今回は旧東海道の続き。
お盆休み初日の8月9日に二川宿から吉田宿、御油宿を経由して赤坂宿に到着し、お盆休み2回目の歩き旅となる今回は、赤坂宿から藤川宿を経由して岡崎宿を目指す。

ということで、静岡駅始発の東海道新幹線に乗車し、東海道本線、名鉄本線を乗り継いで名電赤坂駅で下車して、

前回のゴール地点である赤坂宿本陣跡に到着。本陣門は朝の清掃中だった。ご苦労様です。
では、本日もライカM11をぶら下げて出発進行!
カメラ:LEICA M11
レンズ:LEICA SUMMARON-M f5.6/28mm
尾崎屋

本陣跡を出てすぐにあるのが、明治元年創業の曲物(杉や檜などの薄い木を曲げて作る容器)の老舗、尾崎屋。
いかにも古そうな木造建屋は、創業時のものなのか?と思ったが、尾崎屋が創業する前に同地にあった長崎屋の建物を譲り受けたそうで、なんと江戸時代に建てられた木造建築になる。
のっけから驚きの赤坂宿に驚きまくる。
旧旅籠大橋屋

その先にもまた、歴史深い木造建築。こちらは、文化六年(1809年)の赤坂宿大火の後に建てられたという、創業慶安二年(1649年)の旅籠大橋屋になる。旧屋号は伊右エ門鯉屋。
なんと、徳川第十一代将軍家茂の時代の建物・・・。
そして尚も驚くことに、大橋屋は平成二十七年まで営業を続けてきたそうだ。丁髷の江戸人から現代人まで、様々な時代の旅人を泊めてきた大橋屋に驚くばかり。
現在は観光施設として無料開放されているようだが、まだ7時台ということでオープン前だった。次に訪れた際にはぜひとも観覧させてもらいたい。
赤坂宿脇本陣

その大橋屋の観光者用駐車場に石碑があり、ここはかつて脇本陣があったそうだ。屋号は輪違屋とちょっと変わったお名前。
旅籠屋のために脇本陣が土地を貸すとは・・・。

そのとなりの建物もなかなか・・・と思っていたが、よらまいかんという休憩処。ここで身体を軽くする。

その向かいには高札場跡の標柱があり、

立派なお屋敷を挟んだ向こう側には赤坂宿陣屋跡(代官所跡)の説明板があった。
陣屋とは現代でいうところの役所になる。

赤坂宿陣屋跡を過ぎると、旧東海道は緩やかに上り始める。
杉森八幡社

緩い上りを200mほど歩くと右手に杉森八幡社の鳥居がある。
杉森八幡社は大宝二年(702年)、持統上皇が東国巡幸の際に伊勢神宮領領御厨跡に八幡社を勧請したのが始まりという、とても歴史がある神社。
境内には推定樹齢千年の夫婦クスノキや、明治五年に造られた歌舞伎の舞台があるそうだが、今日は先を急ぐので立ち寄らなかった。
西見附跡

杉森八幡社のすぐ先には赤坂宿の京見附の場所を示す標柱がある。
この辺りの歴史的スポットを紹介する標柱は木製で趣があっていいのだが、文字が掠れて見えづらいのが難点。

西見附跡の向かいのこちらの標柱は・・・見えない。

赤坂宿を出るとすぐの場所にある、昭和十五年建立の秋葉山常夜燈を左手に見ながら緩やかな坂を進む。

音羽中学校の横には名残りの松。

その先には、『招福除病開運毘沙門天王尊』と刻まれた、なんとなく縁起が良さそうな文字が羅列した石碑がある。
栄善寺

ここを左に行くと、文永九年(1272年)創建の栄善寺がある。

参道の石段脇には阿弥陀如来坐像、役業者像、馬頭観音坐像などがあるそうだが、体力温存のため、ここで引き返す。
八王子神社

その先には八王子神社の碑がある。
全国に点在する八王子神社はスサノオノミコトと八柱の御子神(八王子権現)を祀る神社で、東京の八王子もそれが起源になる。

八王子神社の石碑を過ぎたら八王子橋を渡り、県道の高架をくぐる。

その先は古い民家が軒を並べる街道になる。

廃屋の前にリヤカー。長いこと空き家のまま放置されているのだろう。

その先の小屋にはマルフクのホーロー看板。私が子供のころはよく見たが、最近はとんと見かけなくなった。
長沢の一里塚跡

そしてその先に長沢の一里塚跡の標柱があった。

江戸日本橋から七十七里(302.4km)。出発からついに300kmを超えた。
まあ、実際には寄り道が多く、この1.2倍ほど歩いているのだが。
長沢城跡

その先の長沢小学校の脇に説明看板が見える。

が、文字が掠れてほぼ見えない。
確認するとここは、松平信光が築城した長沢城があった場所。中世の長沢は東西三河の境目にあり、戦略上重要な地域だったそうだ。

豊かな水と平野がある三河地方は愛知県で有数の米どころで、稲穂がかなり実っていて、収穫が間も無く行われそうだ。
実ほど
頭を垂れる
稲穂かな
五十路を過ぎても実らない私は・・・まあ、それでも頭を垂れておこう。

こちらは廃寺?
誓林寺

誓林寺は、親鸞聖人の弟子である誓海坊が山中村(現在の岡崎市)に草庵を建てたのが始まり。
奥に見える本堂は文政七年(1824年)の建立。
そういえば、昨日、竹田恒泰氏がお盆の正式な名称はお盆会や盂蘭盆会(うらぼんえ)と呼ぶ旨の話をしていたが、誓林寺の山門に正式名称の『お盆会』の文字を掲げていた。

雲に隠れていた太陽が顔を出し、夏真っ盛りの日差しが容赦なく肌を突き刺し暑い。
あっ!日焼け止めを塗るのを忘れた。次のコンビニで購入したいが、この田舎道にコンビニはしばらく無さそうだ。

村社巓神社の社標。本殿は右に曲がり東名高速道路を超えた先にあるそうだ。

そのとなりの秋葉山常夜燈は寛政十年(1798年)建立。

その先で国道1号線と並走するようになり、『岡崎の新宿まであと4km』の看板・・・なにこれ??
どうやらパチンコ屋の看板らいし。おそらく私と同じく検索した方が多くいるはずで、訴求効果が絶大な看板だ。
観音堂跡

ここは観音堂があった場所で、旧境内には落馬で亡くなった旅人を供養する菩薩像などがあった。

すぐ先には立信寺への参道口があり、入り口に地蔵小堂が並んでいた。

その小堂の並びの常夜燈は安政六年(1859年)建立。

旧東海道は地蔵小堂先の右手の千両橋を渡り、

渡り詰めを左折して、川沿いを進む。

そして100mほど歩き、この切れ目から国道1号線に合流する。

国道1号線はいつものように見どころは乏しく、緩い坂道を淡々と歩くのみ。
国道1号線沿いはほぼ歩行者とすれ違わないが、バックパックを背負った同業者らしき女性とすれ違い、軽く会釈を交わす。女性一人での歩き旅は実にカッコいい。
やはり御油宿の先で姫街道に行くのだろうか。
そういえば、愛知に入り同業者と滅多に並走やすれ違いをしなくなった。暑さのせい?それとも江戸日本橋や京三条大橋から遠いため、多くが離脱したのだろうか。
そんなことを考えていたが、このあと何人かの同業者とすれ違うことになる。同じ思いで歩く方に出会すのは嬉しいものだ。

見どころが無い緩い上り坂を延々と歩いてきたが、岡崎市に入ると下に転じて足取りは軽やかになる。
間の宿 本宿碑

ここで久々に石碑を発見。
赤坂宿と藤沢宿はやや距離が長く、その中間地点に位置する本宿村に間の宿が設けられた。東海道中膝栗毛にも登場する本宿だが、間の宿なので、名前に反して宿泊はご法度。ややこしや〜。

そして冠木門を抜けたら、

国道1号線に沿う旧道を進み、

みんな大好きオービスが見えたら、

その先を斜め左に入る。

古い民家が残るいい感じの街道だ。
法蔵寺

そして、すぐに法蔵寺がある。法蔵寺の創建は大宝元年(701年)・・・なんと(洒落じゃないぞ)平城京に都が移される前・・・飛鳥時代!?
いやー、びっくり!
こちらは家康公お手習の寺として、江戸期を通じて門前下馬だった。また、墓地には徳川家の祖である松平一族や、家康の生涯最大の惨敗となった三方原の戦いでの戦死者の墓があるそうだ。
岡崎といえば徳川家康生誕の地としてあまりにも有名だが、特に法蔵寺は関わりが深いとは知らなかった。

そんな法蔵寺前には広い駐車場があったが、往時はここに立場があり、炙った溜まり醤油で味付けした法蔵寺団子が名物だったようだ。

法蔵寺橋を渡り、

不動院を右手に見ながら進むと、

民家の塀に本宿古城の説明板。この地に東西76m、南北86mの平城があったそうだ。
本宿陣屋跡

その先を左に曲がり坂を上ると和風のレストランがあるが、この辺りに本宿陣屋があった。
代官職は代々冨田家が世襲し、領地の管理や年貢の徴収などを任されたそうだが、

現在その敷地は冨田病院になっていた。おそらく末裔が経営しているのであろう。
大正時代の木造建築

私の街道旅は基本的に、ガイドブックに掲載されている名所旧跡に立ち寄っているが、それに掲載されていない、非常に印象的な木造建屋があった。
入り口には日本レトルトフーズサービスと岡崎市都市景観環境賞のプレートが掲げられている。

どうやらこの木造建築は、大正十一年から昭和五年にかけて旅館として建築されたものらしく、その後同社が使用したそうだ。
是非とも後世に残してもらいたい見応えのある建物だった。

寛政十三年(1801年)建立の秋葉山常夜燈を右手に見ながら進み、

その先の辻で右を見ると名鉄本宿駅が見えた。
御油宿手前からずっと並走する名鉄名古屋本線。名前からして旧東海道と並走してそうなJR”東海道”本線はというと、二川宿で並走した後に遥南の海沿いを走っているようだ。もはや東海道ではない??
本宿の一里塚跡

名鉄本宿駅入り口の先に石碑を発見。

ここが本宿の一里塚があった場所になる。一里塚は現存していないが、大きく立派な一里塚碑に、ファンとしては満足!?
江戸日本橋から七十八里(306.3km)。

一里塚の100mほど先には薬師如来を祀る揚珠院。
宇津野龍碩邸跡

そこからさらに100mほど歩くと『宇津野龍碩邸跡と長屋門(現存)』という説明板がある。
が、その現存しているはずの長屋門が・・・ない。
どうやら、極近年に取り壊されてしまったようで、”現存”と書かれた説明板が虚しい限り。
説明によると、宇津野龍碩はシーボルト門人青木周弼に医学を学んだ蘭方医として知られているらしく、安政年間、当時としては画期的ともいわれる植疱瘡(天然痘の予防接種である種痘)を地域住民に施し、多くの命を救ったそうだ。
時刻はまもなく10時ということで、夏の太陽の威力が増してきてとにかく暑い。
ということで、宇津野龍碩邸跡の前にあるコンビニでアイスクリームを購入し、しばしの休憩。さらに日焼け止めとフェイスタオルを購入し、遅ればせながらお肌のケアをして藤川宿に向け出発する。

そしてコンビニ裏のここを右に曲がり、

次に備えて国道1号線を渡り、

国道1号線を左に見ながら進む。

そして横断歩道に沿って右に逸れ、

名鉄名古屋本線の側道を歩く。

ふたたび国道1号線と合流すると、すぐ右にスロープがあるので、それを下り、

歩きやすい緩い下りの旧道を進む。
大雄山興円寺寺標

旧街道に入るとすぐに大雄山興円寺の寺標と、横には地蔵立像が祀られている。
そして額田郡新新四國三十七札所の石碑も・・・なんだろう。
調べてみるとこの辺りは額田郡という住所で、昭和三十九年に再編・再興された「三河新四國八十八ヶ所霊場」などの弘法大師霊場が展開されており、域内の寺院が各札所となっている。
ということで、次の寺院でもナンバーリングがあるのか、ちょっと楽しみになった。

するとポツポツと雨が降り出してきた。そうだ、40%の雨予報だったが、雨具を持っていなかった。

すると目の前に冠木門があり、そのベンチで雨宿り。

見上げると青空も見え、雨は一瞬で止み一安心。さあ、藤川宿まではあと僅かだ。

歩き出すとすぐに舞木橋があり、その手前に専称山永證寺の寺標がある。

古い石碑に㐧三十八番という文字が確認できる。先ほどの額田郡新新四國札所の三十八番目だ。

そして松並木を見ながら進み、

その先で国道1号線とふたたび合流する。

しばらく国道1号線を進むと、

高台に無数の名鉄電車・・・なんだ??
調べてみると名鉄の舞木検査場らしい。
通常平地にある列車の車庫や検査場だが、あれだけ見晴らしの良い場所に立地していて、軽い鉄ちゃんの私にとっては目の保養になった。
山中八幡宮と御開運御身隠山碑

その左手にあったのが山中八幡宮で、入り口には御開運御身隠山碑が建っていた。
山中八幡宮の山腹に鳩ケ窟という洞窟があり、三河一向一揆の戦いに敗れた家康公が洞窟に隠れ、追手が近づくと二羽の鳩が飛び出し難を逃れたという伝説があるそうだ。

そして100mほど進むと道の駅藤川宿の看板があるので、ここを斜め左に向かい国道1号線から離脱する。

さらにこのY字路を左に進むと次の目的地がある。
東棒鼻跡

ここは藤川宿の江戸口があった場所。

石垣見附がしっかりと再現された宿場の入り口は、袋井宿西見附以来だ。

さらに棒鼻まで再現されているではないか。
ちなみに、棒鼻とは駕籠の棒先の意味で、大名行列が宿場へ入る時にこの場所で先頭(棒先)を整えたことから、ここを棒鼻と呼ぶようになったそうだ。
いやー、柳の木も雰囲気を演出して、とっても良い感じの宿場入り口だった。
さあ、ここから東海道三十七番目の宿場、藤川宿に入る。

ということで、藤川宿に入ったら、その先の丁字路を右折して、

次の丁字路を左折したら、藤川宿メインロードに出る。

そのメインロードは京方向に緩く下っていて見晴らしが良い。

右手に津島神社の社標があるが、社殿は向こうに見える名鉄名古屋本線の奥を通る国道1号線の、さらに向こう側にある。

藤川宿には来訪者専用の無料駐車場があり、観光客誘致に力を入れているようで、この先さらに期待が膨らむ。

お城? いや、こちらは人形専門店。あまりにも立派なので撮ってしまった。
米や跡

このいかにも歴史がありそうな木造建築は、天保年間(1830-1844年)に建てられたもの。160年以上も前の建物とは驚きだ。
屋号は米やで、江戸時代は米穀商を営んでいた。
過去に改修工事が行われたようで、近年雑貨店や小箱ショップなどとして利用されてきたようだ。

すでに雑貨店としては営業を終了しているようだが、極めて近年まで現役の建物だったとは、凄い!
銭屋跡

一軒挟んだその先の建物もまたとても歴史が深そう。
こちらは米やよりさらに古い、文政年間(1818-1830年)に建てられた木造建築で、歴史的建物が残る藤川宿の中でももっとも古い商家になる。
江戸時代は萬屋などを営んでいたようで、屋号は銭屋・・・いや、現代じゃあ絶対に付けない屋号だなあ。

中を覗いてみると、室内には移動式スポットクーラーが置かれてリニューアル中??
藤川本陣跡

そして最後に紹介するのは、森川久左衛門が務めた藤川宿の本陣の跡。現在は本陣公園になっていた。

長旅に疲れたのでしばしの休憩をする。

公園内には井戸や、

高札場が忠実に再現されていた。

そして北側の裏手に回ると、往時を偲ばせる立派な本陣の石垣を残していた。
旅の記録

赤坂宿-藤川宿編はこれにて終了。では、いつものようにiPhoneのフィットネスアプリで、旅の記録を確認してみよう。
- 出発日:2026年8月14日(金)
- 時 間:7時36分から11時24分(3時間48分)
- 距 離:11.45km
- 高 度:112m
- 天 気:曇り
- 気 温:25度
- 湿 度:78%
赤坂宿を出発したのが7時36分で、3時間48分かけて11時24分に藤川宿に到着した。
歩いた距離はいつもより長い11.45kmで、三河高原を上ってきたこともあり、高度は112mとこちらもいつもより上昇した。
天気は曇りで気温は25度とあるが、おそらくスタート地点での数値と思われる。その後太陽が出たために一気に気温が上がり、なかなか厳しい環境でのウォーキングだった。
次回はこの日の午後に歩いた岡崎宿までの道のりを書いていくので、興味のある方は次回もどうぞご覧ください。

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コメント
コメント一覧 (1件)
大福様 おはようございます。
お盆、終わりましたね。我が家ではお祀りの片付けは済んだのですが、あと西国三十三所と四国八八所の掛け軸はまだ吊したままです。からっと晴れた湿度の低い日に仕舞おうと思っているのですが、なかなかそんな日が来なくって・・・。折角各お寺を回り、苦労して完成した掛け軸ですので、カビなど生えないようにと苦労します。(^_^;)
コンビニのない街道って素敵ですね。最近はどこに行っても、よく見るコンビニやチェーン店ばかりで、はるばる遠くへ旅したという感がなくなってきているのには興ざめしていますので・・・。落馬で亡くなった人を供養した観音堂とは珍しいですね。観音様は馬頭観音だったりして・・・。
大福様のように東海道踏破を目指している方が他にもいらっしゃるのですね。町並みや道路が整備されすぎたので、古き良き時代を偲んで・・・という方がいらっしゃるのでしょうか。そういった方々と挨拶を交わすのっていいですね。ちょうど山ですれ違った登山者同士が声を掛け合うのと同じようで・・・。私も山道ですれ違うとき、今でもつい「こんにちは」などと声をかけてしまいます。声をかけられた方は一瞬驚いたような表情をされるときもあります。それと登り優先の原則も・・・。習慣って面白いものですね。
むかしの東海道が今の町並みにそのまま取り入れられているのって素敵ですね。街道沿いには神社やお寺が昔のまま残っているしで、今も生活感が溢れている道のように思います。建っている家は今風の家であっても、今も生きている街道ということを強く感じます。生活している方々は少々道幅が狭いかも知れませんが・・・。(^_^;)
栄善寺に祀られている阿弥陀如来、馬頭観音、役行者は面白いですね。馬頭観音・役行者は旅を助けてくれる動物、強靱な足の御利益を願ったものでしょうが、旅に病んだとき助けてくれる薬師如来はいなくて、一足飛びに西方浄土に迎えてくれる阿弥陀様とは・・・。旅は助けてもらうことを期待するような甘いもんではありませんと言うことなのでしょうか。世の中は厳しいものです。(^_^;)
稲穂が頭を垂れる季節になったのですね。今年の実りの秋は一波乱ありそう。去年のお米がだんだん値崩れして、店に山積みにされているのですから・・・。もしかしてこれまで口にしたことがないような〇〇産コシヒカリなどが口に入るかもです。もっともそれは古米になるのかも知れませんが。(^_^;) 貧弱な農政には腹が立ってきます。
みんな大好きなオービス、私も最近簡易型の検知器を取り付けました。オビースまであと〇〇〇m、〇〇秒後ですなどと話しかけてくれます。おかげで運転するのも退屈しなくなりました。(^_^;)
飛鳥にある日本最古の寺とされる法興寺の創建が596年ですから、それよりも約100年後。各地に国分寺が建てられ始めたのは741年頃からですから法蔵寺の701年はちと早すぎるような・・・。でもいいじゃあないですか。古いお寺であることを主張したかった住職がいらっしゃったと思えば、それもまた楽しです。
藤川宿のメインロード、まっすぐなんですね。街道としては珍しいような。それとも藤川宿がとても大きい宿場だったのでしょうか。
米やの建物もそうですが、この辺りの街道沿いの町家は今風に二階が高いのもあるのですね。和歌山や奈良の街道では二階は低くなっていて虫籠窓のような低い窓があります。これは街道を通るお殿様などを見下ろすようなことがあってはならないという配慮から作られたと聞いています。東海道のように旅人が多いところでは二階も有効活用しなければならないので、そんなことは言っていられなかったのでしょうか。街道の景色も所によって変わるのも面白いですね。
これからも、どうぞお気を付けて旅をなさいますように・・・。