大福のブログ

ライカを持って旧東海道を歩く【第15回】(吉原宿→蒲原宿)

今回は旧東海道踏破の旅の15回目。前回は現富士市の吉原宿に到着し、今回はこの日の午後に歩いた蒲原宿までの道のりになる。

吉原宿を出発するのが午後1時半。日暮れが早い真冬の旅。日暮れ前までに蒲原宿に辿り着けるのか心配だが、まあのんびり楽しみながら歩いていこう。

ライカM11を首からぶら下げて、では、吉原宿内の本町踏切から出発進行!

目次

野口祖右衛門脇本陣跡

本町踏切を横断すると吉原商店街になり、写真の交差点を斜め左に向かう。

引き続き商店街が軒を連ね、その一角に、

ノグチカメラの看板がある。こちらが野口祖右衛門脇本陣があった場所。

屋号から察するに、子孫の方が経営しているのだろうか。

長谷川八郎兵衛下本陣跡

野口祖右衛門脇本陣跡のすぐ先に近藤薬局があり、ここが長谷川八郎兵衛下本陣があった場所になるようだ。

四ツ目屋杉山平左衛門脇本陣跡

長谷川八郎兵衛下本陣跡の筋向いにあったのが四ツ目屋杉山平左衛門脇本陣。

現在はおもちゃのキムラになっている。

銭屋矢部清兵衛脇本陣跡

その先にあった銭屋矢部清兵衛脇本陣は、現在、御菓子司南岳堂になっていた。

旧東海道はその先の交差点を左折し、

100mほど先のこの交差点を右折。

旧東海道は商店街から一転した。

西木戸跡

しばらく歩くと緩い左カーブになるが、ここにあったのが吉原宿の京口(西口)。

跡地には標識があり、それによると、富士山修験の拠点興法寺に東海道から来る富士登拝者を導くため、吉原宿西木戸を登山口とする村山道の起点が設定されたそうだ。

静岡県民として、一度は富士登山をしてみたいが、その時は絶対に五合目から。さすがにここから登り始めるのは厳しいだろう。

旧東海道は吉原宿を後にすると志軒橋を渡り、国道139号線に合流する。

時刻は14時過ぎ。この日は原宿を出発してから何も食べていないため、もう腹ペコ。

吉原商店街で地元のものを食べたかったのだが目ぼしい店がなく、フラフラここまで歩いてきた。

ここで、ホルモン王国大ちゃんなる店があったので入店。

ホルモン二倍にご飯大盛りを、クラシックラガーで流し込み復活!

ほろ酔い気分で店を出て振り返ると、雄大な富士の山。富士市は多くの主要道が富士山に向かって通されていて、ついつい富士山に目がいってしまう。

そんなことを思って歩いていると、交差点を通り過ぎていた。

本当は写真を手前に向かって歩き、ここを右折(写真では左)するのが旧東海道になる。

そしてすぐの交差点を左折する。

曲がった道はこんな感じの住宅街に。

青嶋八幡神社

少し歩くと青嶋八幡神社参道の碑がある。

こちらが青嶋八幡神社。

中吉原宿が大津波に襲われたにもかかわらず、検地に反対し、磔(はりつけ)になった名主を祀っている神社だそう。

道祖神

青嶋八幡神社の参道となりの道端に道祖神があった。

神奈川県では頻繁にあった道祖神は、静岡県に入ってからめっきり見なくなったが、久々に遭遇して気分がほっこり。

江戸時代からどれだけの人の旅の安全を祈願してくれたのだろう。

少し歩くと変則の五差路に出る。旧東海道は斜め右の写真HODAKAの方向に進む。

そして200mほど進み、

橋が見えてきたらその手前のこの交差点を右に曲がり、

次の交差点を左に曲がり、

江戸時代は三度橋と呼ばれた冨安橋を渡る。

橋を渡り300mほど歩くと、塀の間にお顔がチラリ。

袂の賽神像

愛嬌のある大きなお顔のこちらは、村の入り口を守る袂の賽神像という名の道祖神だ。

様々なカタチの道祖神は、今もむかしも東海道を旅する人に、ほっこりとした安堵の気持ちを与えてくれる。

旧東海道間宿本市場碑

袂の賽神像からしばらく歩くと、富士市の公共施設の一角に旧東海道間宿本市場碑があった。

この辺りは吉原宿と蒲原宿の間にあり、間宿本市場として茶屋などが立ち並んでいたそうだ。

そんな本市場の名物は、白酒、葱(ねぎ)雑炊、肥後ずいきなどで、多くの旅人たちで賑わったという。

碑の傍には『右かんばら宿』の古い標識も。簡単に書かれているので、蒲原宿はすぐ近くに感じるが、実際には富士川を渡ったずっと先・・・。

鶴芝の碑

旧東海道間宿本市場碑のすぐ先にも碑がある。

こちらは文政三年(1820年)に建てられたという鶴芝の碑。

二百年以上前の石碑のため文字がよく見えないが、どうやら画家芦州の絵と、儒者亀田鵬斎の詩文が刻まれているようだ。

鶴の茶屋から雪の富士を眺めると、中腹に一羽の鶴が待っている雪景が名勝だったそうな。

鶴芝の碑の先で突き当たり!?

江戸日本橋から150km近く歩いてきたが、ここで終了??

いや、大通りで分断されているが、中央分離帯に旧東海道跡地の標識がある通り、この先に旧東海道は続いているので、左右どちらかの横断歩道を使い向こう側に渡る。

大通りを渡ると今度は変則の交差点があるので、写真中央の黄色いお宅の左側、

この一方通行を入るのが旧東海道。

すると道は左右に曲がっていて、いかにも旧東海道という雰囲気になる。

本市場の一里塚跡

そして左手の花壇の付近にあったのが本市場の一里塚跡。

塚は現存していないが、旧東海道一里塚と刻まれた歴史を感じる石碑が建っていた。

江戸日本橋から三十五里(約140km)。

時刻は15時半だが、冬の太陽はすでに低くなり、本市場の一里塚跡の先にあった富士第一小学校の校舎が西陽に照らされていい感じに撮れた。

蒲原宿まではまだ長い。今回も日没後の到着になりそうだ。

道祖神

小学校の先の四ツ角に道祖神がある。箱根宿を過ぎてから、三島市、沼津市と道祖神は撤去されていたが、ここ富士市ではまだ残してくれている。

ただ、この道祖神を見ると・・・。

交差点にあるため車に突っ込まれたのか土台に修復の跡があり、針金で縛られていてかわいそう。

本来、道行く方の安全を祈願する道祖神だが、この場所じゃ交通の障害になりそう。

まあ、建てられた江戸時代はそんなことはなかったはず。ここに交差点を造った行政が悪い!?

栄立寺

道祖神のすぐ先にあるのが栄立寺。

開山の日賢上人は、ここを拠点にして日蓮宗の普及に努めた。

金正寺

栄立寺の道を挟んで向かいにあるのが金正寺。こちらのお寺は駿河の大地主松永家の菩提寺だそう。

その松永家が金正寺のとなりにあり、ガイドブックによると現在はフジホワイトホテルになっているとあるが、現在は更地になっていて、富士山が綺麗に西陽を浴びている姿を望むことができた。

札の辻跡

その先にあったのが、大正五年建立の札の辻碑。

となりには猿田彦大神塔が祀られていた。

稲荷神社

少し歩くと可愛らしい稲荷神社が見えてきた。

覆屋内に本殿が祀られていて、境内には男女双体道祖神が設置されていた。

秋葉常夜燈

稲荷神社のすぐ先には、寛政六年(1794年)建立の秋葉常夜燈がある。

年季の入った常夜燈があると、歴史ある街道を歩いているんだと思い起こさせてくれる。

常夜燈から200mほど歩いた先のこの交差点を左に進み、県道に合流する。

曲がった先の県道は、以前国道1号線だったと記憶している。

そして身延線のガードをくぐり、

ここを斜め右に入る。

道標と慶応元年(1865年)建立の秋葉常夜燈が目印。

ただ道標には右ではなく左東海道と刻まれている。江戸時代は線形が違っていたのだろうか。

そして次の交差点を左に行き、

次のY字路を右に進む。

ちょっと複雑。

道は左に弧を描き、先ほど歩いた県道が見えるので、ここを右に曲がり合流する。

まあ、県道を真っ直ぐ歩いてくればいいのだが、少しでも旧東海道を再現して歩くのが小さな私のこだわりだ。

少し歩くと富士川に架かるトラス橋が見えてきた。

水神社

富士川の袂にあるのが水神社。

境内には富士川渡船場跡碑や、宝暦八年(1758年)建立の富士山道道標などがあるそうだが、時刻は16時半になり、太陽が山に沈んでしまったので先を急ぐ。

富士川から夕暮れの富士を望む

そして私の旧東海道の旅はついに富士川を渡り、生まれ育った静岡市にさらに近づく。

東京からここまで歩いて来たことが信じられない。

すでに太陽は西の空に沈んだが、日本一の高さを誇る富士の山は、まだ太陽の光を浴びている。

本日は風もなく、富士川の水面には、逆さ富士がくっきりと写し出されていた。

富士川を渡ったら横断歩道を横断して、右へ行き山肌傳に歩く。斜め左に行けば一本道で蒲原宿に着くのに・・・。

なぜ旧東海道は平坦な左前方を歩くのではなく、山を登らせたのか。おそらくだが、頻繁に起こった東海地震に伴う津波への対策だろう。

そして一本目の細い道を左に進み、

道なりに左に曲がり坂道を駆け上がる。

振り返ると富士山が赤く染まっていた。

そして右に曲がってさらに登り、

突き当たりを左へ。

秋葉山常夜燈

すると道端に秋葉山常夜燈が見えてきた。

こちらは嘉永六年(1853年)建立。ここから蒲原宿まで常夜燈が続く。

そして枡形を抜けると、

立派な屋敷が見えてきた。

小休本陣常磐家

こちらは富士川の渡船名主を務めた小休本陣常磐家。参勤大名や公家は、ここで乗船の支度をしたそうだ。

現存する建物は江戸末期の建築で、国の登録有形文化財に指定されていている。

土日祝日に無料公開されているそうだが、すでに17時で門が閉められていたため、残念ながら観覧することはできなかった。

続く秋葉山常夜燈

小休本陣常磐家の敷地内に秋葉山常夜燈がある。

その先を緩やかに左に進むのだが、

この交差点にもあり、

その先にも、享和三年(1803年)建立の秋葉山常夜燈があった。

秋葉山常夜燈は、江戸時代から伝わる防火の神様の秋葉山への信仰に基づき、街道沿いや村の入り口に建てられた石灯籠。

静岡県西部から全国に広がったそうだが、ここ静岡県中部に位置する岩渕周辺には、特に多く見られた。

岩渕の一里塚

そして旧東海道は右に直角に曲がるのだが、ここが岩渕の一里塚。かなり日が暮れて見えにくいが、ここの一里塚は東西両方の塚を残している。

こちら東側の塚の榎は虫害で昭和四十二年に枯死したため、昭和四十五年に植えた二代目になる。

こちら西側の塚の榎は江戸時代からのもの。

二十年ほど前の写真を見ると、高く伸びていたようだが、現在は切り落とされかなり疲れているように見える。なんとか生き長らえてもらいたいものだ。

江戸日本橋から三十七里(約148km)。ちなみに三十六里の一里塚が無かったが、築造の記録が無いようだ。

岩渕の一里塚で直角に曲がり、その先を道なりに左へ(写真撮り忘れ)。

左手に文政三年(1819年)建立の常夜燈を見ながら歩き、

その先の角を右に曲がり、

緩やかに左に弧を描く。

防火倉庫の前に秋葉山常夜燈。

防火の神様である秋葉山信仰で建てられた秋葉山常夜燈なので、理に適った場所だ。

そして、旧東海道は右に曲がりながら東名高速道路のガードをくぐる。

この辺りの地理を知る私としては、もっと南を通せば平坦なのに、と思うのだが・・・。

実相院寺標

東名高速のガードをくぐった先の突き当たりにあったのが実相院寺標。

歴史を感じさせる石碑には、野田山不動明王、弘法大師、聖徳太子と刻まれていたが、これが何を意味するのか私には分からない。

突き当たりの実相院寺標を左に曲がり、東名高速の側道を歩く。

そして道なりに右に折れて、

その先のY字路を左方向に進む。

ここですっかり日が暮れて辺りは真っ暗。

暗がりの中、ライカM11でじっくり撮影すると良い写真になるのだが、一日中歩き疲れ果てた状況で、手ぶれ補正を搭載しないライカM11での撮影はもう限界だ。ということで、ここからはiPhoneのカメラ機能に変更。

手軽に撮影するには、150万円以上のカメラがよりもスマホが最適。

そしてこのY字路を左に進み、

少し歩いた先のこのY字路も斜め左方向へ。

ちなみにガイドブックでは右とあるが、行き止まりの看板があり、Googleマップでも左が旧東海道と書いてある(その先で合流する)。

すぐに東海道新幹線のガードをくぐり、

その先から坂を登る。

三十年以上前、当時は庵原郡富士川町だったこの地で二年間みっちり営業活動をしていたが、ほぼ海沿い。この辺りまで営業に来ることは無かったなあ。

そしてしばらく歩くと車の音が聞こえ、ふたたび東名高速の側道になる。

生まれ育った静岡市に

旧東海道はここを左折して東名高速を跨ぐのだが、

この角に静岡市の看板。

江戸日本橋から歩き続け、ついに生まれ育った静岡市に戻ってきた!

いや、一日歩き通した後は、いつも静岡市の自宅に戻っているのだが、それでも感慨深い。

ただ、全国で有数の広大な面積を誇る静岡市で、我が家は府中宿の先なのでまだまだ先。それまで本当の感動はお預け。

東名高速を渡るとうっすら富士山の姿が確認できた。少しずつ遠ざかっていくのが名残惜しい・・・。

渡った先を斜め右に進み、

旧東海道はここから駿河湾方向に南下し下り道になる。

光蓮寺

下り坂の途中にあったのが光蓮寺。敷地内に浄瑠璃姫の位牌があるそうだ。

そして坂を下り切ったらこの角を右に進む。

蒲原の一里塚跡

すると、すぐの民家の軒先に一里塚の石碑があった。

この場所は蒲原の一里塚があった場所。

蒲原の一里塚は元禄十二年(1699年)の大津波で流失してしまい、それに伴う蒲原宿の移転によりここに移されたそうだが、今はこの石碑のみだった。

東木戸跡

旧東海道はここで緩やかな枡形になっているが、

ここにあったのが江戸(東)口。ここから蒲原宿に入る。

東木戸には宿内安全と刻まれた常夜燈が文政十三年(1831年)に設置され、今もその姿を残している。

東木戸跡の先の諏訪橋を渡る。

私がこの辺りで営業活動をしていた三十年前にもすでにあった、印象的などデカい四本のパイプは、年月とともに錆が出て、夜見るとちょっと怖さを感じる。

歩みの記録

そして蒲原宿の中心のこの旧型ポストの前で本日は終了。

すっかり日が暮れた蒲原宿・・・。いやー、もっと早く出発しておけばよかった。

では、いつものようにiPhoneのフィットネスアプリのデータから、歩みの記録を確認する。

  • 出発日:2026年1月12日(月)
  • 時 間:13時29分から18時16分(4時間47分)
  • 距 離:13.15km
  • 高 度:130m
  • 天 気:晴れ
  • 気 温:7度
  • 湿 度:34%

13時半に吉原宿を出発して蒲原宿に着いたのが18時過ぎ。途中30分ほど昼食を摂ったので、歩いた時間は4時間と少しだった。

吉原宿と蒲原宿の間は二里半十二町二十三間で、現在の道での実測が12kmだが、途中空腹に耐えかねて彷徨った影響からか、総距離は13.15kmとかなり多くなった。

最後に山肌を歩いたことで上昇した高度は130mといつもより少し多かった。

ということで今回は以上。次回は新しいライカレンズを購入したので、そのレンズの初陣として蒲原宿から由比宿までを歩く。興味のある方は下記のバナーからぜひお付き合いを。

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