ライカを持って旧東海道を歩く【第31回】(舞坂宿→新居宿)

今回も旧東海道踏破の旅の続き。

この日の午前中に浜松宿から舞坂宿の茗荷屋脇本陣に到着。そこで紹介していただいた地物の海鮮丼に舌鼓を打ち、

ふたたび舞坂宿茗荷屋脇本陣に戻ってきた。

午後はここから新居宿へ。一里半の短い道のりだが、今切の渡しや新居の関所など見どころの多い区間になる。

それでは、ビール給油で気分上げ上げで、しゅっぱーつ!

目次

西町常夜燈

茗荷屋脇本陣を出てすぐの左手にあるのが西町常夜燈。

前回も書いた通り、舞坂宿は文化六年(1809年)の元日に宿場の大半を焼き尽くす大火事に見舞われ、それをきっかけに火伏のための常夜燈を宿場内に三つ建設したが、その一つが文化十年(1813年)建立の西町常夜燈になる。

そのまままっすぐに浜名湖を見に行きたいところだが、旧東海道は西町常夜燈のある交差点を左折する。

まあ、浜名湖はこのあと存分に見られることになる。

本雁木・北雁木跡

その交差点の先には本雁木があった。浜名湖における雁木とは、今切の渡しの渡船場のこと。

浜名湖は元々汽水湖だったが、明応七年(1498年)の地震で遠州灘と繋がり、その切れ口を今切と呼ぶようになった。

そこを渡るための船着場がこの雁木になり、水面に向かって階段状に石垣が組まれていたそうだ。

浜名湖東岸の雁木は、この一般武士や旅人が利用する本雁木のほかに三箇所あり、南側に庶民や馬、荷物の積み下ろしに利用した南雁木と、大名や幕府役人など身分の高い人が利用した北雁木がある。

こちらが大名や幕府役人が利用した北雁木。

現在も石が敷かれている北雁木。スロープ状になっているが、元からスロープ状だったのか、それとも元々は階段で現在までにスロープ状に改修されたのかは不明らしい。

浜名湖

北雁木を出てすぐに浜名湖に出る。

江戸時代は雁木から舟で渡った浜名湖だが、現在は北側の二つの島に橋が架かっていてそこを渡る。

最初の橋である弁天橋から今切口を望む。浜松宿を出発した時点では曇りがちだったが、次第に晴れ、浜名湖の湖面が太陽に照らされてとても綺麗だ。

南側に見える大きな橋は国道1号線浜名バイパスの浜名大橋で、写真左手が今切口になる。明応七年(1498年)の地震より前までは、あの場所が地続きとなっていて、そこを歩いていたらしい。

浜名湖にある赤鳥居は、高さ18mの観光シンボルタワーと呼ばれるもの。

弁天島に到着すると、島の南側に何本ものヤシの木が植えられていて、南国の雰囲気を演出していた。

弁天島に着いたら150mほど歩き、この交差点を左に向かい国道301号線に合流する。

弁天神社

その国道との合流地点に、宝永六年(1709年)に今切の渡しの安全を祈願して創建されたという、弁天神社がある。

弁天島はかつて孤島と呼ばれていたが、弁天神社が鎮座したことにより、この地が弁天島と呼ばれるようになったそうだ。

境内には正岡子規の俳句が刻まれた碑があった。

弁天神社の先に東海道本線の弁天島駅があり、ここが弁天島の中心街。

狭い島にリゾートホテルやリゾートマンションなどが所狭しと建ち並んでいたが、現在は観光地としての活気が薄れているように感じた。

弁天島の西岸からもう一度今切口を望む。

国道301号線を横断して中浜名橋の歩道橋を渡り新弁天に向かう。

通行量に比べて広い歩道橋は、さらに広かったのか右側が埋められているようだ。

歩道橋はかつて自動車用の橋だったと推測するが、どうだろう??

人工島の新弁天は特に見どころはなく、こんな雰囲気の道を淡々と歩く。

今日は浜松宿からずっと東海道本線、東海道新幹線と並走しているが、新弁天西岸のこの下は新幹線撮影スポットとして有名な場所。

もう一つのブログサイトで紹介したが、こんな感じで撮ることができる。

西浜名橋歩道橋を渡る。やはりこの歩道橋も道幅が広く、進行方向右側のフェンスの向こうが埋められている。おそらくここも元は自動車橋だったのだろう。

浜名湖を渡り切るとお城のような建物が目を引く。

駐車場に放置された冷蔵庫やテーブルから察するに、レストランとして営業していたのだろうか。

ここを右に入り、スロープを上り、右の陸橋を渡ると浜名湖競艇場になるのだが、大規模な工事を行なっていた。

先に見える陸橋は、東海道新幹線の有名撮影スポットだったが、撤去されてしまうのだろうか。

ちなみにあそこから撮った写真がこちら。おそらく多くの方がどこかで見たアングルだろう。

そして新居町駅を右手に見ながら進み、

浜名川を渡ると、

本日最後の目的地が見えてきた。

新居関所跡

ここが新居関所(正式名称は今切関所)があった場所になる。新居関所は元禄十二年(1699年)の高潮と、宝永四年(1707年)の宝永地震の二度移転をしているが、ここは宝永五年(1708年)以降の場所。

幕府は江戸を守るために全国に53の関所を設け、『入り鉄炮と出女』(鉄砲などの武器の所持と女性の出入り)を厳しく取り締まったが、新居関所は江戸幕府が誕生する前の慶長五年(1600年)に創建され、幕府直轄(元禄十五年(1702年)以降は吉田城主管理)として最高の警備体制が敷かれた。

写真に写るのは、全国で唯一現存する関所の建物で、観覧料400円を支払うと中に入ることができ、取り調べの様子を見られる。

こちらは大御門。高さ5.8m、幅4.6mの高麗門で、明け六つ(午前6時)に開き、暮れ六つ(午後6時)に閉まった。

大御門は復元ではあるものの、なかなかの迫力だった。

大御門の横には、往時さながらに本格復元された高札場が設置されていた。

高札場の西側には枡形の広場が広がっていたそうだ。

旅の記録

今回は新居関所大御門の前で終了とする。

では、いつものようにiPhoneのフィットネスアプリで、旅の記録を確認してみる。

  • 出発日:2026年6月10日(水)
  • 時 間:13時55分から15時28分(1時間33分)
  • 距 離:5.06km
  • 高 度:33m
  • 天 気:晴れ
  • 気 温:24度
  • 湿 度:64%

舞坂宿から新居宿までは約5kmと短い区間だったが、快晴の中、太陽に照らされた美しい浜名湖を見ながら、1時間30分気持ちよく歩くことができた。そして最後に訪れた新居関所はかなり見応えがあった。

ということで今回は以上。次回はここ新居宿から白須賀宿までを歩くので、興味のある方はお付き合いください。

面倒ですがポチッとお願いします

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 大福様 紀行文、いつも興味深く拝見させていただいております。
    雁木というのは、雪国で積雪時でも街を歩きやすくするため、軒から庇を突き出して雪が積もりにくくするものだと思っていました。船着き場などに作られた石段のことも雁木というのですね。身分によって使う雁木が違うというのも面白いですね。狐島が弁天島に名を変えた経緯も面白い。狐島ならお稲荷さんを建てるということは考えなかったのかしら。そうすると狐島のままでもよかったかも・・・。 (^-^*) 子規の句碑、興味があったので調べてみました。「天の川 濱名の橋の十文字」のようですね。天の川と濱名の橋が直交しているといった風景を読んだものでしょうか。本当にそういった風景を目にしたのかどうか分かりませんが、雄大な句であることは間違いないように思います。何といっても北には浜名湖、南には遠州灘ですから・・・。子規の気持ちも高ぶっていたに違いありません。新幹線の写真、素晴らしいですね。私が孫達に見せたら大騒ぎするかも知れませんので秘密にしておきます。 (^_^;) 新居の関所跡、さすがですね。東海道を通る人々に睨みをきかせたという雰囲気が写真を拝見しただけで伝わってくるようです。
    また次の紀行文、楽しみにしております。気をつけて旅をお続けくださいますように。

  • asamoyosiさん、いつもありがとうございます。

    雁木とは積雪時に歩行空間を確保するための建築構造の他にも、水辺へ降りるために設けられた階段状の構造物としての意味もあるようですね。

    狐島、確かに、キツネならばお稲荷さんですよね。

    鉄道の写真は他にも多く撮っているので、よかったらお孫さんにどうぞwww

    https://motorsport-photography.net/category/railway/

    今回もasamoyosiさんに教えていただきました。次回もぜひ、勉強させてくださいね!

    では!

コメントする

CAPTCHA


目次