先日、東海道五十三次を歩いてみようと思いたち、手始めに日本橋から品川宿を歩いてみたところ、思いの外楽しいということがわかった。
そこで今回は、自宅のある静岡市から一番最初のひかり号に乗り、前回の終着点である品川宿本陣跡に8時50分に到着。ここから川崎宿を経て神奈川宿まで一日をかけて歩き通したいと思う。
ということで、この記事は本日午前中に歩いた品川宿から川崎宿までの記録になる。

では、早朝の品川宿から旅の始まり。
脇本陣百足屋跡

品川宿本陣を出発して北品川と南品川を隔てる品川橋を渡ると、品川宿の脇本陣跡地が見えてきた。

こちらが品川宿京側脇本陣の百足屋跡地。現在は城南信用金庫になっていた。
外観は信金らしからぬ和の風合いを取り入れており、東海道の景観に配慮していることが伺える。
百足屋とは変わった名前だが、由来は営んでいた百足屋治兵衛から。苗字だとはびっくり。

その城南信用金庫の脇には説明札が設置されていた。
問屋場貫目改所跡

こちらは問屋場が扱う荷の重量検査を行った問屋場貫目改所があった場所。

現在は菓子実験社という会社になっていて、入口には問屋場だったことを示すプレートが掲げられていた。
幕府御用宿 釜屋跡

ここは品川宿の中でも参勤交代の諸大名にとりわけ愛された、釜屋という茶屋があった場所。現在はマンションが建っていた。

そのマンションの正面には釜屋の説明があり、それによると、釜屋は海を望む風光明媚な茶屋で、諸大名や多くの幕臣、新撰組なども休憩したそうだ。
しかし、今は埋め立てにより海岸線が遠くなり周囲には建物が立ち並び、海なんてまったく見えない。
品川寺

釜屋から振り向くと、大きなお地蔵様が鎮座されていてびっくり。つい、声を上げてしまった・・・。
こちらは宝永五年(1708年)造立の品川寺(”しながわでら”ではなく”ほんせんじ”と読む)の地蔵尊。
三百年、ずっとこの地で旅人を見守っていると思うと感慨深い。
浜川砲台跡

ここで旧東海道から少し海方向に入り、浜川砲台跡にやってきた。
今は新浜川公園となっているこの場所は、かつて土佐藩の下屋敷があり、ペリー再来航の後に台場が設置されたとのこと。

現在公園の中央にはリアルに再現された砲台のレプリカや、

ペリーを乗せた軍艦を模した遊具?が設置されていた。

ふたたび旧東海道に戻り足を進める。
浜川橋(涙橋)

程なくして渡るのが元禄六年(1600年)ごろに架けられた浜川橋、通称涙橋。

この橋がなぜ涙橋と呼ばれたのか、橋のたもとに説明書きがあった。
それによると、この先の鈴ヶ森刑場で処刑される罪人を親族がひそかに見送りに来て、この橋でともに涙を流したことから涙橋と呼ばれそうだ。

そして少し歩くと鈴ヶ森刑場の碑が見えてきた。
鈴ヶ森刑場跡

こちらが鈴ヶ森刑場の跡地。
鈴ヶ森刑場は慶安四年(1651年)に設置された仕置場で、多くの歴史上の人物がこの場所で処刑された。

歌舞伎の演目で有名な八百屋のお七もそのひとり。
恋仲になった寺小姓に会えると盲信して自宅に火を付けた八百屋のお七は、ここで火炙りの刑になり、その柱を立てた礎石が今も残っていた。

ここまで旧道を歩いてきたが、鈴ヶ森刑場跡の先でふたたび国道15号線と合流する。

国道15号線に出るとすぐにしながわ水族館がある。現在は海岸線から遠くなった旧東海道が、江戸時代は海の近くを歩いていたということを伺い知れる施設だ。
磐井神社(鈴ヶ森神社)

そして到着したのが磐井神社。
叩くと鈴の音がするという鈴石があり、銀杏の大樹が聳えていることから鈴ヶ森神社と呼ばれたとのこと。

鈴石は確認できなかったが、注連縄で神聖に祀られていた、この銀杏の樹がその銀杏の大樹だろう。
江戸時代からすでに大樹と言われていた大銀杏。樹齢は何百年なのだろうか。

国道15号線の磐井神社前の歩道には、磐井の井戸がある。
おそらくむかしはここも磐井神社の敷地だったのだろう。そして国道を通す際、井戸にかからぬギリギリに設計したのだと思う。

この井戸から出る霊水と呼ばれる水は、心正しき者が飲めば清水に、心卑しき者が飲めば塩水になると言われていた。私は絶対に塩水に感じるだろうと思うので、蓋が閉じられていてよかった・・・。

国道15号線を歩いてきたが、大森海岸交番を斜め左に入り旧道へ。
旧東海道標石

旧道に入ると標石があり、

説明書きがあった。


江戸時代の道幅を残した900mの道のりを、往時のことを少しだけ感じながら歩いて行く。
大森の一里塚

この辺りに大森の一里塚があったらしい。
江戸時代、東海道には一里(4km弱)毎に一里塚と呼ばれる道標が設置されていて、大森の一里塚は日本橋から三里。約12kmを歩いてきたことになる。
まあ、実際には寄り道や道間違いもあるので、かなり多くなっているが・・・。
物の本によると数年前までは説明の立て看板が設置されていたようだが、私が訪れた時にはすでに撤去されてしまったのか確認できなかった。
この後、一里塚がどれだけ残っているのか楽しみに旅をしよう。

一里塚跡の先で江戸時代の道幅を残した旧道は終了し、またも国道15号線に合流。

反対側の歩道に移り足を進める。
梅屋敷跡

趣のある門が印象的なここは梅屋敷公園。
地本問屋(大衆紙の企画、製作をして販売した問屋)伊勢屋彦右衛門の別荘で、多くの梅の木が植えてあったことから梅屋敷と呼ばれた場所だ。

江戸時代には行楽地として有名だったが、明治四十三年(1910年)の水害ですべての梅が枯れてしまい、廃園となってしまった。

その後公園として整備されたが、見ると池の水が枯渇。水害で廃園して今度は水不足とはなんとも・・・。

園内には日本橋からの距離が書かれていた。ここまでの距離は三里十八丁=13.7km。京三条大橋は遥か先・・・。

江戸時代は二つの橋が並び夫婦橋と呼ばれた橋を渡り、遠い遠い京に向かう。
熊野神社

この熊野神社には、近隣の力自慢の若者が、祭礼の時に力比べを行ったという力石があるとのことだが、うーん、どこにあるのかわからない。

そして、となりには可愛らしい稲荷神社。もちろん狛犬は狐さん。
神奈川県へ

そしてこの六郷神社の前を、

左に外れて細道を歩き、

この階段を登ると、

多摩川に到達。対岸に見えるのが神奈川県になる。

東京側から見る神奈川はビルヂングが立ち並び、38度線から望む北みたいな見せかけの都会感を感じた(神奈川県人に失礼っ!)。

また、多摩川の河川敷は東京側には整備の行き届いた野球場やテニス場が幾く面もあるのに対し、神奈川側には追いやられた川の流れのみ。おそらく、この多摩川の管理は東京都だと思うのだが・・・知らんけど。

そして多摩川を渡り切り東京都から神奈川県に。歩いて県境を越えたのは初めての経験だ。
これで東京を完全制覇!(勘違い!)

橋を渡り切ったら看板の通りにガードをくぐると、

ガードの先から川崎宿になる。
万年横丁 万年屋跡

川崎宿は万年横丁という商店街で今も栄えていた。

万年横丁の江戸側入り口には説明書きがあり、それによると、川崎宿の名高い家は、万年、新田屋、小土呂とあり、中でも万年屋とその奈良茶飯は有名だったそう。

ここが万年屋があった場所。現在は立派なマンションが建っていた。

かつて万年屋で出されていた有名な奈良茶飯は、その先の東照という和菓子屋さんで味わえるそうだ。
先を急ぐあまり通過してしまったが、食べておきたかったとその先で少々の後悔をすることに。
田中本陣跡(下本陣)

こちらが川崎宿下本陣の田中本陣跡。ここも立派なマンションに変わっていた。

東海道かわさき宿交流館

こちらは東海道かわさき宿交流館。




入ってみると、川崎宿の街並みを再現したジオラマや、江戸時代の着物とかつらをレンタル出来たりと、なかなか充実していた。
惣兵衛本陣(中の本陣)


川崎宿には三つの本陣があったそうだが、その真ん中にあった惣兵衛本陣はこのラーメン壱角屋のあたり(ピンボケ写真でごめんなさい)。
本陣は脇本陣と違い庶民の旅人を泊めることはなかったようで、江戸時代後半になると経営が苦しくなる本陣が多かったようだ。
この惣兵衛本陣も厳しい経営だったのか、江戸後期に廃業したそうだ。
問屋場跡


そして惣兵衛本陣の向かい側にあったのが問屋場。
約三十人の問屋役人が昼夜交代で勤めていたという問屋場は、現在セブンイレブンになり、今も同じく昼夜交代で営業している。
佐藤本陣跡(上の本陣)

砂子交差点を渡り、左側の川崎信用金庫のビルが建っている場所が佐藤本陣(上の本陣)。
本日最初に紹介した品川宿の下本陣も信金だったし、地元の有力者が長い年月を経て金貸しに転身するのか。

そんな、かわしんの一角には、佐藤本陣の佐藤惣之助生誕の地碑があった。この佐藤本陣は、徳川十四代目将軍の家茂上洛の際に宿所となったそうだ。

ちなみにこの日はかわしんの敷地内でイベントが開催されていて、インド人や中国人が屋台を出店。アイドルのコンサートも行われていた。

朝8時50分に品川宿を出発し何も食べずに13時。腹が減ったので、地元川崎名物でも・・・と思ったが、なぜか中国の出店で焼きそば、焼き鳥、餃子を青島ビールで流し込み、腹ごしらえを完了する。
歩みの記録(品川宿→川崎宿)

そして川崎宿の中心である小土呂橋交差点で、品川宿から川崎宿の行程は終了。今回は所々で旧道に入り、前回は味わうことのできなかった江戸時代の雰囲気を少しだけ味わえた。
では、Apple Watchのフィットネスアプリで、旅の記録を見てみる。
- 出発日:2025年10月18日(土)
- 時 間:8時55分から13時23分(4時間28分)
- 距 離:13.55km
- 高 度:33m
- 天 気:晴れ
- 気 温:19度
- 湿 度:81%
今回、品川宿から川崎宿までの道のりは、4時間28分を要した。途中寄り道をしながら、また道を間違えて戻ったりもしたので、今回もちょっと時間がかかった。
その影響で歩いた距離は13.55km。江戸時代は二里半(約10km)と言われており、現在の道での実測では11.4kmなので、2km以上も多く歩いたことになる。
まあ、どこにも寄らず、道を間違えることなく歩けば、もう少し時間も距離も短くできるが、それじゃあ、あまりにもつまらない。観光し撮影しながら旧東海道を歩くのが今回の旅の目的だ。
ということで、今回は以上。
この後の川崎宿から神奈川宿までの行程は、次の記事で書いているので、興味のある方は下のバナーからお付き合いを。
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