ライカを持って旧街道を歩くサイト。現在は旧東海道を歩いており、江戸日本橋から41番目の宿場である宮宿に到着しました。ゴールの京三条大橋を目指し歩き続けます!

同郷の大先輩!?『東海道中膝栗毛』の作者十返舎一九の生家跡を訪ねる

  • URLをコピーしました!

十返舎一九。言わずと知れた『東海道中膝栗毛』の作者だ。

弥次さん喜多さんのお調子者おじさんコンビが旅路でドタバタ劇を演じる『東海道中膝栗毛』は、享和二年(1802年)から文政五年(1822年)の20年間で本編18冊と続編25冊の全43冊が創刊され、江戸時代、空前のヒットとなった。

もちろん私のブログ『ライカを持って膝栗毛』の名前も、十返舎一九の作品から拝借した。

旧東海道を歩いていると、今でも各所で弥次喜多の名前やイラストを目にしたが、とりわけ多かったのが静岡県内。それもそのはず。弥次さんの出身は駿府府中の生まれで、相棒の喜多さんはとなりの江尻宿。二人は現在の静岡市出身という設定で、作者の十返舎一九も同じく静岡市(駿河府中)で生まれ、19歳まで暮らしていたようなのだ。

実は私、十返舎一九の名前は知っていたが、私と同じく静岡市の出身ということはこの旅を始めるまで知らなかった。静岡市民なのにお恥ずかしい・・・。

同じ東海道を歩き描く私と彼が同郷だと知り、急に親近感が湧いてきた。メディアとしての規模は違いすぎるが・・・。

さて、私の大先輩(?)の十返舎一九が、19歳まで生活していた場所が、駿府府中のどの辺りなのか?

どうやらその場所とは静岡市の中心街。では、向かってみることにしよう。

徳川家康公が幼少期の晩年に住まいとした駿府城、現在の駿府城公園から安倍川に向かう本通りを歩き、両替町通りを左折し、50mほど進むと、

8階建ての立派なマンションがあり、

その入り口に『東海道中膝栗毛作者十返舎一九生家跡伝承地』と書かれた標柱が建っていた。ここが、かの十返舎一九が19歳まで暮らしていた場所なのだ。

私の自宅から1km圏内なので今まで何十回も通っているが、こんな標柱があったとは知らなかった・・・。気にしていないとなかなか気付かぬものだなあ。

生家跡が面する両替町通りは静岡市随一の飲屋街の入り口。十返舎一九といえば生涯酒を愛したことで有名だが、その生家が静岡市随一の飲屋街とは偶然か、いや、往時からすでに駿府府中宿の中心だった場所なので、一九は酔っ払いを見て育ったのだろう。

余談だが、東京の銀座は、ここ両替町にあった銀座役所がルーツ。徳川家康公が大御所として駿府にいた時代の慶長十一年(1606年)ごろに、銀貨を鋳造する銀座役所が現在の静岡市葵区両替町に設けられ、慶長十七年(1612年)に現在の東京都中央区銀座2丁目に移され銀座の起源になったのだ。

旧東海道踏破の旅の第1回で、東京銀座の銀座役所(銀貨幣鋳造所)跡を歩いているので、興味のある方は下のバナーからどうぞ。

話が逸れてしまったが、あらためて十返舎一九の話題に戻そう。標柱のとなりにはちょうど二年前の令和六年に建てられた説明板があったので、要約してみる。

説明板より

一九は明和二年(1765年)に重田幾八の子としてここ両替町1丁目に生まれ育った。本名は重田貞一(しげたさだかつ)で、市次郎と呼ばれていた。

天明三年(1783年)十九歳の時に江戸に行き、その後大坂で大名や旗本の屋敷に使えたがすぐに辞め、浄瑠璃作者を志すが、ふたたび江戸に戻り、黄表紙や洒落本、合巻本などの作品を数多く発表した。

中でも享和二年(1802年)、一九が三十八歳の時に刊行した浮世道中膝栗毛(のちの東海道中膝栗毛)は爆発的なヒットになり、以後筆一本で生計を立てた日本最初の職業作家になった。

天保二年(1831年)に享年六十七歳で亡くなった。東陽院の墓碑に刻まれた辞世の狂歌は、

この世をば
どりゃお暇に
線香の
煙と共に
はい左様なら

一九の親の職業は、駿府町奉行所の水道同心(現在の水道局職員)というお堅い職種。そんな親から生まれた子が、奇想天外な物語を生み出したとは驚きだ。

一九が大坂で志した浄瑠璃とは、三味線の伴奏に合わせて物語を節をつけて語る芸能で、今でも伝統芸能として残っている。

江戸に戻って制作した黄表紙、洒落本、合巻本とは、絵と文章で物語を楽しむ、ちょっとエッチな大人向けの娯楽本。その後の大ヒット作、東海道中膝栗毛の元になったのだろう。

そして最後に書かれた辞世の狂歌が、小粋で実に彼らしい。

この世をば
どりゃお暇に
線香の
煙と共に
はい左様なら

何度も読み返したくなる名文句だなあ。

十返舎一九。今まで名前だけは知っていたが、まさか自分と同じ静岡市で生まれ、同じ東海道を歩いた大先輩だったとは。

一九が東海道を旅して『東海道中膝栗毛』を書き上げたのに対し、私はライカを片手に東海道を歩き、その道中をブログに綴っている。

もちろん、彼の作品が江戸時代のベストセラーになったのに対し、私のブログはまだまだ足元にも及ばない。それでも、同じ故郷で生まれ、同じ道を辿りながら、その旅の記録を後世に残そうとしている。そう考えると、勝手ながら親近感を覚えてしまう。

いつか私のブログも、誰かに「読んでみたい」と思ってもらえるような記録になればいいのだが・・・。

そんなことを思いながら、同郷の大先輩に別れを告げ、再び旧東海道を歩く旅へと戻ることにした。

面倒ですがポチッとお願いします

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

シェアしていただくと励みになります
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

ライター紹介

静岡生まれ静岡育ち現在も静岡在住の50代、大福と申します。平日は会社に御奉公し、週末はライカを持って旧街道を歩いてます。

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 大福様 こんばんは。十返舎一九が駿河の生まれとは全然知りませんでした。気になって江戸時代の有名人を検索したところ、彼の他に賀茂真淵、山田長政もいらっしゃるのですね。国学者に冒険家? 多士済々と言ったところですね。😲

    • asamoyosiさん、こんばんは。静岡生まれながら、私も一九が静岡出身とは全く知りませんでした。
      勝手に親近感を覚えたので、東海道中膝栗毛の漫画本を買ってしまいました。

コメントする

CAPTCHA


目次