今回は旧東海道歩き旅の40回目。
前回、岡崎宿から池鯉鮒宿を歩いてから約4週間が経ち、季節は秋になった。が、それは暦の上だけ。本日も真夏の旅と同じくTシャツでちょうどいい。

3連休初日で賑わう静岡駅に到着し、静岡発の一番列車に乗って豊橋へ。

旧東海道歩き旅が始まる前は一度も乗ったことのなかった名鉄だが、すでに乗り慣れた。そんな名鉄乗車区間も、今回で最後になるだろう。

知立駅で下車して、前回のゴール地点である池鯉鮒宿永田本陣跡に到着。今日はまず、ここ池鯉鮒宿から鳴海宿を目指す。

尚、今回のレンズは久々の1958年製元祖ズマロン28mm。クラシックな描写を楽しんでいただけたら幸いだ。
また、カメラストラップは、一昨日届いたシルク製のいわゆるロープストラップを初投入する。この旅では一日中カメラをぶら下げて歩くので、首や肩への負担が大きいが、どれだけ軽減してくれるのかが個人的には楽しみ。
では、しゅっぱーつ!
カメラ:LEICA M11
レンズ:LEITZ SUMMARON F5.6/2.8cm
知立城址

永田本陣跡は旧東海道の裏手にあるので、まずは旧東海道に復帰し、この丁字路を右に曲がると、

知立城址の碑がある。
この城は、織田信長の攻めにより上洛し、その後は将軍が上洛する際の御殿になったが、元禄の大地震で倒壊したそうだ。

また、ここは明治天皇が東京行幸の折に休憩をされた場所のようで、それを示す碑が建っている。
道中で多くの東幸の碑を見てきたが、これまでで一番立派な碑かもしれない。
了運寺

旧東海道は知立城址の先を左に曲がるのだが、その突き当たりに立派な瓦屋根が見える。

了運寺だ。四脚城楼門と呼ばれる山門は非常にインパクトがあった。
また、本堂にはタイ国渡来の釈迦如来像を安置しているそうだ。

了運寺前を左に曲がり、文化四年(1807年)建立の池鯉鮒大明神常夜燈を右手に見ながら進む。
ちなみに常夜燈が建っているのは、池鯉鮒名物『大あんまき』の老舗小松屋の敷地内。私は前回、もう一つの老舗藤田屋のあんまきを土産で購入したが、とても美味しく、翌日には4本すべてを平らげてしまった。家族のために購入したのに・・・。
総持寺跡大イチョウ

旧東海道は国道414号線に突き当たるので、地下道をくぐって抜けるのだが、

その地下道入り口に、総持寺跡大イチョウの立看板がある。

その大イチョウは駐車場の先に植っていた。
総持寺は嘉祥年間(845-851年)に創建され明治五年に廃寺になった(大正十五年に別の場所に再建)総持寺だが、樹齢二百年余りのこの大イチョウが総持寺のかつての場所を教えてくれている。

地下道をくぐり、

街道はご覧の通りの雰囲気に。

この池鯉鮒大明神常夜燈は安永七年(1778年)建立。
ちなみに池鯉鮒大明神とは、この後訪れる知立神社の江戸時代までの呼び名になる。
静岡県内に多くあった秋葉山常夜燈は火伏の神だったが、池鯉鮒大明神(知立神社)はマムシ除けの神様なので、マムシを退治するために建てられたのかも。

いつもコメントをくださるasamoyosiさんに教えてもらった、竜宮門と呼ばれる山門が印象的なこちらのお寺は・・・総持寺!?
先ほど大イチョウの項で説明した総持寺は、別の場所に再建されたとあったが、それがここだったのか、と、一人でニンマリする。
知立神社

総持寺の向かいを入り、右手に池が印象的な公園がある。この辺りに知立神社があるのだが・・・。
そう思い、建物の隙間を進むと、無事知立神社の境内へ。本当は鳥居から入るべきだが、神様すみません。

どうやら本堂は改修中だったのだが、立派な神社で多くの見どころがあった。

境内の御手洗池には錦鯉や鮒が気持ちよく泳いでいるが、これが池鯉鮒宿の由来になったそうだ。
かつてこの池に住んでいた片目の魚は、身代わりとして娘の目の病から救ったためとの言い伝えがある。

御手洗池に架かる太鼓橋は、享保十七年(1732年)に架けられた歴史ある橋。

多宝塔と呼ばれるこの木造塔の美しい装飾に目を奪われた。
こちらは永正六年(1509年)に建てられたものらしく、廃仏毀釈の際に一部取り外されたりしたものの、大正九年の解体修理の際にこの姿に戻されたとのこと。

知立神社を出るとこの交差点を右に折れ、

逢妻川に架かる逢妻橋を渡る。
ちなみに逢妻川の名前は、在原業平を慕って京から来た杜若姫が、川を隔てて出会ったことに由来している。

逢妻川を渡ったら、変則の交差点を左に進み、国道1号線に合流する。

するとすぐに刈谷市に入る。
キロポストを見ると東京から340kmと書かれており、旧東海道もほぼ同じ距離。自分の脚だけで歩いてきたことが信じられない。
一ツ木の一里塚跡

時刻は8時半。セブンイレブンでおむすびを買い、軽い朝食を済ませる。

そして、セブンイレブンサインポールとなりの横断歩道の下に、一里塚の碑があった。この場所にかつて一ツ木の一里塚が存在していた。
一ツ木の一里塚の塚木は松が植えられていたそうだが、ここも例に漏れず国道1号線開通の折に撤去されてしまったようだ。

次に備えてこの歩道橋を渡り、

その先のこの細い道を右に入る。
静岡県では東海道ルネッサンスと書かれた定型の道標が設置されていてわかりやすかったが、愛知県では旧東海道を案内する道標がなく、非常にわかりづらい。

土壁が顕になった古い建物。いつの時代に廃屋になったのだろうかと考えるのがちょっと楽しい。

この辺りは春になると桜が楽しめる場所。

そして交差点を渡り、

すぐのY字路を左に進み、

坂を下って国道1号線に合流するも、

すぐの歩道橋を渡り、

歩道橋を下りた場所にある、国道1号線から斜めに入る道を進む。
洞隣寺

すると左に見えたのが洞隣寺。

洞隣寺は、天正八年(1580年)刈谷城主水野忠重の開基になる。
墓地には、斬り合いになりともに亡くなった中津藩士の墓石が、互いを避けるように傾いていた。
また、青年僧に一目惚れした村娘が片思いのあまりに死んだ、めったいくやしいの墓も。墓石から夜な夜な「めったいくやしい」という声が聞こえたらしい・・・。
いもかわうどん

洞隣寺からすぐの場所にある、芋川うどん発祥之地碑。
『いもかわうどん』は平うどんで、尾張の『きしめん』と東の『ひもかわうどん』の起源とされ、ここ今川村の立場名物だった。

令和七年十二月建立と、これまで見てきた石碑の中で最新だった。
乗願寺

乗願寺は天正十五年(1587年)創建のお寺。

こちらの本堂には、刈谷藩初代藩主の土井利信と、二代目藩主の三浦明喬の位牌が安置されているそうだ。

乗願寺の先には連子格子が印象的な旧家が残っている。
乗蓮寺

こちらは乗蓮寺。

境内には立派なシイの木があるが、こちらはなんと樹齢850年!ホントに!?

その大樹の根元の空間にタヌキが棲みついていたそうな。

その乗蓮寺の向かいには、長屋門が歴史を感じる旧家が目を引いた。
お富士松

旧東海道から左に外れ、名鉄富士松駅の前にあるのがお富士松。
桶狭間の合戦後、今川勢が西へ急ぐ旅人を信長のまわし者として斬り殺した。それを哀れに思った村人が、旅人を丁寧に葬り、一本の松、お富士松を植えて供養したらしい。
実はお富士松はここより東南200mほどの位置にあったようだが、伊勢湾台風で枯れてしまったため、ここに新たに植えられてそうだ。


旧東海道に復帰して、歩道橋を渡り、

道なりに左に曲がり、

すぐの歩道を右に進む。

そして橋の欄干の下を、

小川とともに進み、

国道1号線をくぐったら左の横断歩道を渡り、その先の斜め右の道に入る。
尾張國へ

Pascoブランドで有名な敷島パンの巨大な工場を右手に見ながら進むと、

境川を渡るが、ここが三河國と尾張國の国境、現在は刈谷市と豊明市の市境になる。
慶長六年(1601年)に東海道に伝馬制度が設けられ、程なくして尾張と三河の立ち合いで、ここに境橋が架けられた。

その橋は三河側の東が土橋で、中程より西の尾張側が板橋だったということで、三河の質素、尾張の派手好みという気質をあらわしているんだそうだ。
たしかに名古屋(尾張藩)はいまでも結婚披露宴など、とにかく派手だといわれているが、板橋が派手か否かは現代人の私には理解できない。

境橋を渡った先には、その継ぎ橋を詠った烏丸光廣狂歌碑がある。
うち渡る
尾張の国の境橋
これやにかわの
継目なるらん

旧東海道はふたたび国道1号線と合流し、伊勢湾岸自動車道の高架をくぐる。

名古屋まで22km。本日のゴールは名古屋市の宮宿だが、先はまだ長い・・・。

左手に見えるのは名鉄豊明駅。ここからは延々名鉄名古屋本線と並走することになる。
西蓮寺

豊明駅の先に西蓮寺がある。明応年間(1492-1501年)創建で、本尊は阿弥陀如来。

並走する名鉄名古屋本線は頻繁に列車が往来し、大都会名古屋が近づいていることが伺える。

そして、このY字路で国道1号線を離れ、左に入り、

県道の高架をくぐる。

時刻は10時を過ぎ、夏のような太陽の日差しが照りつける。暑いっ。
阿野の一里塚

すると左右に木が生い茂る場所が見えてきた。

ここが現存する阿野の一里塚の南塚になる。

塚はかなり低くなり、四方は削られていて円形ではないが、都会の中で生きながらえてくれたことに感動。

塚の傍らには、文化五年(1808年)建立の南無阿弥陀仏と刻まれた道標もあった。

振り向くとなんと北塚も現存しているではないか!?

いやー、いいものを見させてもらった。
江戸日本橋から八十六里目(337.2km)。

一里塚を過ぎると、旧東海道は緩やかに上り始める。坂の途中、小学校正門前の階段で一休みして汗を拭う。

畳を天日干しする畳屋。最近は少なくなった畳店だが、旧東海道は今でも営業中。
坂部善光寺

現代風の建物だが、こちらは坂部善光寺という明治五年創建のお寺。

境内には『是ヨリ三番へ十六丁』と刻まれた、古い道標があった。
西雲寺

その先の名鉄前後駅の近くにあるのが西雲寺。

境内の手水鉢は文政十一年(1828年)建立。

ところで、お寺にサボテンをよく見かけるが、サボテンはアメリカ大陸が原産でしょ?なぜ日本のお寺に??

その先のマックスバリューの前には連子格子の旧家があり、旧東海道らしい雰囲気を感じさせてくれた。

この辺りの旧東海道はセンターラインのない道だが、車の通りは結構ある。
そして公民館の前に石碑。

寂応庵跡と刻まれたこの場所は、かつて、旅人に茶の接待をした僧侶の庵があった場所らしい。

しばらく進み、この交差点でふたたび国道1号線と合流。

交差点で右手を見ると、馬が乗った電光掲示板。どうやらここが、あの中京競馬場の入り口のようだ。
かなり気になったが、グッと我慢をして通り過ぎると、

それまでずっと左を通っていた名鉄名古屋本線のが、私の上を通って右に移動する。
桶狭間古戦場跡

そのガードをくぐると、桶狭間古戦場の標識がある。
我が静岡の英雄・・・いや、英雄ではないが、駿府を治めていた今川氏が負けた場所なので、せっかくなので見ておこう。

ということで、旧東海道を左に曲がるとすぐに桶狭間古戦場の碑が見えてきた。
中に入り説明書きを見ていると、どこからともなくおじさんがやってきて、
おじさん「どこから来たんですか?」
大福「静岡です」
おじさん「まさに今川氏の地元。説明しましょうか?」
と、人懐っこい笑顔で話しかけていただいた。
ただ、私は日が暮れる前に宮宿まで辿り着かなくてはならず、丁重にお断りをした。

その後、
おじさん「ここぜひ撮ってって」
という。どうやらおじさんは桶狭間ガイドボランティアだったようだ。




桶狭間古戦場には多くの見どころがあり、やっぱり解説を聴いておけばよかったと後悔するのであった。
中京競馬場

桶狭間古戦場を後にすると、先ほどの中京競馬場を思い出す。競馬場は今まで行ったことがない。ということで、引き返して入ってみることにした。

こちらがパドック。グランドスタンド(合ってる?)の裏手にあったとは知らなかった。
今日は中京での開催はなく、東京や京都で開催されるレースの馬券を買いに来た人がちらほらで、現在の競馬ファンはインターネットで購入しているのだろう。この後オーロラビジョン(合ってる?)でレースが放送されるのだが、ゴール間際で歓声を上げる人は意外にもいなかった。
遠いむかし、まだナリタブライアンが走っていたころに、山梨石和のWINSに何度か訪れたことがあったが、あのころは人でごった返し、ビジョンで流れる映像に競馬ファンが一喜一憂していたが、競馬人気は下火なのか?

そしてこどデカいグランドスタンド(合ってる?)に驚く!
中京競馬場で開催される伝統のGⅠレース、高松宮記念のときは、満員のスタンドから大きな声援が送られるのだろう。
初めての競馬場に興奮を抑えつつも先を急ぐため後にし、旧東海道に戻る。

そして、このY字路を斜め左に入る。

そして400mほど歩き、またも国道1号線に合流し、

次の信号機を今度は斜め右に向かう。国1を入ったり出たりと忙しい。

そして緩やかに下り、


鈴木朖歌碑、地蔵堂を見ながら進む。
間の宿有松

すると町並みが変わり、時代劇のセットに迷い込んだかのような雰囲気になる。
どうやらここは間の宿有松だった場所で、現在は絞り問屋の立派な町並みを約800mに渡り残している地域らしい。平成二十八年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたようなのだが、恥ずかしながら知らなかった。
では、その建造物を、じっくりと見てみよう。

こちらは築100年の旧商家だった建物で、現在は寿限無茶屋という手打ちめん処として営業しているそうだ。

中でも私に強烈な印象を与えたのが、紋問屋服部家の井桁屋の木造建築。有松の紋問屋の代表的な建物として紹介されていた。
服部家の創業は寛政二年(1790年)ということで、その頃に建てられたのだろうか。
そのほかにも無数の歴史的建造物があったので、代表的なものを紹介する。












その圧巻の光景に、ただただ驚くばかりだった。
有松の一里塚

間の宿有松が終わると有松の一里塚があった。

オリジナルの塚は大正十三年に撤去されて民地になってしまったが、地元民の強い熱意により、名古屋第二環状道路の高架下のスペースに、平成二十四年に両塚が現代風に復元された。
江戸日本橋から八十七里(341.6km)。

そして旧東海道は、名鉄名古屋本線の踏切を横断し、

釜砥橋を渡る。

こちらは名古屋市内では珍しい、江戸時代からの名残り松。

名残り松の先の右手には、神明社の参道がある。

秋葉常夜燈は文化三年(1806年)建立。
池鯉鮒宿から長く歩いてきたが、この常夜燈の場所が鳴海宿の江戸口になる。そんな鳴海の名は、海辺に近く潮騒が聞こえたことに由来する。
金剛寺

遠目からも立派な瓦屋根が特徴のこちらは金剛寺。当初は行者堂と称したそうだ。

クロマツの並びにある婦人姿碑を見ながら進み、

扇川にかかる中嶋橋を渡る。
瑞泉寺

すると右手にあるのが、根古屋城主安原宗範が創建した瑞泉寺。鬼瓦が印象的なこちらの山門は宝暦六年(1756年)建立で、愛知県有形文化財の指定を受けているそうだ。

本堂に近づこうとすると、あっと危ない。玉砂利もしっかりと掃き清められ、綺麗な模様になっていた。

そして今も残る枡形を抜けて、

左手の名古屋市緑生涯学習センターが、鳴海宿の問屋場跡になる。
千代倉本陣跡

そしてこの消防署の辺りにあったのが、鳴海宿の唯一の本陣千代倉本陣があった場所になる。
幕末の資料によると、本陣の規模は、間口が39mで奥行きが51m、建坪は235坪、総畳数159畳だったそうだ。
旅の記録
ということで、今回は千代倉本陣跡で終了とする。
では、いつものようにiPhoneのフィットネスアプリのデータを確認してみよう。
- 出発日:2026年10月10日(土)
- 時 間:7時34分から13時42分(6時間08分)
- 距 離:19.12km
- 高 度:168m
- 天 気:晴れ
- 気 温:22度
- 湿 度:73%
今回は池鯉鮒宿から鳴海宿まで19.12kmの距離を歩き、6時間8分を要した。歩いた距離は前回の岡崎宿から池鯉鮒宿の18.62kmを超えて、今までで最長になる。
まあ、本来この区間は12.5kmほどと旧東海道の中ではずば抜けて長くはないのだが、途中、中京競馬場に立ち寄った影響で伸びてしまった。
疲れ果てたが、本日の旅はまだ終わらない。次回はこの後に歩いた鳴海宿から宮宿までの道中を書いていくので、ぜひ、お付き合いを願いたい。

コメント
コメント一覧 (1件)
大福様 こんばんは。道中を続けるには心地よい季節になってきましたね。とはいうものの、日中は汗ばむような日もありますが・・・。
知立城址、かつてお城があったことを全く感じさせませんね。完全に時代の波に飲み込まれてしまって原形をとどめていないのでしょうね。了運寺の楼門、本当に立派です。浄土宗のお寺なんですね。総持寺という名前のお寺、各地にあるのですが、名前の持つ意味は「大勢の人々の願いをすべて(総て)持ち備えた仏様や観音様がいらっしゃるお寺」 だそうです。池鯉鮒大明神はマムシよけの神様ですか。私はマムシはもちろん長物には滅法弱い方なので、お守りが欲しい~! 移転した総持寺の竜宮門も立派ですね。 池鯉鮒って気になる地名だったのですが、知立神社の池にその起源があるのですね。勉強になります。御手洗池にかかる太鼓橋も可愛らしく趣がありますね。多宝塔は真言宗のシンボルとされる塔。もしかして知立神社にあったお寺は真言宗のお寺だったのかもですね。総持寺という名前は禅宗と真言宗によくつけられていたような印象があります。もしかすると、総持寺と知立神社は元は一緒に祀られていたのでは・・・。とこれは私の勝手な想像です。逢妻橋はもしかして伊勢物語に出てくる有名な八つ橋と関係があるのでしょうか。杜若姫とあるので・・・。「からごろも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」 太字だけを読むと「かきつばた」となる例の歌です。どんなところかと思っていたのですが・・・。
愛知県と静岡県での道標の違い、どうしてでしょうね。歴史に対する自治体の向かい方といえばいいのでしょうか。古き良きものの保存には連携して取り組んで欲しいですよね。自治体の文化的教養の違いがわかったりして・・・。(^_^;)
洞隣寺の写真を拝見して、もしやこれは禅宗(曹洞宗)のお寺?と思えるような雰囲気ですね。当たっているかどうかわかりませんが。
「いもかわうどん」初めて聞く名前です。名古屋の「きしめん」はよく耳にしますが・・・。ところで、きしめんの発祥の地は和歌山という説もあるそうです。「きしゅうめん」がなまって「きしめん」になったとか・・・。乗願寺の先にある連子格子もいい雰囲気ですね。こういう建物を見ると日本だな~と思ってしまいます。(^-^*)
乗連寺・・・、蓮の上に乗っている仏様を表しているのでしょうか。乗願寺、乗連寺共に普通なら浄願寺、浄蓮寺とか言うのがよく見るお寺の名前のように思うのですが、そうではなく、どちらも「乗」になっているのですね。馬が好きなお坊さんだったのかしら・・・。(^_^;) 乗連寺のシイの見事な木、できるシイの実も半端じゃないでしょうね。手で拾うと言うより、ホウキで掻き集めるようにしなければならないような・・・。子供達にとっては格好の遊び場になるでしょうね。あっ、そうだ、昔の子供達にとってはですよね。お富士松の言い伝え、地域の人たちの心優しさが伝わってくるようで素敵です。三河と尾張の境に架かる橋の言われ面白いですね。「ほんまかいな」と思ってしまいます。こちらでも地域によって。あそこはケチな町、こちらは見栄っ張りの町と言ったようなことが良く言われていますが・・・。(^_^;)
阿野の一里塚、立派ですね。植わっているのは「桜」ですか?葉っぱの紅葉具合から見てそう思うのですが、一里塚に桜はないかもですね。
坂部善光寺モダンな建物と言えるかも知れませんが、大阪の有名な一心寺は度肝を抜かれるほどモダンですよ。歴史は古いのに・・・。西雲寺のサボテン、もしかしてリュウゼツランでは? なかなか花が咲かないので、咲いたときはニュースになることもあります。それに最寄り駅が前後駅とは変わった名前ですね。何か謂れがあるのでしょうか。
桶狭間については若かりし頃、東下りをした際、国道1号線を通っていて「桶狭間」と書かれたバス停か路面電車の駅の標識(路面電車があったのかどうかもわかりませんが・・・)が車のライトに照らし出されたときのことが強く印象に残っています。それまで想像していたのと全然違う普通の町並みだったからです。
競馬には学生時代何度か行ったことがあります。一度も当たりは取ったことはありませんが、見ていて楽しかったことだけは覚えています。間の宿有松、こんなところが当時の面影を残したまま残されているのは驚きです。こんな景観を残すには大変なことも多かったでしょうに、頭が下がる思いがします。瑞泉寺の扁額、力強い字ですね。ネットを駆使して調べたところ、曇華峰(どんげぼう)と読むことが分かりました。曇華(どんげ)は優曇華の略で3千年に一度咲く非常に珍しい奇跡の花のことだそうです。峰(ぼう)は修行の場を表すとか・・・。何だか身の引き締まるような気がするお寺のようですね。
今回もいろいろ興味深いところをご紹介くださり、ありがとうございました。
次回も楽しみにしています。お気をつけて旅をなさってくださいますように。