大福のブログ

ライカを持って旧東海道を歩く【第12回】(三島宿→沼津宿)

今回は旧東海道踏破の旅の続き。

昨年末、東海道最大の難所である箱根八里をなんとか踏破した。

そして年が明けて2026年一発目は、三島宿を出発して沼津宿を経由して原宿を目指す。

ということで、今回はその午前の部。三島宿から沼津宿までになる。

では、前回の目的地だった三島宿の中心に位置する本町交差点から、ライカM11を首からぶら下げて、出発進行!

目次

世古本陣跡

本町交差点からすぐの場所にあるのが、二軒あった三島宿本陣のうちの一軒、世古本陣跡。

世古本陣は一の本陣と呼ばれ、世古六太夫が務めた。

安政四年(1857年)に三島宿に泊まったアメリカ人のハリスが、世古本陣の日本庭園の素晴らしさを日記に書いているらしい。

そんな美しき日本庭園があった世古本陣の現在はこんな感じに。

樋口本陣跡

もう一軒の本陣は、世古本陣の向かいにあった樋口本陣。

写真では少しわかりにくいが、歩道に碑と、商店の前に説明板が設置してあった。

樋口本陣にあった茶室不二亭は、近くの三嶋大社に移築されているそうだ。

旧東海道は、三島広小路というよく整備された商店街になっており、正月三が日ということで、歩道には日の丸が掲げられていた。

しばらく歩くと源兵衛橋を渡るが、その先に次の目的地が見えてきた。

時の鐘

こちらは時の鐘。江戸時代、明け六つ(現代の午前6時ごろ)と暮れ六つ(現代の午後6時ごろ)に、三島宿内に時を知らせた。

第二次世界大戦で鐘が軍用に共出されたため、現在の鐘は昭和二十五年に造られた二代目になる。

この日はとても寒かったのだが、鐘の横にはストーブや暖房機が設置されていてありがたかった。

そして時の鐘の先にある伊豆箱根鉄道駿豆線(通称いずっぱこ)の広小路踏切を横断し、

その先のY字路を道なりの左へ進む。

進んだ先はこんな感じで、三島市の中心街から少し外れた雰囲気。

こちらのお宅はむかし美容院をしていたのだろうか、などと考えながら歩くのが楽しい。

そして次の目的地が右に見えてきた。

林光寺

こちらは林光寺。

なんと武田信玄の子とされる故信上人が開山したお寺だそうだ。

武田信玄といえば山梨県を中心とした地域が領土だったことは有名だが、この先も元家臣たちの神社がありましたが、なぜなのか。

思えば今でも休日になると、山梨ナンバーの車両が多く静岡にやってくるが、甲斐国の人々は海に憧れがあるのだろうか?

西見附跡

林光寺の先で道がやや広くなっているが、この辺りにあったのが三島宿の京口の西見附があった場所になる。

この秋葉神社の前だったそうだ。

さあ、ここから三島宿を出て、沼津宿に向かう。

千貫樋

その西見附のとなりの境川橋が伊豆國と駿河國の境になる。

橋には説明板があり、それによると、天文二十四年(1555年)、今川、武田、北条が和睦し、証に北条氏康は小浜池から樋を築き、今川氏真に送水したそうで、この費用に銭千貫を要したらしく、千貫樋になったとのこと(諸説あり)。

その樋は当初木製だったが、大正十二年の関東大震災で崩落し、その後鉄筋コンクリートに改められた。

さあ、駿河国に帰ってきた(数時間前までいたのだが・・・)。

常夜燈

千貫樋の先には、弘化三年(1846年)建立の常夜燈が残されている。

これは名主をはじめとした村人が防火を願い造ったもので、両側には秋葉大権現と富士浅間宮という、火を鎮める神様の名が刻まれている。

美しい石灯籠をしっかりカメラに収めたいと思ったが、向かいの電柱の陰がちょうど常夜燈の真ん中に・・・こんなことある!?

晴天はいいことばかりじゃ無いんだ、と初めて知った・・・。

30分ほど待てば無くなるのだが、時間がないので泣く泣く先を急ぐ。

玉井寺の一里塚(伏見の一里塚)

常夜燈から700mほど歩いたところにあるのが玉井寺の一里塚。

玉井寺のとなりにあるこちらの一里塚は、慶長九年(1604年)に造られた当時のものがそのまま残っている。

石積みの柵がとっても良い感じで、非常に見応えがあった。

宝池寺の一里塚(伏見の一里塚)

玉井寺の一里塚の向かいの宝池寺の敷地内には宝池寺の一里塚があり、両方の一里塚は合わせて伏見の一里塚と呼ばれている。

こちら宝池寺の一里塚の方が形が整っているが、これは復元。長い年月で風雨にさらされて原型が損なわれたため、昭和六十年に原寸通りに復元された。

往時はここに立場があり、人夫が駕籠を停めて休憩したそうだ。

江戸日本橋から二十九里(約116km)を歩いてきた。

その後、国道1号線の沼津バイパスを横断して少し歩くと、右側に対面石の看板が見えてきた。

八幡神社

こちらは清水町の八幡神社になる。

入り口にも看板があった通り、この八幡神社といえば境内の対面石が有名。

ということで、本殿の左手奥にあるその石へ。

陰でわかりづらいが、ここにある二つの石が対面石。

となりにある説明看板によると、源頼朝と源義経が平家打倒を誓い合った際に腰掛けた石だそうだ。本当に!?

空は青く、ずっと富士山を右に見ながら歩くのが気持ちいい。

そして左には松並木が見えてきた。

江戸時代の旅人も、こんな景色を見ながら歩いていたのだろう。

智方神社

その松並木の向かいにあるのが智方神社。

鎌倉時代末期、皇族であり征夷大将軍だった護良親王は鎌倉で斬首され、従者が首級を奪って京に持ち帰る途中にこの先の黄瀬川の洪水に遭い、やむなくここに葬った。

そしてその場所にクスノキを植え、後に智方神社が創建されたそうだ。

黄瀬川といえば令和三年七月の豪雨で黄瀬川大橋が崩落したが、むかしも暴れ川だったのか。

その黄瀬川を渡る。

晴天のこの日は川が穏やかに流れ、愛鷹山の向こうの富士山が川面に写っていた。

黄瀬川を渡り少し歩くと、次の目的地が見えてきた。

潮音寺

このお寺は潮音寺。

潮音寺は駿河三十三観音霊場の三十三番札所で、かつて廃寺になった亀鶴山観音寺の本尊が移されたことで、亀鶴の伝説が残る歴史あるお寺になった。

私は視聴していなかったが、2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のゆかりの地として知られているようだ。

沼津藩傍示石

潮音寺のとなりに『従是西 沼津領』と書かれた碑がある。これは沼津藩の傍示石になる。

横の説明板によると、沼津は慶長十九年(1614年)に大久保忠佐の死後、程なくして天領となった。

その後、初代沼津藩主の水野出羽守忠友が二万石の大名になり、沼津の所領を与えられると、安永七年(1778年)に『従是西 沼津領』と書かれた傍示杭を設置。後年石製の現在のものに造り替えられたそうだ。

傍示石の先で旧東海道は左に曲がり、県道に合流する。

富士隠れ坂

ここは富士隠坂と呼ばれた場所だが・・・坂??

往時は急な堀割の上り坂だったそうだが、現在は土地改良が行われていて緩やかな上り。まったく苦になることのない道だった。

ずっと右に見えていた富士山の前に愛鷹山が現れ、剣ヶ峰が僅かに見える程度。これが富士隠坂の所以なのだろう。

ご覧の通り、私は右の歩道に移ったが、これが間違いの原因だった。

出発した時は肌寒い感じだったが、太陽が顔を出して日向ではちょうど良い。気持ちよく足を進め、本来左に入るべき大岡二ツ谷東交差点を直進してしまい、その先のY字路を大岡二ツ谷東交差点と勘違い。

次に向かう平作地蔵や沼津の一里塚が無く、後に合流する交差点の付近でやっと間違いに気付き引き返す羽目に。結局1km以上無駄に歩いてしまった。

本来は富士隠れ坂の先のこのY字路を左に進む(もう一度元に戻って撮影している・・・)。

そして狩野川の土手下を歩き、

黒瀬橋のガードをくぐると次の目的地になる。

平作地蔵

こちらは平作地蔵。中には地蔵が大切に安置されていた。

平作地蔵尊は浄瑠璃『伊賀越道中双六』に出てくる沼津の平作にゆかりの深い地蔵で、日本三大仇討ちの一つとされているそうだ。

となりにあった説明板を載せておくので、興味のある方はどうぞ。

平作地蔵から100mあまり先に次の目的地が見えてくる。

沼津の一里塚

一里塚公園内にあるのが沼津の一里塚(日枝の一里塚)。こちらは縮小して復元されている。

そして伏見の一里塚から一里(約4km)も距離があったかなあ(実際には道を間違え4km以上歩いたが)と思ったが、本来一里の距離だと沼津宿内になり、それを避けるために里数が短くなっているそうだ。

公園内には一里塚の説明があり、それによると江戸幕府が慶長四年(1604年)に主要街道に一里塚を設ける以前は一里は六町だったそうだが、一里を三十六町に変えた際、その周知を目的にしたらしい。

ここまで何度も一里塚の説明板を見てきたが、このことは書かれていなかったので学びになった。

また、公園内には玉砥石がある。これは今から二百年から三百年ほど前、玉類を磨くために用いられていた砥石になる。

沼津の一里塚の先で、先ほど歩いてきた道とふたたび合流。

500mほど進み、この交差点を斜め左に曲がる。

わかりにくい場所だが、左手に『旧東海道 川廊通り』の標石が設置してある。

川廊通りは右にゆるく曲がっているのだが、そのカーブの外側に水神社がある。

神社に手を合わせ、その先の狩野川を見てみると、青く澄んだ空が水面に映りとても綺麗だった。

奥に見えるのは鷲頭山だろうか。

歩みの記録

水神社の先、沼津宿に入って程なく歩いたこの丁字路で、午前中の部を終了とする。

小田原宿から箱根宿を経由して三島宿までの、いわゆる箱根八里では何度もある急坂と石畳に苦労したが、今回はその坂や石畳がなく、楽しく歩くことができた。

さて、三島と沼津といえば、静岡県東部の覇権争いをする両市。古くは沼津市が優勢だったが、新幹線駅が開業してからは三島市が優勢になっているようだ。歩いて両市を見てみた感想は・・・うーん、甲乙つけ難し。

では、いつものようにiPhoneのフィットネスアプリのデータで、歩みの記録を見てみる。

  • 出発日:2026年1月3日(土)
  • 時 間:9時40分から12時16分(2時間36分)
  • 距 離:8.69km
  • 高 度:51m
  • 天 気:晴れ
  • 気 温:4度
  • 湿 度:52%

9時40分に三島宿を出発して沼津宿に到着したのが12時16分ということで、約2時間半を要したが、その原因は道間違い。文中でも書いた通り、終盤に大きく旧東海道を外れて引き返した結果、20分ほど無駄にしてしまい、通常一里半、現在の道では6kmの距離を8.7kmも歩いてしまった。

ただ、急ぐ旅ではなく、ウォーキングを楽しみながらののんびり旅なので、まあ良い経験としよう。

ということで、沼津宿に到着した私が午後に向かうのは原宿。

次回もゆっくりのんびり名所旧跡を巡りながら旅を進めていくので、興味のある方は下のバナーから続きをぜひ。

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