私大福がライカを持って旧街道を歩くサイト。現在は旧東海道を歩いており、江戸日本橋から33番目の宿場である二川宿に到着しました。今年中には旧東海道を制覇したいと目論んでいますが、夏の暑さに負け気味・・・。気力を振り絞り、ゴールの京三条大橋まで200kmとちょっとの道のりを歩き通したいと思いますので、みなさん応援お願いします!

旧東海道の一里塚一覧【26里〜50里】

今回は旧東海道の一里塚一覧の第2回。

前回は江戸日本橋から約100kmまでの25箇所の一里塚を紹介したので、今回は次の約100kmの道のりにある、26里から50里までの一里塚を紹介してみたいと思う。

旧東海道の1里から25里の一里塚一覧は下記バナーからどうぞ。

では、しゅっぱーつ!

– 表の見方 –

距離名称現存目印調査
日本橋からの距離一里塚の名称両塚あり=◎
片方の塚あり=○
レプリカ=△
無し=×
石碑/標石/道標の有無訪れた日
目次

接待茶屋一里塚

距離名称現存目印調査
26里接待茶屋一里塚2025年12月29日

国道1号線の接待茶屋バス停から土道へ入る場所に、綺麗な円形で接待茶屋一里塚の南塚が現存している。

北塚は国道1号線拡張工事などにより、随分前に消失してしまった。

笹原一里塚

距離名称現存目印調査
27里笹原一里塚2025年12月29日

何度も登場した箱根路の石畳の最後の場所の右手に、笹原一里塚の南塚が現存している。

江戸時代はマツが植えられていたようだが、他の現存一里塚同様に、長い年月で塚にその他の木が育ってしまっている。

錦田一里塚

距離名称現存目印調査
28里錦田一里塚2025年12月29日

箱根路を終え、初音ケ原松並木の中に錦田一里塚がある。

ここは国道1号線沿いの三島市街地に近い場所にも関わらず、なんと両塚が現存している。

塚木はともにエノキで、根ががっちりと塚を抱え込んでいて、四百年という歳月を強く感じた。

伏見一里塚

距離名称現存目印調査
29里伏見一里塚○△2026年1月3日

三島宿西見附を出て、伊豆國から駿河國に入り、少し歩くとあるのが伏見一里塚になる。

京に向かって右手が玉井寺一里塚、左手が宝池寺一里塚と呼ばれていて、両塚を総称して伏見一里塚という。

上の写真は右手の玉井寺一里塚で、往時の姿をしっかりと残している。

ここまで、接待茶屋の一里塚、笹原の一里塚、錦田の一里塚、伏見一里塚と、4か所続けて一里塚が現存していることに驚きだ。

綺麗な円形をした宝池寺一里塚は復元。長い年月で風雨にさらされて原型が損なわれたため、昭和六十年に原寸通りに造り直された。

沼津一里塚

距離名称現存目印調査
30里沼津一里塚2026年1月3日

狩野川に架かる黒瀬橋をくぐってすぐの一里塚公園内に沼津一里塚がある。ここまで4カ所連続して一里塚が現存していたが、沼津一里塚は残念ながら縮小復元になる。

沼津宿を避けて手前に設置されたため伏見一里塚からの距離が短い。

松長一里塚

距離名称現存目印調査
31里松長一里塚×2026年1月3日

左手に千本松原が広がる街道の、民家のブロック塀の凹みにひっそりと松長一里塚の石碑が設置されている。

原一里塚

距離名称現存目印調査
32里原一里塚×2026年1月12日

原宿の西木戸を過ぎてしばらく歩いた先の右側に、原一里塚の場所を示す標石と、手製の説明書きがある。

沼田新田一里塚

距離名称現存目印調査
33里沼田新田一里塚×2026年1月12日

昭和放水路を渡った先の右側の茂みに、旧東海道一里塚と刻まれた石碑があるが、ここが沼田新田一里塚があった場所になる。

依田橋一里塚

距離名称現存目印調査
34里依田橋一里塚2026年1月12日

依田橋一里塚は左富士神社の北側にあったが、現在は左富士神社の境内に石碑と極小の復元がある。

本市場一里塚

距離名称現存目印調査
35里本市場一里塚×2026年1月12日

富士第一小学校の先の左側に花壇があり、その中に本市場一里塚の場所を示す古い石碑がある。

36里の一里塚

距離名称現存目印調査
36里2026年1月12日

富士川の渡場辺りが36里に当たるが、往時から一里塚は無かったものと思われる。

岩渕一里塚

距離名称現存目印調査
37里岩渕一里塚2026年1月12日

富士川第一小学校近くにある岩渕一里塚は、錦田一里塚以来、両塚が現存している。

そして写真の西側の塚に植えられる太い幹周りのエノキは、なんと江戸時代からのもの。

二十年ほど前の写真を見ると天高く伸びていたようだが、現在は壊死した箇所を切り落とし、かなり疲れているように見える。なんとか生き長らえてもらいたい。

こちら東側の塚も往時からのものだが、エノキは虫害で昭和四十二年に枯死したため、昭和四十五年に植えた二代目になる。

蒲原一里塚

距離名称現存目印調査
38里蒲原一里塚×2026年1月12日

蒲原一里塚は元禄十二年(1699年)の大津波で流失してしまい、それに伴う蒲原宿の移転により蒲原宿東木戸手前に移された。

現在は新しく建てられたと思われる石碑と、小さな赤鳥居がある。

由比一里塚

距離名称現存目印調査
39里由比一里塚×2026年2月8日

由比一里塚は由比宿東枡形手前にあり、現在は小さな標石が建てられている。

西倉沢一里塚

距離名称現存目印調査
40里西倉沢一里塚×2026年2月8日

江戸日本橋から40里目になる西倉沢一里塚は、薩埵峠の東の入り口にあり、現在は石碑と説明板がある。

興津一里塚

距離名称現存目印調査
41里興津一里塚×2026年2月8日

興津一里塚は興津宿手前にあり、現在は『一里塚趾』と刻まれた小さな標石が建っている。

辻一里塚

距離名称現存目印調査
42里辻一里塚×2026年2月23日

辻一里塚は江尻宿手前にあり、現在は説明板のみ。

草薙一里塚

距離名称現存目印調査
43里草薙一里塚×2026年2月23日

草薙一里塚は、旧道からカネボウ通りと呼ばれる県道に合流してすぐの、清水銀行前に石碑がある。

長沼一里塚

距離名称現存目印調査
44里長沼一里塚×2026年2月23日

長沼一里塚は、国道1号線から旧道に入り、静岡鉄道長沼駅手前に石碑がある。

府中一里塚

距離名称現存目印調査
45里府中一里塚×2026年3月15日

五街道の一里塚は、慶長九年(1604年)に整備された。府中一里塚は慶長一四年(1609年)以降に使われた新ルートの新通りには無く、元ルートの本通りに設置され取り残された。

ということで、現在も元ルートの本通りに石碑と説明板がある。

丸子一里塚

距離名称現存目印調査
46里丸子一里塚×2026年3月15日

丸子一里塚は丸子宿手前にあり、現在は大正十四年建立の石碑が建っている。

宇津ノ谷一里塚

距離名称現存目印調査
47里宇津ノ谷一里塚××2026年3月15日

宇津ノ谷一里塚は石碑などの目印は無い。宇津ノ谷トンネル手前のこの交通安全碑の辺りにあったようだ。

この辺りの国道1号線は20年ほど前に大規模な道路拡幅を行い、その際に目印が撤去されてしまったのかわからぬが、道の横にはスペースがあるので、ぜひ復元をしてもらいたい。

岡部の一里塚

距離名称現存目印調査
48里岡部の一里塚××2026年7月28日

旧東海道は当初岡部川の左岸を通しており、その左岸に一里塚があったようだが、その後旧東海道は右岸になり、東海道400年の際に右岸の写真の場所に1/2サイズで復元されたが、正確な場所では無かったため半年ほどで撤去されたそうだ。

鬼島一里塚

距離名称現存目印調査
49里鬼島一里塚×2026年4月5日

葉梨川を渡る手前にあった鬼島一里塚。現在は街道左側の目立たぬ場所に、ひっそりと木製の標柱がある。

志太一里塚

距離名称現存目印調査
50里志太一里塚×2026年4月5日

江戸日本橋からちょうど50里目の志太一里塚は、瀬戸川を渡った先にあった。

現在は柵に囲われた中に、石碑と説明看板、そして秋葉山常夜燈がある。

最後に

今回は旧東海道の26里から50里までの約100kmの一里塚を紹介してみたが、まとめると以下の通り。

距離名称現存目印調査
26里接待茶屋一里塚2025年12月29日
27里笹原一里塚2025年12月29日
28里錦田一里塚2025年12月29日
三島宿
29里伏見一里塚○△2026年1月3日
30里沼津一里塚2026年1月3日
沼津宿
31里松長一里塚×2026年1月3日
原宿
32里原一里塚×2026年1月12日
33里沼田新田一里塚×2026年1月12日
34里依田橋一里塚2026年1月12日
吉原宿
35里本市場一里塚×2026年1月12日
36里
37里岩渕一里塚2026年1月12日
38里蒲原一里塚×2026年1月12日
蒲原宿
39里由比一里塚×2026年2月8日
由比宿
40里西倉沢一里塚×2026年2月8日
41里興津一里塚×2026年2月8日
興津宿
42里辻一里塚×2026年2月23日
江尻宿
43里草薙一里塚×2026年2月23日
44里長沼一里塚×2026年2月23日
府中宿
45里府中一里塚×2026年3月15日
46里丸子一里塚×2026年3月15日
丸子宿
47里宇津ノ谷一里塚××2026年3月15日
岡部宿
48里岡部の一里塚××2026年7月28日
49里鬼島一里塚×2026年4月5日
藤枝宿
50里志太一里塚×2026年4月5日

26里目の接待茶屋一里塚から、笹原一里塚錦田一里塚伏見一里塚と、連続して4つの一里塚が現存している。特に錦田一里塚は三島市街の国道1号線という場所にも関わらず、現在まで両塚ともに生き長らえていたことに驚いた。

また岩渕一里塚も2つの塚が現存。西側の塚に植えられる江戸時代からのエノキは、切り落とされかなり疲れているように見えるが、なんとか生き続けてもらいたい。

それより西の一里塚は50里目まで全滅で、宇津ノ谷一里塚と次の岡部の一里塚に至っては目印すらも設置されていなかったことが残念。旧東海道を歩く者にとっては、1時間ごとに現れる一里塚は旅の楽しみなので、せめて標柱だけでも設置してもらいたい。

ということで今回は以上。次回は51里目から75里目の一里塚を調査するので、興味のある方はお付き合いください。

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