今回も旧東海道踏破の旅の続きになる。
この日は島田宿を出発し、金谷宿を経由して昼に日坂宿に到着した。
今日はちょっと早いが、ここから静岡市の自宅に戻りゆっくりとしようかと思ったが、日坂宿はとっても交通の便が悪い。ということで、もうひと頑張りして掛川宿まで歩くとする。
一日で三つの宿場を巡るのは初めてで、小夜の中山峠を越えたために少々体力が消耗しているが、よーし、頑張るぞい!

では、ライカM11を首からぶら下げて、ここ日坂宿の扇屋本陣からスタート!
日坂宿問屋場跡

扇屋本陣のすぐ先には問屋場があった。

問屋場で最後に問屋役を勤めたのが佐藤文七郎という人物で、この少し先に彼の自宅(写真)が残されていた。
佐藤文七郎は明治になると、この自宅に郵便取受所を開設したが、これが日本最初の郵便局の一つだった。
旧旅籠池田屋

すぐの並びにあるこちらは旅籠の池田屋。現在は割烹旅館になっていたが、この風格ある木造建築は池田屋からのものなのだろうか。
脇本陣池田屋跡

池田屋のすぐの並びのこちらには、江戸末期に脇本陣だった黒田屋があった場所になる。
ここ黒田屋は、明治天皇が街道巡幸の際に二度小休止をなされた。
旧旅籠萬屋

そして先ほど紹介した伊藤文七郎の自宅を過ぎると、またも古い建物がある。
こちらは宿屋の萬屋。嘉永五年(1852年)の日坂宿大火で焼失したあとに程なくして建てられたそうだ。
解説には料理を提供しない旅籠だったとあるので、要するに木賃宿。
木賃宿とは旅籠より格下の旅館で、旅籠が宿泊と二食の料理を提供するのに対し、木賃宿は素泊まりの宿で、主に庶民や行商人が使用した。
旧旅籠川坂屋

萬屋の筋向いにあるこの建物も宿屋だったが、萬屋に比べると華やかに見える。
この川坂屋は上旅籠で、食事やサービスが上等な上級旅館。幕府役人や武士、裕福な一般旅行者が利用した。
萬屋と同じく川坂屋も日坂宿大火で焼失し、その後に再建されたのがこちらの建物になる。
高札場と下木戸跡

こちらは復元された高札場。
掲げられている八枚は天保年間に書かれていたものを復元したそうで、往時のものをしっかりと再現されていて見応えがあった。

この逆川に架かる古宮橋に日坂宿の下木戸があった。
いやー、日坂宿は往時の木造建築が多く残る良い宿場町だった。
さあ日坂宿を出て、掛川宿に向けてしゅっぱーつ!

日坂宿を出てすぐにあるこちらは、明治天皇に仕えた書家の成瀬大域という方の出生地らしい。

若宮神社の横にある秋葉山常夜燈は弘化二年(1845年)建立。

旧東海道はこの交差点を斜め右に進み県道に合流するのだが、この付近に神社がある。
事任八幡宮

交差点の手前にあるのが事任八幡宮の旧社地で鳥居があり、

現在は県道を挟んで向かい側にある。
事任八幡宮は、願い事が任(まま)に叶うと信仰されている神社で、この日も前を歩く若い女性たちが願い事をしに神社に入って行った。
ならば掛川宿まで早く着いてほしいと願いたいと思ったが、すでに多くの距離を歩き遠回りをする気力がなかったので今回はパス(罰当たりが!)。

そして県道をしばらく歩き、国道1号線のガードをくぐる。ちなみに今歩いている県道は旧国道1号線になる。

ガードをくぐった先にY字路があるので、ここを左方向に入る。
塩井神社

旧道に入るとすぐに塩井神社の鳥居があるのだが、その先には逆川が流れていて社殿がないのだが・・・。

目を凝らしてみると、対岸に建物がある。どうやらあれが社殿のようだ。
塩井神社の創建は不明らしいが、孝徳天皇の時代(645-654年)ごろに出現したと伝えられているとのこと。へっ!?大化の改新のころなのか!?

民家の前に建てられた、俳人の碑を見ながら進む。

街道は落ち着いた良い雰囲気。

こちらの碑は、福天権現本通道標という龍雲寺を示す道標だが、本の字の下が折れてしまったのか。
伊達方の一里塚跡

福天権現本通道標のすぐ先にあったのが伊達方の一里塚。

標石の場所はやや土が盛られていたが、実際にはここからわずかに離れた場所にあったようで、塚の大きさは直径七間(約12.6m)、高さ三間(約5.4m)だったと説明板に書かれていた。

また、伊達方の一里塚跡碑の向かいには大頭龍神社がある。


その先に歌人石川依平翁出生地碑と慶雲寺道標があり、

その先で県道に合流するも、

すぐにY字路があるので、左に向かう。
諏訪神社

Y字路を進ですぐにあるのが、貞観十六年(874年)に信濃國(長野県)諏訪大社の分霊を勧請して祀ったという、諏訪神社がある。
六地蔵

諏訪神社から200mほど歩くと六体の地蔵尊が並んでいた。

また傍の祠内にも地蔵立像が安置されている。

その先で県道にふたたび復帰して、特に見どころがないため、淡々と歩く。

こちらは一般のお宅だが、本陣門や山門のような立派な門構えだったのでパチリッ。

この日は島田宿から出発してからすでに20km近く歩いたが、旧東海道沿いに初めてコンビニがあったので、ここで身を軽くしてから飲料水で一服。
この日は小夜の中山峠を歩きかなり疲労しているが、掛川宿までもう少しなので、最後の力を振り絞り歩き出す。

県道に復帰して数kmを歩いたが、この本村橋の交差点を斜め左に進む。
馬頭観音

本村橋の交差点に小堂があり、中には三面六臂の馬頭観音が安置されていた。
西山口村碑

土台が不安定で斜めになり上部が欠損している、なんだか気の毒な碑は、西山口村碑。
これは明治二十二年に近隣の七つの村が合併した際に、西山口村が創設されたときに創設された。
村の名は、小夜の中山の西口に位置していることに由来しているらしいが、だいぶ遠くない?

その先の左側にもう一つ碑が見えてきた。
大頭龍大権現・福天大権現道標

大頭龍大権現や福天大権現の信仰がもっとも盛んだった二百数十年前に、両権現への道標として建てられた碑。
道標は柵でガッチリとガードされているのが印象的だ。先ほどの西山口村碑が無惨な姿になっていることから、あんなことにならぬように柵を造ったのかも。
刻まれている大頭龍大権現はここから南東に6.5kmほどの場所にあり、福天大権現は同じく南東に3.4kmほどの場所にある。
江戸時代は庶民の旅に対して規制があったが、信仰目的としては許されていたということで、私たち現代人がテーマパークなどに行く感覚で寺社に行っていた。
でも、地図は充実しておらず、このような道標が頼りだったのだろう。

そして昭和五十一年建立の新しい(といっても半世紀前だが)秋葉常夜燈を見ながら進み、

逆川を渡ると渡詰めに次の目的地がある。
葛川の一里塚跡

逆川のほとりにあったのが葛川の一里塚。ミニチュアの塚を見立てたような盛られた土の上に碑が建てられていた。

また、となりには少し変わった形の秋葉常夜燈も設置されている。

一里塚前の菓子処もちやは創業二百年老舗で、振袖餅が名物。
江戸日本橋から五十八里(約272km)を歩いてきた。
新町七曲り

今日は島田宿から長く歩いてきたが、やっと掛川宿にやってきた。
その掛川宿は山内一豊と千代で有名な掛川城の城下町の城下町として発展し、この辺りがその東口になり宿場を守るための枡形だった。
掛川宿の枡形は七つの曲がり角がある七曲りの線形が特徴。では、それをトレースしていく。
一)まずはこの交差点を左折し、

二)今度はこの角を右折。カーブミラーに付けられた東海道七曲りの看板が目印になる。

三)次に秋葉常夜燈の辻を左折して、

四)道なりに右へ曲がり、

五)ここも道なりに右に進む。


塩の道の標石や七曲りの説明板を右手に見ながら、

緩いクランク状の道を進み、

六)この止まれを左折して、

七)次の止まれを右折。

八)最後に銘菓丁葛の交差点を右に進み、これで七曲りを抜けた・・・が、ん?八曲がりだった??
最初の左は江戸時代にはまっすぐの線形だったのかも。

掛川宿のメインロードの現在は商店街になっていて、

信用金庫は景観に合わせた佇まいに。

右に通じる大手門通りの先には、復元された掛川城大手門が見える。
沢野本陣跡

そしてここが沢野三左衛門が務めた沢野本陣のあった場所になる。

沢野本陣は現在本陣通りという名の飲み屋街になっていて、日曜日の15時にもかかわらず、酔っ払いが大声で楽しそうに話す声が響いていた。
歩みの記録
ということで、本日はここ掛川宿の沢野本陣前で終了。
では、いつものようにiPhoneのフィットネスアプリのデータから、旅の記録を確認する。
- 出発日:2026年4月19日(日)
- 時 間:12時43分から15時15分(2時間32分)
- 距 離:8.28km
- 高 度:53m
- 天 気:曇り
- 気 温:21度
- 湿 度:55%
日坂宿から掛川宿まで一里二十九町で、ほぼ同じ距離の8.3kmを2時間32分かけて歩いた。
旧東海道歩きで初めて、一日で三つの宿場を巡り少々お疲れモードの中、日坂宿を出るとほぼ見所がなく、旧国道1号線を中心に平坦な道を淡々と歩いたといった感じで、正直ちょっと辛かった。
次回はここ掛川宿から東海道のちょうど真ん中にあたる袋井宿を目指すので、興味のある方は下記バナーからお付き合いを。
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コメント
コメント一覧 (2件)
大福様 難所超えに引き続いての旅、お疲れ様です。古い建物がたくさん残っている街道って素敵ですね。現代風な建物にすれば、何かと便利で住みやすいでしょうに。昔の風情を残すのは相当の覚悟がないとできることではありません。たいしたものです。大頭龍大権現、福天大権現ともに初めて聞きました。掛川市特有?の権現様なのかしら⋯。それにしても今回のお写真を拝見していて、景色が大きいと言うか、広々とした感じが珍しく感じました。というのも、私の住んでいるところは北に和泉山脈、南に高野山があり、その間を流れる紀の川に沿って開けた狭い平坦部なのです。ですから風景写真を撮ると、必ずと言っていいほど山が写り込むのです。関東や静岡などで見る風景の広々とした風景にびっくりします。クルマで走っていて、目標になる山が見えないというのも、ちょっと不安な気持ちになってしまうのではないかと⋯。😅 快適な春も過ぎ、一挙に夏になるような天気予報が今日は出されているようですが、お気をつけて旅をお続けくださいますように。
asamoyosiさん、ありがとうございます。
日坂宿は江戸時代の面影を残す歴史情緒あふれる街並みでしたが、たしかに生活する方々にとっては制約が多く大変でしょうね。そんな方々に感謝をしながら観覧したいです。
“背景が広い”とはあまり感じたことのない表現でちょっと新鮮でした。たしかに掛川市に入ってからは平坦な道で、山々も遠かったのですが、もしかしたら28mmの広角域のレンズを使用しているのでそんな感じに写ったのかもしれません。私の大好きな写真に着目してくれたのが嬉しいです!
asamoyosiさんのコメントにいつも励まされています。ありがとうございます!