今回は旧東海道踏破の旅の続き。
2025年11月15日は午前中に戸塚宿から藤沢宿までを歩き、午後からはここ藤沢から平塚宿を目指す。

ということで、前回の終着点である真っ赤な遊行寺橋から出発。
紙問屋 旧桔梗屋

遊行寺橋を渡り、丁字路を右折。そしてしばらく歩くと、蔵造りでなんとも雰囲気のある商家がある。
こちらは紙問屋の旧桔梗屋。
江戸時代創業の旧桔梗屋のこちらの店舗は明治四十四年建設だそうで、国の有形文化財になっている。

現在も文化財の店舗で営業をしているとは凄い。

次の目的地は、このお茶屋の角を右折する。
藤沢御殿跡

角を曲がり正面にあったのが仮設の消防署。こちらは徳川三代将軍の家光まで使われていた藤沢御殿があった場所になる。
解説本には消防署に説明板があると書いてあるが、旧建物を解体した際に撤去されたのか2025年11月月現在は見当たらなかった。
ぜひ、新たな消防署建設の際に、立派な説明板を掲げてもらいたいものだ。
藤沢宿本陣跡

旧東海道に戻り、すぐにあったのが蒔田源右衛門が務めた、藤沢宿唯一の本陣の説明板。

説明板の正面の写真右の店舗の辺りにあったようだ。
坂戸町問屋場跡

藤沢宿本陣の先の道を挟んで反対側にあったのが、杉山弥兵衛が務めた坂戸町問屋場。
もちろん今は建物が無く、歩道に説明板が設置されていた。
常光寺

問屋場のすぐ先を左に入った正面にあるのが常光寺。
万治二年(1659年)建立の庚申供養塔などがあるそうだが、本日は先が長く日が暮れそうなので、参門で手を合わせるのみで先を急ぐ。
源義経首洗井戸

街道沿いに源義経首洗井戸という物騒な説明板があった。

ここを右に曲がると突き当たりに公園があり、

その片隅に石碑。

そして奥に井戸がある。
こちらの井戸は、首実験後に片瀬の浜に捨てられた義経の首を里の者が拾い上げ、洗い清めた井戸だそうだ。
もちろんすでに井戸は枯れていたが、義経にしっかりと頭を下げた。

旧東海道に戻り、少し歩くと伊勢山橋という立派な橋台がある。
こちらは小田急江ノ島線の陸橋。

橋の上から見えるあの駅は江ノ電の藤沢本町駅になる。
藤沢宿京見附跡

伊勢山橋を渡ると、すぐにあるのが藤沢宿の上方見附があった場所で、説明板が設置してある。
他の多くの見附同様に石垣の土居が築かれ、竹矢来が組まれており、説明板によるとこの辺りには見附という屋号を持つ家があるようだ。
時刻は13時。出発前に静岡でおにぎりをひとつ食べたのみで、朝から延々と歩いて来たので、腹が減った。
よし、店を探そう。
※前の日に見た『孤独のグルメ』に引っ張られているので、しばらくお付き合いを

と、京見附の前に『玉佳』という町中華を発見。
本来は地のものを食べるべきだが、カロリーを消化しているのでガッツリ脂っこいものを入れたがっているようだ。
よし、ここにしよう。
店に入ると満席。ここ、当たりかもしれない。

まずは生中で午前中の疲れを吹き飛ばす。
くーッ、うまい!

そして運ばれて来たのが、チャーハンと半ラーメン(醤油味)。
チャーハンにはうるさい私だが、果たして・・・ウマシッ!
パラパラではなく、良い具合に油がまとわりつき、ほんのり甘みもありいい感じ。まさに私の大好きな味だ。
800円と安いのに、焼豚多めなのも嬉しい。
ラーメンは昔ながらの定番系。日本人はやっぱりこの味が一番好きなんだよなあ。
♪ゴロー、ゴロー、イ・ノ・ガ・シーラ、フー・・・おっと、完全に『孤独のグルメ』に引っ張られた・・・。

これで完全復活。ほろ酔い気分で平塚宿まで行くぞー!

しばらく歩くき、たこ焼き屋を右に入るのが旧東海道。
道なりだとそのまま写真左の道を進むので、注意が必要な箇所(私はそのまま真っ直ぐに行ってしまい、橋に差し掛かったところで気づいて引き返した)。

そして、丁字路を左折し、

その先を右折して先ほどの道に戻る。
まあ、先ほどの道を真っ直ぐに歩いてもいいのだが、旧東海道を可能な限り忠実に歩くのが今回の旅の趣旨なので、あえての小さなこだわり。

そして引地橋を渡る。

橋を渡った先の民家にあった衝撃の花。くたびれまくっているじゃん。
これ、なんて言う花なのか、お詳しい方、コメントでご教示を。

そんなヤバい花の民家のその先に、次の目的地が見えて来た。
おしゃれ地蔵

こちらがハイカラな名前で記憶に残るおしゃれ地蔵。実際には地蔵ではなく双体の道祖神になる。
『女性の願い事ならなんでも叶えてくださり、満願のあかつきには白粉を塗ってお礼をする』と記されており、男女双体道祖神はネックレスを纏い、お顔にはしっかりとお化粧がされていた。
お顔から白粉が絶えることのないらしく、今も多くの女性の願い事を叶えているのだろう。
いやー、先ほどの花以上に印象深い道祖神だ。

おしゃれ地蔵の目の前にはメルシャンワインの工場があり、甘ーい香りが漂っていた。
七面地蔵尊

そのメルシャンのワイン工場の一角に祀られていたのが七面地蔵尊。
この場所にかつて悪霊が宿るエノキの大木があり、昭和初期に道路拡幅のために伐採した際に、身代わりとして地蔵を安置したそうだ。

メルシャン工場から少し歩くと、銘菓大庭城最中の老舗として有名な御菓子処丸寿がある。

ということで、その最中を購入。お店の方は老舗らしく品があり、とっても感じの良い方だった。
家に帰り食べてみると、老舗の奥深い味わい。ぜひ、旧東海道を歩く際に立ち寄ってみてほしい。
ただ、綺麗に包装していただいた箱が嵩張り、その後苦労することに・・・バラで買えばよかった。

旧東海道はその先で左折してふたたび国道1号線と合流する。
大山道道標

国道1号線に戻りすぐにあるのが大山道道標。道標の上で睨みを利かす不動明王のインパクトは絶大だった。
こちらは延宝四年(1676年)建立とのことで、厳つい顔面で永くこの地の災いを退けて来たのだろう。
四ツ谷の一里塚跡

大山道道標の先、にあったのが四ツ谷の一里塚、別名辻堂の一里塚。現在は標識のみが設置してある。
江戸日本橋から十三里(52km)を歩いて来た。
旧東海道はここからしばらく松並木が続く。
二ツ家稲荷神社

四ツ谷の松並木の横にあったのが二ツ家稲荷神社。

こちらの境内には寛文十年(1670年)建立の庚申供養塔や、天明元年(1781年)建立の男女双体道祖神があった。
この辺りは立場で、二軒の茶屋があり、二ツ谷の地名の由来になったそうだ。

二ツ家稲荷神社を後にしてしばらく歩くと、旧東海道は藤沢市から茅ヶ崎市に入る。
サザンオールスターズファンの私にとって、桑田さんの故郷茅ヶ崎市といえば、多くのサザンの歌詞にもなる、まさに聖地。
名曲『希望の轍』を口ずさみながら、♪遠く遠く京の三条大橋を目指す。
明治天皇御小休所阯碑

茅ヶ崎市に入りすぐにあるのが明治天皇御小休所阯碑。明治天皇が明治元年に東幸(京都から東京へのお引越し)の折に、休憩した場所になる。
私も各所で休憩をしているが、いつの日か碑を建ててもらえるのか?
上正寺

少し歩くと次に見えてきたのが上正寺。
境内には徳川四代目家綱に献上されたという石灯籠移設されているらしいのだが、このペースでは日が暮れてしまうので、参門で手を合わせて次に進む。

時刻は15時を過ぎたばかりですが、秋の夜長は陽が暮れるのが早い。強い西陽の中、平塚宿に向けて急いで足を進める。

横浜市はすでに過ぎたが、近年全国的に勢力を伸ばす横浜家系ラーメンの店舗が、この辺りは実に多い。

そして次の目的地が見えてきた。
旧道痕跡

現在の歩道の横に再現された、こちらが旧東海道の道痕跡。
平坦に舗装された令和の道とは違い、江戸時代の旅人はこのような登り下りの道を一日九里から十里(32-40km)を歩いて、京を目指していたのか。
柔になってしまった令和の日本人だが、江戸の人々の苦労を少しでも体感しようと、一生懸命西に歩いて行く。
牡丹餅立場跡

長い宿場の間には立場という飲食ができる茶屋があり、藤沢宿と平塚宿の間には四つの立場があった。
ここもそのうちの一つ。牡丹餅立場(牡丹餅茶屋)があった場所で、立派な看板が設置されていた。

看板の前のこの事務所の辺りにあったようだ。
東海道の松並木碑

そして旧東海道はふたたび松並木に。幹回り2.2mにもなる推定樹齢四百年の黒松が茂っていた。

安藤広重の東海道五十三次にも描かれた茅ヶ崎の松並木は、貴重な文化財だ。

その後旧東海道はJR相模線を渡る。

茅ヶ崎駅が近づくにつれて次第に街は賑わいを取り戻すも、歩道には黒松が残されていて、ここが旧東海道だということを示す。
茅ヶ崎の一里塚

そんな都会の中に、今も残っているのが茅ヶ崎の一里塚の南塚。その前の道は一里塚通りという名前が付けられており、茅ヶ崎市がこの一里塚を大切にしていることが窺い知れる。
江戸日本橋から十四里目(56km)。

この一里塚には立派な石の案内板も設置されていた。
寛永寺石灯籠

茅ヶ崎の中心地、茅ヶ崎駅前の交差点には四基の石灯籠がある。
こちらは徳川四代将軍家綱、十代将軍家治に寄進されたもので、上野寛永寺からこちらに移設された。
なぜ、寛永寺から移設されたかというと、関東大震災などで被害を受けた寛永寺への再建寄付の返礼だそう。
クロマツの切株

こちらはクロマツの切株。樹齢二百年以上で茅ヶ崎一の巨松だったのだが、平成二十一年に伐採され、切り株を記念に残している。
この地を歩き、茅ヶ崎は松の木をとても大切にしているのだと感じた。

ただ、歩道の真ん中で囲いもないため、足を取られる人が多そう・・・。

クロマツの切株からしばらく歩くと、旧東海道は右に弧を描く。
時刻は16時30分を過ぎ、道行く車はヘッドライトを灯し始めた。

暗がりの中、千ノ川に架かる鳥居戸橋を渡ると次の目的地になる。
南湖の左富士之碑

鳥居戸橋を渡った橋の袂にあるのが南湖の左富士之碑。
この場所は、安藤広重の東海道五十三次の風景画、南湖の松原左富士で描かれた場所になる。
旧東海道で左手に富士山を見る場所は、ここと吉原(静岡県富士市)の二ヶ所が有名で、この地は茅ヶ崎名所の一つとして古くから知られているそうだ。

富士山はおそらくこの方向だと思うのだが、すでに太陽が沈み、見ることができなかった。
鶴嶺八幡宮大鳥居

南湖の左富士之碑の向かいには、茅ヶ崎の総社、鶴嶺八幡宮の大鳥居が聳える。
古くから源氏の崇敬を受け、慶安二年(1649年)徳川三代将軍家光から七石の朱印を拝領したそうだ。

旧東海道は小出川に架かる下町屋橋を渡り、新湘南バイパスの高架橋をくぐる。

時刻は17時になり、次第に闇夜に変わってゆく。もっと早く出発すればよかった・・・。
上国寺

上国寺は、永正十一年(1514年)造立の木造日蓮坐像が本堂に安置されているそうだ。
信隆寺

その先の信隆寺も日蓮宗の寺で、こちらも本堂に日蓮坐像が安置されている。
この日は縁日が行われていたのか、境内はとても賑やかだった。
道祖神


そして男女双体道祖神が二ヶ所続く。
道端にある道祖神は、今もむかしも旅人にほっこり安堵感を与える癒やしの場所だ。

そして旧東海道は茅ヶ崎市と別れ、平塚市へ。いよいよ本日の目的地、平塚宿まであと僅かになった。

馬入の渡しで知られる、相模川に架かる馬入橋を渡り、

馬入交差点のY字路を左に行くと次の目的地になる。
馬入の一里塚

こちらが馬入の一里塚があった場所。江戸日本橋より十五里(約60km)になる。
すでに一里塚は無く立派な石の碑があるが、辺りは真っ暗でライカM11ではどうにも写せない。

ということでiPhoneで撮影。
価格200万円以上のライカM11+ズミクロンよりも、1/10の金額のiPhoneの付属のカメラの方がしっかりと撮影できるとは・・・。
歩みの記録

そして本日の目的地、平塚宿の入り口である平塚駅交差点に辿り着いた。
ではいつものようにApple Watchのフィットネスアプリで記録された歩みの記録を見てみる。
- 出発日:2025年11月15日(土)
- 時 間:12時22分から18時06分(5時間44分)
- 距 離:16.23km
- 高 度:44m
- 天 気:晴れ
- 気 温:16度
- 湿 度:52%
歩いた距離は16.2kmで、かかった時間は5時間44分。藤沢宿と平塚宿の間の距離は三里半で、現在の道のりの実測が13.4kmなので、2.8kmも余分に歩いたようだ。特に道を間違えた記憶はないのに・・・なぜ?
尚、この日は午前中に戸塚宿から藤沢宿までを2時間35分歩いたので、合計で8時間19分とほぼ一日中歩いた。
その後、同じ区間を電車に乗ったのだが、平塚駅から戸塚駅まで22分・・・現代文明の進化は凄まじかった・・・。
ということで今回は以上。次回は平塚宿から大磯宿までを歩くので、興味のある方は下のバナーからどうぞ。
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