私大福がライカを持って旧街道を歩くサイト。現在は旧東海道を歩いており、江戸日本橋から33番目の宿場である二川宿に到着しました。今年中には旧東海道を制覇したいと目論んでいますが、夏の暑さに負け気味・・・。気力を振り絞り、ゴールの京三条大橋まで200kmとちょっとの道のりを歩き通したいと思いますので、みなさん応援お願いします!

ライカを持って旧東海道を歩く【第38回】(藤川宿→岡崎宿)

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今回も旧東海道踏破の旅の続き。

前回は盆休みの8月14日午前中に藤川宿に到着したが、今回はこの日の午後に歩いた岡崎宿までの歩みを書いていく。

では、藤川宿本陣跡の前からスタート!

カメラ:LEICA M11
レンズ:LEICA SUMMARON-M f5.6/28mm

目次

藤川脇本陣跡

藤川宿本陣跡から1軒挟んだ先にあるのが大西喜太夫が務めたという藤川脇本陣跡で、この門は往時のもの(一部改修)になる。

敷地は脇本陣にしては非常に狭いと思ったが、実際にはこの4倍の130坪だったらしく、敷地のほとんどを占めるこの木造建築は資料館になっていた。

その先に関山神社の道標と常夜燈。藤川宿の鎮守である関山神社の本殿は、右に並行する国道1号線のその先に鎮座しているそうだ。

街道は細く、上り下りを繰り返しながら歩いていく。

西棒鼻跡

藤川小学校の辺りが藤川宿の京口になり、竹矢来が再現されていた。

また、藤川宿には江戸口と同じく京口にも珍しい棒鼻が再現されており、往時の雰囲気を色濃く残す宿場だった。

藤川の一里塚跡

藤川宿を出てすぐの立派な民家の前に説明看板がある。

ここが藤川の一里塚があった場所。

藤川の一里塚は榎が植っていたが、天保年間(1831-1845年)には南塚がすでになくなり、北塚の榎は昭和初期に枯れてしまったそうだ。

江戸日本橋から七十九里(310.2km)。

藤川の松並木

藤川の一里塚跡を過ぎると名残の松が現れ、

Y字路を右に進み、

名鉄名古屋本線の踏切を渡ると、

立派な松並木が街道を覆い、真夏の厳しい太陽の光を和らげてくれた。

ここは藤川の松並木といい、約90本の三河黒松が残っているそうだ。

藤川の松並木が終わると、異常にどデカい山燈篭があり、

その先で国道1号線に合流する。

阿弥陀寺

国道1号線を進むと阿弥陀寺がある。

ここは神馬崎立場があった場所で、往時は茶屋が軒を連ねていたそうだ。

その阿弥陀寺前に国1に沿う旧道があるので、そちらを進み、

国1を見下ろしながら歩き、

ここを斜め左方向に進む。

左手に古びたガソリンスタンドがあり、レギュラー150円!?

あまりにも安すぎ。流石に閉店しているのだろう。

そして松並木が残る街道に。

しばらく進むと民家がなくなり、

辺りは田んぼに・・・道を間違えたのかと思ったが、

道端に東海道と刻まれた道標があり一安心。

そして旧東海道は乙川に突き当たる。ここは元禄九年(1696年)に長さ四十九間(89m)の大平橋という板橋が架橋されたそうだが、現在は橋がなく、ここを右折して、

上流側に架かる現在の大平橋を渡る。

乙川を渡ったら、ここを左折して、

突き当たりを右折して旧東海道に復帰する。

そして乙川を渡った際に歩いた通りを横断。

薬師寺

渡った先にあるのが薬師寺。

境内には多数の観音菩薩像や地蔵菩薩像があるようだ。

その先の右手の消防署の分署の敷地内に、文政四年(1807年)建立の秋葉山常夜燈。

いや、逆だ。火伏せの神を祀る秋葉山常夜燈のとなりに、消防署の施設を設置したのだろう。

さらに先には古い道標があった。

どうやら『東海道』と刻まれており、横には『つくて道』と書かれているようだが、道標なのだからくずし字ではなくわかりやすく楷書体で書けばいいのに。

大平の一里塚

旧東海道歩きを初めてから、一里塚を見るのが楽しみの一つになっている私。

現存する一里塚はいくつかあったが、ここ大平の一里塚は、三島の錦田の一里塚以来の国指定の文化財ということで、とても楽しみにしていたのだが・・・塚木がない!?

塚の頂上を見てみると、根元からポッキリと折れていて、切り株のみが残っていた。あー、残念だ。

気を取り直して横の説明板を見てみると、大平の一里塚は江戸日本橋から八十里(314.1km)にあたる一里塚で、昭和三年に道路改修の際に北塚が破壊されたそうで、この南塚だけが残っている。

塚の大きさは、高さがが2.4m 、底部縦が7.3m、横8.5mと一般的な一里塚の直径9mと比べるとやや小ぶりなようだ。

塚木は樹齢350年の榎の大樹が茂っていたが、昭和二十年(岡崎市のHPでは昭和二十八年)の台風で倒木したため、新たに植えられてた。と書かれているが、その榎も近年、倒木の被害を受けたのであろう。

残念だが、消えた榎の木が江戸時代からのオリジナルではないことを知り、ちょっと安心。三代目が植えられることを楽しみに待つとしよう。

ちなみに北塚があった場所は、現在馬頭観音と地蔵尊を安置した祠と、昭和九年建立の秋葉山常夜燈が設置されていた。

大平の一里塚から200mほど歩き、国道1号線を鈍角に右に進むのが旧東海道だが、ちょっと寄り道して左へ。

パワーチャージ完了せず

時刻は13時を過ぎた。昼前から岡崎名物の味噌グルメを食べたいと探していたが、旧東海道沿いに適当な店がなく、仕方なしにチェーン店のかつやでランチにする。

満席で少々待たされて席に通され、おろしかつ定食とお決まりのビールを・・・ない!?

利益率が高く、店も私も大満足のアルコールを置いていないとは・・・。まあ、客回転重視なのだろうが、炎天下のもとで20km近く歩き疲れ果てた私の身体にパワーチャージが果たせず残念。

とはいえ、本日のゴールはもうすぐ。最後の力を振り絞り歩いていこう。

旧東海道に復帰し国道1号線を歩いていると、反対側に天使??アルコールを注入できなかったのに酔っているのか?

いや、やっぱり本物だ。ここグランドギャラリーを調べてみるとピアノ専門店らしく、そのモニュメントを設置してあるようだ。

でも、なぜ天使さん、ピアノじゃなくトランペットを吹いてるの?

その先が東名高速道路岡崎インターチェンジの入り口があるので、斜め右に進み、

その先のY字路を左に下る。

そしてガードを3ケ所くぐり、

3つ目のガードを抜けたら坂を上り、脇の道に合流して、

国道1号線に復帰する。

100mほど進み大きな交差点の横断歩道を渡ったら、正面の松並木へ。

松並木の歩道が終わったらそのまま真っ直ぐに進み、

斜め右の上り坂を進む。

立派な鐘楼門が印象的な法光寺や、

文政十三年(1830年)建立の秋葉山常夜燈を見ながら歩くと、

やっと次の目的地が見えてくる。

冠木門

ここがかつての岡崎宿の江戸口になり、そこに設置されていた冠木門を模したモニュメントが設置されていた。

掛川宿や吉田宿などこれまで歩いてきた城下町には、七曲りや曲尺手と呼ばれる防衛のためのクランク状の線形が見られたが、岡崎城下の岡崎宿にはなんと27もの曲がり角があり、二十七曲りと呼ばれていた。

ということで、ここにその岡崎城下二十七曲り説明の碑が建っている。

冠木門を過ぎたら旧東海道は右へ(ここは二十七曲りの一つではないようだ)。

そして100mほど進んだらここを左折。ここが二十七曲りの一つ目の曲がり角になる。

根石原観音堂

根石原観音堂は、和銅元年(708年)に悪病退散を祈願して彫った観音像を安置したのが始まり。和銅元年といえば、日本初の流通貨幣である和同開珎の製造が始まった年と同じ!?非常に歴史の深い御堂のようだ。

そして徳川家康公の嫡男である岡崎三郎信康公が天正元年(1573年)の初陣の際に、この観音像を祈願して軍功をあげ、それ以来、開運の守り本尊としても崇められたそうだ。

見た目は小さいが、もの凄い謂れのある御堂だった。

二十七曲りの場所にはわらじが置かれた道標が設置されていて、江戸口から順番に『い・ろ・は・に・ほ・へ・と』とカウントされている。

この場所は二番目の角ということで『ろ』と書かれているが、直進??

まあ、僅かに湾曲しているのでカウントされているのだろう。

310mほど進み『は』を右折。

すると右手に・・・秋葉山常夜燈のようだ。覆屋に納められた常夜燈は初めて見た。

その先の丁字路を左折。

『に』の道標は曲がった先に設置されていた。

円頓寺

二十七曲りの『に』を曲がってしばらく歩くと、正保二年(1645年)建立の円頓寺がある。

こちらのお寺は、岡崎城主だった水野忠義が、母供養のために建てたのが始まり。

東本陣跡

円頓寺のすぐ先にあったのが岡崎宿の東本陣で、服部小八郎が務めていた。建坪は209坪半で部屋は200畳以上あったそうだ。

そんな東本陣の場所は現在、花屋さんになっていた。

あわ雪茶屋(備前屋)

岡崎宿のメインロードだったこの街道の歩道には、歴史にまつわる説明がそのモニュメントとともに設置されていて面白い。どうやら岡崎宿の名物は石製品のようで、この設置が行われたのだろう。

あわ雪茶屋もその一つ。

江戸時代、岡崎宿の食の名物は葛(くず)や山芋をベースにした醤油味のあんをかけたあんかけ豆腐で、この場所にあったあわ雪茶屋という店で淡雪豆腐として出されていたそうだ。

あわ雪茶屋は現在、備前屋(天明二年1782年創業)という御菓子店になり、淡雪豆腐を模したあわ雪というお菓子が販売されている。

帰り道、そのあわ雪を購入してみたところ、ほんのり甘い飽きのこない素朴な味で、丸々一本をペロリと食べてしまった。

永田屋

そのとなりにある永田屋も歴史深いお店で、その創業は天保十四年(1843年)。この建物は大正初期に建てられたそうだ。

看板には肉問屋と書かれているが、江戸時代に肉屋とは考えにくい。事業転換をしたかな。

西本陣跡

そして、本日最後の目的地である岡崎宿の西本陣に到着。

中根家が務めた西本陣は現在コンビニに変わっていた。

旅の記録

今回の旅は岡崎宿の西本陣跡の前で終了とする。

では、いつものようにiPhoneのフィットネスアプリの記録を確認してみよう。

  • 出発日:2026年8月14日(金)
  • 時 間:11時42分から14時52分(3時間10分)
  • 距 離:8.58km
  • 高 度:91m
  • 天 気:曇り
  • 気 温:28度
  • 湿 度:60%

藤川宿の本陣前を出発したのが11時42分で、8.58kmの距離を3時間10分かけて、14時52分に岡崎宿に到着した。

空は雲に覆われていて夏真っ盛りにしては気温が高くなかったが、それでも汗びっしょりになりながら、頑張って歩き通すことができた。

本文中でも書いた通り、帰り道に備前屋に立ち寄りあわ雪を購入し、乙川を渡りながらパクリ。美味しかったなあ。

二十七曲りの途中? はい、その続きは次回の岡崎宿→知立宿編で書いていくので、興味のある方は次もどうぞご覧ください。

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ライター紹介

静岡生まれ静岡育ち現在も静岡在住の50代、大福と申します。平日は会社に御奉公し、週末はライカを持って旧街道を歩いてます。

コメント

コメント一覧 (1件)

  • 大福様 おはようございます。
    関山神社の参道を見て思い出すのが、村の中にある神社。行けるかなと思って車を乗り入れたところ、だんだん狭くなってきて、ついには他所様の庭先を借りてUターンしたこと、参道に入ろうとして地元の人に、この車では無理だと思うよと止められたこと等々、いろいろ大変だったことが思い出されます。(^_^;)
    この辺りの東海道、昔の道幅のままなのでしょうか。近所の古代・南海道(大和街道)も同じような道幅のように見えます。
    再現とは言え棒鼻も珍しいですね。
    松並木も涼しそう。これなら冬の北風も防いでくれそうですね。
    三河黒松も大きくなるとこんなふうになるのですね。亡き父の趣味だった盆栽の中に三河黒松が何本かあるのですが、手入れの仕方がよくわからないので、だんだん盆栽とは言えないような姿になってきています。(^_^;)
    山灯籠って素敵ですよね。野趣に富んでいて、すんなりと周りの風景に溶け込んでいるようで・・・。見かけるとついカメラを向けてしまいます。
    ガソリン150円安すぎですか。私の住んでいる所はこんなの当たり前です。私は今リッター3円引きで141円で入れています。プリペイドカード1万円でリッター1円引き、2万円で2円引き、3万円では3円引きになっています。昔は和歌山のガソリンは高いから、大阪や奈良で給油してから・・・というのが常識だったのですが、新しい国号バイパスが出来たとき、ガソリンスタンドが乱立し、熾烈な過当競争になった時の名残です。ですから、今は大阪などに出かけると高いことにびっくりしています。(^_^;)
    田園地帯を通る東海道、昔はきっとこんな風景が続いていたのでしょうね。東海道の原風景かも。
    秋葉山常夜灯の隣に消防署・・・その発想に拍手したくなります。この辺りではあまり火事は起きないのではないでしょうか。
    大平の一里塚、残念でしたね。最近では外来生物による樹木の枯死が問題になっていることを思えば、まだ台風で倒れたなら仕方のないことと諦めることが出来るかもです。
    ビールがなかったとはこれまた残念でしたね。私は途中でお酒を飲まない主義ですので気がつかないと思いますが・・・。昔、高速のサービスエリアで酒類は扱わなくなったことを知っています。酒好きのドライバーが横で美味しそうにビールを飲まれるとちょっと可哀想ですしね。ましてや誘惑に抗しきれずにちょっと一杯だけということになっては、これまた大変ですものね。(^-^*)
    天使は空を飛ぶのでピアノはちょっと無理かも。(^_^) それに天使のラッパ(エンジェルストランペット)という花もあることですし・・・。
    岡崎城下二十七曲りとはさすがですね。さすが家康所縁の地。
    根石原観音堂、徳川信康が初陣祈願されたところなのですね。悲劇の武将・信康の意気盛んだった頃が偲ばれるような気がします。
    覆屋の中の常夜灯、大切に保存されているのはよほどの謂れがあるのでしょうね。たかが灯籠一つとしない、地域の人々の思いが感じられて素敵です。
    泡雪茶屋の石像、これ以上ないと言ったうれしそうな表情がいいですね。淡雪豆腐を食べているところでしょうか・・・。
    今回も興味ある記事、ありがとうございました。
    これからも、お気を付けて・・・。

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