今回も旧東海道踏破の旅。
前回はゴールデンウィーク真っ只中に掛川宿から袋井宿までを歩いたが、今回はその続き。袋井宿から見附宿までを歩く。ちなみに見附宿とはジュビロ磐田でお馴染みの磐田市になる。

では、かつての袋井宿の中心に位置する袋井宿場公園から、ライカM11をぶら下げてスタート!
中本陣・西本陣跡

出発してすぐの魚屋の前に標柱。ここは大田家が務めた中本陣があった場所になる。

その先の民家には西本陣があった。こちらも大田家が務めたそうだが、系列店?それともたまたま同じ苗字だったの?
西見附跡

宇刈川の手前に袋井宿の京口見附があった。

ここは小さな公園になっていて石垣と竹矢来の土塁や、

やや小ぶりな高札場が復元されていた。

この秋葉山常夜燈は、寛政年間(1789-1809年)に建立された本物。
法多山別院

袋井市にある法多山は遠州を代表するお寺。私も幼い頃父親に連れられて何度も初詣で参拝し、厄除け団子を買ってもらった。
こちらはその法多山の別院で、地元では川井のお弘法さまと呼ばれて親しまれているそうだ。
旧澤野医院

法多山別院の先に旧澤野医院がある。こちらの病棟は昭和九年に建てられたもの。

病棟は週末のみ公開されており、この入り口から院内を観覧することができたが、病院がからっきしダメなので引き戸を開けて待合室のみ観覧した。

病棟の裏手には安政元年(1854年)建造の居宅や、大正五年に建てられた洋館もあるらしい。
昼になり腹が減ったのでGoogleマップでレストランを探す。
近くにはげんこつハンバーグで有名な『さわやか』の本店があるのだが、さすがに日曜日なので数時間待ちは確定なので、近くにある店に入る。


鰻重に肝串と瓶ビールで三千円払ってお釣りが来るこの店は鰻の成瀬。急激に全国に店を拡大した後に100店以上が閉店して、わずか1億円で買収されて話題となった鰻の成瀬は、日曜日の昼なのに客は私を含めて2組3人のみと、店員さんの数の方が多かった。
案の定、味はイマイチだったが、浜松を前にして一足先にうなぎで精をつけて、さらにアルコールが入り足取りは軽やか。待ってろ、見附宿!
寺澤家長屋門

旧東海道に復帰すると古い建屋の前に標柱がある。

この立派な門は、明治元年に建てられた寺澤家の長屋門になる。

そのとなりには津島神社があった。

津島神社の先で県道と合流。

500mほど県道を歩き、松橋を渡ったら斜め右に入る。
木原の一里塚跡

すると、江戸日本橋から六十一里目(約244km)の一里塚、木原の一里塚の標柱が民家の花壇に建っている。

標柱の60m西には、往時の木原の一里塚が復元されていた。
ここまでオリジナルの一里塚をいくつか見てきたが、建造から四百年以上が経過して塚木は巨大に育ち、塚は崩れかけたものが多かったが、往時は整ったこんな形をしていたのだろう。
許禰神社

木原の一里塚からすぐの場所にあるのが許禰神社。

天災に苦しむ村民が熊野権現を祀ったという神社になる。
境内には徳川家康公腰掛け石があるそうだが、見つけることができなかった。

そして県道に復帰して、

蟹田川を渡ると磐田市に入る。
全海寺

磐田市に入り500mほど進むと全海寺がある。

境内に葵の御紋が印象的な地蔵堂があり、下馬地蔵尊が安置されている。
門前で徳川家光公が落馬し、その際に家光公の命を救ったのがこの身代り下馬地蔵尊。以来、三つ葉葵紋の使用が許されたそうだ。

そして太田川に架かる三ケ野橋を渡り、

渡詰めを左折。

すぐにある右手の階段を下りて、

下りた先を左右と進み、

松並木を見ながら歩く。

松並木が終わると坂道になり、旧東海道はこのY字路を左に進む。

尚、右は大正の道になる。

Y字路からすぐの左手に明治の道碑があるが、現在は廃道のようだ。

そしてさらに坂を上る。
江戸の古道

今度は江戸の古道碑がある。
この辺りは、江戸、明治、大正と、道が移り変わっていったようだ。

私は江戸時代に整備された旧東海道をなぞって旅をしているので、江戸の古道碑を左に入る。

江戸の古道は土道になっていて、しばし往時の雰囲気を感じながら坂を上る。

100mほどで江戸の古道は終わり、突き当たりを右に進む。

こちらは鎌田山医王寺への道標。

この交差点の先から大久保坂と呼ばれた急な下り坂になる。

そして松並木が見えたら今度は上り。この坂は行人坂と呼ばれていたそうだ。
旧東海道はかつてたくさんの旅人が歩いた日本の大動脈だったので、車では感じられない坂道に名前が付けられているのが面白い。

その行人坂の途中には、従是西見附宿と書かれた傍示杭が復元されていた。さあ、本日の終着点である見附宿はもう少しだ。

行人坂を上り切った先を左に進み県道に合流し、

200mほど進んだら斜め右に入るのが旧東海道。

大正四年建立の秋葉山常夜燈を右手に見ながら進み、

ここから急な下り坂になる。
阿多後古山の一里塚

ガイドブックによると、この下り坂の途中に阿多後古山の一里塚の北塚があると書かれているが、20分ほど周囲を歩き回っても見当たらない。

Googleマップで確認すると、現在はグリーンのシートに覆われているようだが・・・!?
民家の裏側にあるあれがそうか?

真ん中に碑が建っており、どうやらこれが阿多後古山の一里塚の北塚だ。
だが塚の周囲は民家に覆われていて、近くまで続く道は無いようだった。

阿多後古山の一里塚は南塚も現存しており、その場所は坂を下り切り、

左手にある階段を上り、

愛宕神社の社殿裏手にあるようだ。

これが阿多後古山の一里塚の南塚。
四百年以上の歳月を経て、今もなお両塚が残っているとは凄い。やや荒れているようだが、大切に後世に残してもらいたいものだ。

南塚の帰りに高台から北塚を見られるかと思ったが・・・うーん、ほぼ見えない。グリーンの保護シートが取り払われた際には、是非とも近くで見られるように道を整備してもらいたい。
江戸日本橋から六十二里目(約248km)。

階段下に見えるあの道を進んだ先が見附宿の中心地。本日の旅もいよいよ佳境だ。
東木戸跡

愛宕神社の階段を下りたら、写真の止まれを右に進むのが旧東海道だが、

止まれを左に見ると、見附宿の東木戸を再現したモニュメントがある。

おそらく本来の東木戸は愛宕神社の階段を下りた、丁字路の辺りだろう(枡形になっている)。

東木戸から少し歩くと、JAの入り口に高札場を模した見附宿の案内板があり、そのとなりには栄光への道と書かれた立て看板がある。
ここ磐田市は、東京2020オリンピックの卓球男女混合ダブルスで金メダルを獲得した、水谷隼選手と伊藤美誠選手の出身地。その功績を称えるために栄光への道という愛称になったようだ。

中川橋を渡る。翌5月5日は端午の節句ということで、男の子の健やかな成長を願う鯉のぼりが、今之裏川で気持ち良さそうに泳いでいた。


今之裏川を渡ると東海道見附宿碑が建っており、その横には明治四年に造られた秋葉金燈龍があった。
問屋場跡・脇本陣跡

静岡銀行の前に標識がある通り、ここが見附宿の問屋場があった場所。
ここまで多くの宿場の主要施設は金融機関になっていることが多いが、ここ見附宿もやはり同じだ。

静岡銀行の筋向いにある秀英予備校の前にも標識があり、ここが脇本陣があった場所になる。
北本陣跡・旧見附学校

道の向こう側に見えるモダンな建物は、現存する日本最古の洋風木造小学校校舎の旧見附学校。
我が母校も私が小学校に上がった時に木造校舎が残っていたが、程なくして取り壊されたことを思い出した。まあ、まったくどうでもいい情報だが・・・。
また、ここには江戸時代に北本陣があったそうだ。
脇本陣大三河屋跡

こちらは脇本陣大三河屋の跡地。大三河屋は旅籠屋だったが、文化二年(1805年)に脇本陣に昇格した。
これは現存する大三河屋の薬医門。かつて中泉の中津川家に移築され同家の門として使用されていたが、平成十九年に戻ってきたそうだ。

西坂の梅塚を右手見て、

すぐの交差点を左折する。ちなみにここを真っ直ぐに進むのが、御油宿に至る姫街道の起点。
歩みの記録

すると見附宿の西木戸があるので、本日はここで終了とする。
では、いつものようにiPhoneのフィットネスアプリのデータから、歩みの記録を確認する。
- 出発日:2026年5月4日(月)
- 時 間:12時33分から16時35分(4時間02分)
- 距 離:9.76km
- 高 度:615m
- 天 気:曇り
- 気 温:22度
- 湿 度:54%
袋井宿から見附宿までは一里半(約6km)と言われているが、今回歩いた距離は9.76kmと1.5倍以上を歩いたことになる。
これは、阿多後古山の一里塚の北塚が見当たらずに歩き回ったことと、見附宿のゴールを西木戸跡に定めたため。
上った高度は615m。磐田市は遠州灘から近く平野だろうと思っていたが、坂道が多いのは意外だった。
ゴールにした見附宿の西木戸から磐田駅までは1.5kmほど、次回また歩くことになる道中をトボトボ歩くことに・・・。いやー、今回も疲れたなあ。
ということで、次回は見附宿から浜松宿までを歩くので、興味のある方はご覧ください。
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