私の旧東海道踏破の旅は、可能な限り江戸時代の東海道をなぞって歩いている。丸子宿と岡部宿の間にある宇津ノ谷も、江戸時代に使われた道を通って峠越えをした。
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そのため、国の登録有名文化財である明治宇津ノ谷隧道、通称明治のトンネルを歩くことは叶わなかったので、あらためて訪れてみることにした。
本日は、ライカM11に1958年製ライツズマロン2.8cm F5.6を装着して、前半はモノクロで撮影してみた。ライツズマロン2.8cm F5.6はモノクロフィルム時代に設計されたレンズ。最新のM11でも明暗差を強調するM型ライカの伝統を受け継いでいるので、レンズのポテンシャルを存分に発揮してくれるはずなので、歴史のある明治のトンネルを表現できるだろう。

まずは歴史深い宇津ノ谷の集落を見ながら進む(写真は進行方向と逆)。
写真奥に写る自転車の若い2人は、「やっと、怖いとこ抜けたっ!」と話をしながら過ぎ去った。そう、明治のトンネルは我が地元では化トンと呼ばれる心霊スポットなので、自宅から車で10分あまりの場所なのに1度しか訪れたことがない。
まあ、この手の話は古いトンネルに付きものだ、と思いながら進むも、ちとビビり気味の52歳・・・。

明治のトンネルは自動車の通行ができないので、3台ほどが止められる駐車場に車を置く。
ちなみに本日は歩きではなく車。道が狭いため、久々に小回りのきくスズキツインを出動させた。趣のある写真が撮れるライカのモノクロだが、それでもツインは可愛らしく撮れてしまう。
では化けトン、いや、明治のトンネルに向かってみよう。

歩き始めるとすぐに、明治宇津ノ谷隧道が現れた。
トンネルからヒンヤリとした空気が流れ吹き、悠久の時を重ねた国の登録有形文化財は、そのオーラをさらに増す。
開口部から覗くと203m先の出口が見えるが、実は明治九年の完成当初はくの字に曲がっていたという。当時は測量採掘技術が未熟だったため、両側から掘った結果、曲がってしまったそうだ。明治二十九年に照明用カンテラの失火により火災が発生し崩落。その後改修工事が行われ、明治三十七年に現在の姿で再開した。

では、恐る恐るトンネルに入ってみる。

頭上には初代トンネルが出火した原因の灯が設置してあるが、往時のカンテラではなく現在は電気式。ただ、往時のカンテラの雰囲気をしっかりと再現したオレンジの色で趣を感じる。

明治のトンネルの最大の特徴は壁面の赤レンガ。丸いトンネルに敷き詰められる様は圧巻だ。トンネル内に水がポトリポトリと落ちている影響で赤レンガは所どころ色が変わり、歴史の深さを感じる。

そして203mのトンネルはここで終了した。

明治宇津ノ谷隧道の岡部宿側。お、奥に人影が!?化けトンに住む幽霊か??
いや、あの人影は今挨拶を交わした、朝のウォーキングをする地元の方。お化けではない・・・。

トンネルの入り口には、国の登録有形文化財のプレートが、誇らしく掲げられていた。明治宇津ノ谷隧道は、平成九年に現役のトンネルとしては全国で初めて、国の登録有形文化財に登録されたそうだ。

ここからはカラーにして、もう一度明治のトンネルを歩いてみる。

灯の色味は岡部側が白色で、静岡側は橙色に近い感じ。カンテラは芯の長さや汚れ、燃料の吸い上げ具合で色味が変わるようで、それを再現しているのだろう。ちなみにこの八つの灯は、夜になると四つになり、より幻想的な雰囲気になるそうだ。

壁面の古い赤レンガには、トンネル内に滴る湧水で苔が生えたりシミができたりしているが、抜け落ち修復された物はまだ赤茶色をしており、その模様は映画のセットなどでは到底再現できない深みを感じる。

静岡側の橙色の灯に、

赤レンガが照らされ、また違った暖かさを感じる。

下1mほどは色味が違うが、これは後年に修復されたのだろうか。

ふたたび静岡側に戻ってきた。上の銘板は読むことができないが、おそらく右から左に『道隧谷ノ津宇』と書かれているのだろう。
宇津ノ谷峠の明治のトンネルを歩いてみたが、その感想は何よりその歴史の重み。赤レンガに覆われた203mの空間には、明治時代の人々がこのトンネルを掘り、東海道を行き交う人々のために道を切り開いた時代の記憶が残されているように思う。
現在もこうして歩くことができるのは、長い年月を経て大切に保存されてきたからこそだろう。

トンネルを出た先に、宇津ノ谷峠についての面白いジオラマがあったので見てみよう。
この写真は静岡市側から宇津ノ谷を見たもので、戦国時代まではジオラマ左端の蔦の細道で峠を越えていた。その後、豊臣秀吉が小田原征伐の際に開通させ、江戸時代に東海道として使用されたジオラマ右側の道。東海道の下をくぐって抜けたのが今回の明治のトンネルで、ジオラマでも東海道の下に開口部が確認できる。そして大正時代に着工して昭和五年に開通したのが、ジオラマ右端の大正のトンネル。昭和三十四年に完成したのが昭和のトンネルで、ジオラマ左下に貫く2本のトンネルの左側。そのとなりが平成七年に開通した平成のトンネルになる。






東海の難所宇津ノ谷峠は、時代とともにその道を変えていったことがよく分かるジオラマだった。

そして蔦の細道の入り口には、4本のトンネルそれぞれの標高と長さが書かれていたので、こちらも載せておく。
明治以降元号が変わるたびに掘られた宇津ノ谷峠。さて、令和のトンネルはいつ掘られるのだろう。
蔦の細道から始まり、江戸時代の東海道、そして明治、大正、昭和、平成と、時代ごとに新しい道が切り開かれてきた宇津ノ谷峠。それぞれの道には、その時代の人々の往来や暮らし、そして道路を造る技術の進歩が刻まれている。
普段の旧東海道踏破の旅では、できる限り江戸時代の道をたどることにこだわっているが、こうして時代の異なる道を訪ねてみると、街道の歴史をまた違った角度から知ることができる。
今回は、1958年製のズマロンを通して、明治のトンネルが持つ歴史と風格をライカに収めることができた。
さて、令和のトンネルができる頃には、果たして私は何歳になっているのだろう・・・。
そんなことを思いながら、明治のトンネルを後にした。
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コメント
コメント一覧 (1件)
大福様 こんにちは。宇津ノ谷隧道は技術的な問題から、まっすぐに掘れなかったそうですね。トンネル掘削の歴史を感じます。東海道の丹那トンネルも北伊豆地震の影響で掘削中に段差ができてしまったとか。巨大プロジェクトには、いろいろなことが起きるものだということを実感します。リニア新幹線、何事もなく完成すれば良いですね。