大福のブログ

ライカを持って旧東海道を歩く【第9回】(大磯宿→小田原宿)

目次

等覺院

坂の途中にあったのが等覺院。

境内にあるこのフジは樹齢約四百年の大樹で、元和九年(1623年)徳川三代将軍家光上洛のおりに、ここに駕を止めてフジの花をめでたそうだ。

徳川家光と同じフジを見ることができるなんて不思議。

ところで、フジってそんなに長寿なの??

そして旧東海道は国道1号線とふたたび合流。この合流地点が次の目的地になる。

石仏石塔群

こちらは石仏石塔が並ぶ道祖神。

天神社碑などもあり、なかなか賑やかな道祖神だった。

そして押切坂上の交差点で、旧東海道は左に逸れるのだが、そこが次の目的地。

押切坂の一里塚

交差点のすぐ脇に石碑と説明板があるが、ここが押切坂の一里塚があった場所になる。江戸日本橋から十八里(約72km)。

大磯宿と小田原宿の中間地点に当たる押切坂の一里塚は、北側の塚は一丈二尺(約3.6m)で欅(けやき)が植えられ、南側の塚は高さ一丈(約3m)で上に榎(かえで)が植えられていたそうだ。

また周囲には茶屋や商店が軒を並べ、梅沢の立場と呼ばれ、旅人で大変に賑わったという。

国道1号線から一本入った旧東海道はこんな雰囲気に。

松尾茶屋本陣跡

そしてこちらの緑色のお宅の場所が松尾茶屋本陣跡になる。

お宅の庭には碑と説明板があった。

大磯宿と小田原宿は四里(16km)と長い上、押切坂や酒匂川が控えていることから間の宿として梅沢の立場があり、前述の通り大いに賑わったという。その中心がこの松尾本陣で、参勤交代の諸大名や宮家、幕府役人などの特権階級にあたる人たちの休憩所に指定されていた。

こちら和田家には、本陣を利用した人々の記録である御休帳が保存されているそうだ。

男女双体道祖神

その先には、宝暦二年(1752年)造立の男女双体道祖神がある。

道が斜めになっていることで傾いていて、できれば直してあげたい・・・。

旧東海道は道を下り、またも国道1号線に合流。

中村川に架かる押切橋を渡ると、

小田原市に入った。時刻はまだ14時40分。今日は陽が暮れる前に宿場に到着できるか!?

車坂

そして坂を登り頂点に差し掛かると、遠くに相模湾が見えてきた。

この辺りは車坂という古くからの景勝地で、坂を下って行った先には碑があり、となりの解説では太田道灌、源実朝、北林禅尼の歌が記されていた。

浅間神社

車坂の下り道の横には、宝永四年(1707年)の富士山噴火によって落下した火山岩が奉納される浅間神社がある。

境内には幾体もの道祖神が祀られていて、賑やかだった。

大山道道標

車坂を下った先に従是大山道と刻まれた大山道道標があった。

ここは羽根尾通り入口。並びに秋葉山常夜燈と道祖神もあったが、縦並びが勿体無い。

かつては東海道と並行してあったが、道路を開通させるためにこのような並びになったのだろうか。

道祖神

その先には道祖神が続く。まず大山道道標の先には男女双体道祖神と坂下道祖神。

そこから300mほど先にの中宿公民館の敷地内には男女双体道祖神。

その500mほど先には、よだれかけの男女双体道祖神があった。

何度も書くが、旧東海道を歩くと道祖神にほっこり安心感をもらう。きっと江戸時代の旅人も同じ気持ちだったはず。

その先の国府津駅でお手洗いをお借りする。コンビニや公的施設が多い都会では気にならなかったが、田舎を歩いているとなかなかお手洗いがないのが難点。

まあ、男だからいざとなったら何とかなるが、旧東海道踏破をする女性の方はトイレチェックは必須かも。

親鸞聖人御庵室御勤堂碑

国府津駅の先にあるのが親鸞聖人御庵室御勤堂碑。

親鸞聖人とは平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した浄土真宗の宗祖で、親鸞聖人はここに草庵を結び、七年間布教に努めたそうだ。

真楽寺

親鸞聖人御庵室御勤堂碑の100mほど西に行った場所にあるのが真楽寺。

元は天台宗だったが、先の親鸞聖人の教化により浄土真宗に改宗したとのこと。

その後、森戸川に架かる親木橋から富士山と箱根連山を望む。時刻は16時になり、太陽はまもなく沈んでしまいそう。先を急がねば・・・。

小八幡の一里塚跡

親木橋から500mほど歩いた、説明板の辺りにあったのが、小八幡の一里塚。江戸日本橋から十九番目(約76km)の一里塚になる。

小八幡の一里塚は天保年中の相模国風土記稿に、『東海道中の東にあり、左右相対せり、高二間、舗六七間、塚上に松樹あり上は小田原入口一里、下は淘綾郡山西村小名梅沢の一里塚に続けり』と書かれていた。

要するに、相対する塚は、高さが約3.6mで長さが約12mあり、塚の上には松の木があったとのこと。

その後、東海道らしい立派な名残り松を見ながら歩いていると、

私の住む静岡まで100kmの道路標識。

目的地は京三条大橋だが、我が家までの節目の距離を示す道路標識を見ると嬉しくなる。

旧川辺本陣跡

こちらは鎌倉街道の酒匂宿の本陣、旧川辺本陣があった場所。現在はゆりかご園という地域育児センターになっており、江戸時代後期に建てられた建物が大切に保管されていた。

江戸時代の建物は威厳があって良い。実に綺麗に残されているが、本当に当時物?

酒匂不動尊

旧川辺本陣跡の筋向いにあるのが酒匂不動尊。

成田山末寺で、本尊は成田山不動明王坐像。長寿に御利益があるそうだ。

酒匂川の渡し碑

酒匂川の袂には酒匂川の渡し碑があった。

説明によると、酒匂川は東海道五十三次中の難所の一つで船渡しが行われてたが、延宝二年(1669年)に船渡しが禁止されると、夏は川越人足に夜徒歩渡し、冬は仮橋が架けられ往来したそうだ。

11月ということでまだ冬と呼ぶには早いが、橋を使って酒匂川を渡る。

陽が暮れて辺りは次第に暗くなっていく。

酒匂川を渡り切ると辺りは夕闇に。先ほど渡った酒匂橋は酒匂の渡しの南側なので、この場所を右折して旧東海道に戻る。

おいおい、暗いぞ、細いぞ、狭いぞ、この道でいいのか? と思いながら進むも、

この丁字路を右折して無事旧東海道に復帰。よかった。

すぐに道は左に曲がり、

このガソリンスタンドの交差点を左折し、

先ほど酒匂川を渡ってきた国道1号線を渡り、真っ直ぐに進む。

すると変則の交差点があるので、右に直角方向に曲がる。

少し歩き、国道1号線と合流する。

まあ、酒匂川から国1を真っ直ぐにくればいいだけの話なのだが、旧東海道を可能な限り忠実に歩くのが今回の旅の目的なので、かなり遠回りをしている・・・。

尚、空が明るく見えるが、カメラのISOを思いっきり上げて開放F値でスローシャッターで撮っているからで、実際には相当に暗い。

こちらが復帰した国道1号線です。

ここで悲しいお知らせを。

今回の旅は先ほど書いた通り旧東海道を可能な限り忠実に歩くとともに、ライカM11で撮ることを目的としている。

しかし、この日はすでに五里(約20Km)を歩き疲れている状況の中、手ぶれ補正を搭載しないM型ライカを使い真っ暗な状況でスローシャッターで集中して撮影するのは無理。ということで、iPhone16Pro MAXでの撮影に切り替える。

えっ?どうでもいい??

すみません、みなさんに共感いただけないであろう、どうでもいいこだわりなのだ。

山王橋を渡ると、

次の目的地に到着。

iPhone16Pro MAXの内蔵カメラで撮影したが、軽くてオートフォーカスも効くしブレない。メッチャ楽だ。

色もいいって?

いや、それだけは言わないでおくんなさい・・・。

山王神社

こちらは山王神社。

元々は南方の沿岸部に鎮座していたが、津波により社殿が破壊されたため、慶長十八年(1613年)にここへ遷座したそうだ。

小田原に着陣した家康は、ここで戦勝を祈願した。

宗福寺

山王神社のとなりにあるのが宗福寺。

1590年の小田原攻めの際に、豊臣秀吉が山中城で戦死した人々を追悼するために創建された寺で、その後、家康は日々参詣したそうだ。

江戸口見附跡ならび小田原の一里塚

この浜町の歩道橋の場所が、江戸口見附跡(山王口)と小田原の一里塚(山王原の一里塚)が横並びであった場所。

歩道橋の脇には柵で囲まれた場所があり、中央に石碑が建っていた。江戸日本橋から二十里(約80km)。

その歩道橋の上から見た現在の小田原宿。

うーん、夜はライカM11よりもiPhone16Pro MAXの方が綺麗かも・・・(禁句だった)。

本日は朝から四里(約17km)の長い道のりを歩いてきたが、ようやく小田原宿の入口に到着。目的地まではあとわずかになる。

その先の新宿交差点で国道1号線と別れ左折。

そして一本目のこの角を右折し、

小田原名物の老舗かまぼこ店が軒を連ねるかまぼこ通りに合流する。

古清水脇本陣跡

しばらく歩くと左手にあるのが小田原脇本陣古清水旅館の看板。この場所に古清水脇本陣があった。

この建物の二階に資料館があるようだが、もうクタクタなので今回は通過する。

清水金左衛門本陣跡

そして古清水脇本陣のとなりにあったのが、小田原宿の四軒あった本陣の一つ、清水金左衛門本陣があった場所。

清水金左衛門本陣は明治維新後に明治天皇がご宿泊。それを記念して石碑が建てられていた。

旧網問屋(現なりわい交流館)

清水金左衛門本陣のとなりにあったのが網問屋。現在は小田原宿なりわい交流館として、市民や観光客の集いの場になっている。

交流館の前の柳の木が何ともいい雰囲気を醸していた。

旅の記録

小田原宿の中心だった旧網問屋で本日の行程は終了。

大磯宿がある大磯町から二宮町を経由して小田原市の小田原宿まで、海沿いの道を中心に長い道のりを歩いてきた。車坂など途中に見える相模湾の景色が特に綺麗だったが、いやー、疲れた・・・。

では、いつものようにiPhoneのフィットネスアプリのデータで、旅の詳細を見てみる。

  • 出発日:2025年11月23日(日)
  • 時 間:11時13分から17時58分(6時間45分)
  • 距 離:20.02km
  • 高 度:99m
  • 天 気:曇り
  • 気 温:14度
  • 湿 度:66%

大磯宿を出発したのが11時13分で、小田原宿到着がほぼ18時ということで、途中昼食の時間を除いても6時間以上、20kmの道のりを歩いた。

この日前半の平塚宿から大磯宿までを加えると、一日では今までの最長となる六里(24km以上)を踏破し、かなりキツかった。一日十里(約40Km)は歩いたという江戸時代の旅人に比べたら少ないが、個人的にはよく歩いたと思う。

さて、次回は東海道五十三次の前半のハイライト、箱根越えになる。

旧東海道を再現したという、足元の不安定な石畳みを踏みしめながら、長く険しい登り坂に挑戦したので、興味のある方は下のバナーからどうぞ。

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