今回も旧東海道踏破の旅の続き。
盆休み初日の8月9日朝5時半に二川宿を出発し、吉田宿を経由して昼前に御油宿に到着。
夏の日差しの中で20km以上を歩き私の足は少々消耗しているが、次の赤坂宿までは目と鼻の先ということで、最後の力を振り絞り(というほどでもないが・・・)頑張って歩くとする。
では、御油宿本陣跡の前から、ライカM11をぶら下げて、しゅっぱーつ!
カメラ:LEICA M11
レンズ:LEICA SUMMARON-M f5.6/28mm
旅籠大津屋跡

御油宿本陣跡のとなりに位置する蔵を模した倉庫は、味噌醤油醸造業を生業とするイチビキ。
このイチビキは江戸時代に大津屋という屋号で、飯盛女(遊女)をたくさん抱えて大きな旅籠を営んでいた。
しかし幕末の嘉永元年(1848年)に、大津屋で働いていた飯盛女五人が将来を悲観して近くの池で集団入水自殺を図った。
これに心を痛め、旅籠の稼業に嫌気がさした大津屋の主人が旅籠屋を廃業し、その後醸造業に事業転換したそうだ。
尚、イチビキには現在も飯盛女の墓が残されているという。

そして御油宿の面影が残る旧街道を歩くと、

名物の松並木が見えてきたが、まずはその手前になる建造物を紹介する。
十王堂

松並木の手前にある十王堂は、人間の死後の世界で罪を裁くとされる十王(十人の判官)を祀っている御堂らしいが、この時点では知らなかった。しっかりと手を合わせておけばよかった・・・。
御関札立掛場跡

そして松並木の前にもう一つ。
この場所は御油宿の京口で、宿内に宿泊中の藩主名を記載した札を掲示していたそうだ。
消えかけた木札には、
寛文元年十一月二十一日
松平丹波守宿
と記載されているようだ。
寛文元年の松平丹波守とは、戸田松平家の三代 松平光重のことかな。こんな薄汚れた札を掲示していたら、光重さんに怒られるぞ。
御油の松並木

では、ここから御油宿を出て、御油の松並木を歩いてみたいと思う。

御油の松並木は御油宿から赤坂宿までの約600mにわたって続く松並木で、現在も約300本のクロマツが立ち並んでいる。

これまで多くの松並木を見てきたが、それらと比べて非常に太く高い松が多いことに気が付く。

中には自重に耐えきれず、道に覆い被さり、ワイヤーで支えられている松も。
実はここ御油の松並木は、江戸時代からの樹齢数百年という老樹が数多く残っているのが特徴。日本では太平洋戦争末期に、燃料や木材確保のために多くの松が伐採されたが、御湯の松並木は地域住民が景観を守るために尽力し、その甲斐あり、昭和十九年に国の天然記念物に指定され、日本の名松百選にも選ばれている。
東見附跡

御油の松並木は天王川の手前で終わり、

一ノ橋を渡った先に東見附跡の看板が掲げられている通り、ここが赤坂宿の東見附があった場所になる。
尚、当初はこの場所に設置されていたが、寛政八年(1796年)に赤坂宿東見附は、ここから150mほど先の関川神社手前に移設されている。

左手の大木が関川神社なので、東見附はこの辺りに移設されたと思われる。
関川神社

その関川神社の鳥居脇には、芭蕉俳句の碑がある。
夏の月
御油より出でて
赤坂や
確かにあっという間の赤坂宿到着だった。というか、このくらいの俳句ならば、私でも考えつきそう。

そして蒲原宿で見た旧五十嵐医院のような和洋折衷の建物を右手に見ながら進むと、本日最後の目的地に到着する。
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赤坂宿本陣跡

こちらは松平彦十郎が務めたという本陣の跡地(問屋も務めていた)。立派な門は往時を復元したものだろうか。
赤坂宿は当初、松平彦十郎家が務めた一軒のみだったが、宝永八年(1711年)には四軒あったそうだ。

その本陣の前にはかなりリアルに再現された高札場が設置されている。
旅の記録
ということで、本日の行程はここ赤坂宿本陣跡の前で終了とする。
では、いつものようにiPhoneのフィットネスアプリで、旅の記録を確認してみよう。
- 出発日:2026年8月9日(日)
- 時 間:11時50分から12時19分(29分)
- 距 離:1.61km
- 高 度:15m
- 天 気:曇り
- 気 温:30度
- 湿 度:62%
御油宿本陣跡を11時50分に出発して、赤坂宿本陣跡に到着したのが12時19分ということで、29分しかかからなかった。それもそのはずで、距離は実測値で1.61kmしかなく、これまで歩いた宿場間の中ではダントツで短かった。
時刻はまだ12時を回ったばかり。赤坂宿といえば御油宿と並び飯盛女のメッカなので、パーっと豪遊するか??
いや、もうそんな元気はないので、尻尾を巻いて退散。名電赤坂駅から生涯初の名鉄に乗り、豊橋駅でJR東海道本線に乗り換え二川駅で下車し、駐車場に置いてある愛車で静岡へ帰りました。
次回はここ赤坂宿から藤川宿までの道のりを歩くので、興味のある方は下のバナーからお付き合いください。
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コメント
コメント一覧 (2件)
大福様 おはようございます。イチビキの歴史には心打たれるものがあります。私のブログでも取り上げたのですが、高野山奥の院には京都鴨川組納骨塔というのが建てられています。花街に生きた女性を祀ったものか、経営者を祀ったものかはよく分かりませんが・・・。今は遊郭といった言葉に代えて花街と言われるようになり、むかしの悲惨な歴史には目を閉じようとする姿勢が窺えられますが、これも時代の流れなんでしょうね。
十王堂が街道沿いにあるのですね。大福様なら大丈夫。きっと閻魔様も喜んで極楽行きを認めてくださることでしょう。私と違って、まだまだ先の話だと思うのですが・・・。
御油の松並木、立派ですね。こんな松並木を歩く旅人は、きっと心が安らぎ足取りも軽く歩けたことでしょう。
高札場、街道に限らず古い町にも見られますよね。当時の人々が張られた制札を眺めている様子が目に浮かぶようで、往事にタイムスリップしたような気持ちになることがよくあります。
盆休みに孫達が来ていて、てんやわんやの状態でしたので、拝見するのが遅れてしまいました。🙇 最近は熱帯夜から解放されて、エアコンなしで寝られる日が増えてきましたし、蝉もツクツクボウシが鳴き始め、秋の到来を感じさせられます。でも日中はまだまだ暑い日が続いています。お気を付けて旅を続けられますように・・・。
asamoyosiさん、こんばんは。
京都鴨川組納骨塔を取り上げたブログ記事を読まさせていただきました。華やかな”廓”の裏には、悲しき歴史が各地であったのでしょう。
悲惨な歴史には目を閉じるべきか、それとも伝えていくべきか、難しいところですね。
旧東海道にはこれまでも多くの松並木がありましたが、御油の松並木はちょっと別格で、高く聳えた巨木が多く残っており、見応え抜群でした。
充実した盆休みだったようですね。盆が明けて少しずつですが、秋の訪れを感じるようになってきました。
これで、現地の最高気温を気にせずに街道歩きができる季節も近い・・・と思い、来週末の岡崎市の最高気温を調べると35度!
秋はまだまだ先のようです・・・。