、この旅をするまで道祖神という言葉すらも知らなかった。静岡では道端に地蔵が祀られていることが多く、旅の初めのころは道祖神と地蔵を混同していた。
調べてみると、道祖神は土着の『神』で、地蔵が仏教由来の『菩薩(ぼさつ)』だそうだ。

そして旧東海道は箱根登山鉄道の入生田踏切を渡る。
駒ノ爪橋跡

入生田踏切を渡ったすぐ先に説明板がある。この場所は駒ノ爪橋跡。
解説によると、むかし源頼朝が富士の巻狩りから帰る際、この橋まで来ると馬が暴れてしまい、その際に橋の上に馬の蹄の跡が残ってしまったという逸話が残っていた。
そこで、旧東海道を歩く旅人は頼朝の馬の頑健な脚にあやかりたいと、道中足が痛まないように祈願したそうだ。
箱根越えに備えて、私の足もお願いする。
日本初の有料道路

駒ノ爪橋跡の先で国道1号線と合流するのだが、その手前にもう一つ説明板(写真右隅)が設置してある。

解説によると、明治八年、ここから湯本までの全長4.1kmの区間が日本初の有料道路として開通したそうだ。
福沢諭吉から「箱根山に人力車の通れる道を造れ」と提言され、江戸時代の東海道を拡げ、二箇所の急坂を人力車が通れる緩い勾配に付け替えたらしく、この辺りはその時に付け替えた道路とのこと。
なるほど、むかしから箱根街道は交通の要所だったのだ。

そして歩道はこの階段を登り、

国道を見下ろしながら箱根登山鉄道と並走し、

階段を下ったら、その先の交通安全箱根町モニュメント(白い角みたいなモニュメント)を斜め右に入る。

しばらく国道1号線と並行する細い道を進む。

そしてこの場所でまたも国道1号線と合流するのだが、ここが次の目的地になる。
山崎の古戦場碑

この場所にあるのが山崎の古戦場碑。合流の股の部分に碑があったので通り過ぎてしまったが、振り返ってその石碑を発見した(写真左の道を手前に歩いてきた)。

江戸の名剣士、伊庭八郎率いる旧幕府軍二百七十人と新政府軍との激戦の地だったらしく、敗れた八郎は左腕を失った。
ということで、しっかりと手を合わせて次に進む。

その後、歩道橋を渡り反対側の歩道に行くと、

大名行列の御一行様とすれ違う。
大名行列の掛け声、「低く〜低く〜」とは言われなかったが、生麦事件碑で勉強してきたので、失礼無き様にやり過ごしたことは言うまでもない。
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そして、その先の三枚橋の交差点を左折して、

早川を渡る。

ここからが本格的な箱根路の始まり。では、心して挑むことにする。
道祖神

三枚橋の袂には道祖神。
こちらは石祀内に男女双体の道祖神が祀られていた。

写真ではわかりづらいが、この辺りから急坂になる。
道は狭く歩道はほぼ無いのだが、そんな歩きづらい道に輪を掛けて、温泉地に向かうマイクロバスやクルマがなかなかの勢いで走っていて非常に怖い。いやー、先が思いやられる。

そんな中、道中最後のコンビニで一服し、

かの有名な万病の薬(別名ポカリ)で栄養を補給して準備万端。いざ芦ノ湖へ!
白山神社

コンビニのとなりにあったのが、湯本村と湯本茶屋村の鎮守、白山神社。
江戸時代まで白山権現と呼ばれた白山神社の境内には稲荷社や水神社があり、手水舎には白山水と呼ばれる御神水が湧き出ているそうだ。
ただ、本日は箱根登頂の大仕事があるため、今回は鳥居の前まで。

箱根湯本には多くの温泉旅館(ホテル)があったが、白山神社のとなりにあった箱根花紋は特に立派な佇まいだった。

調べてみると三つ星ホテル。通りで立派なわけだ。
今回は見どころが多く画像の読み込みが追いつかないため、3ページに分けた。次のページに行くには下の②をクリック願います。
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